Lesson871
波長の合わない人
その人といると、イライラする、
かみ合わない、ちょっとしたやりとりで疲れる、そんな
「波長が合わない人」、
と接するとき、
「なにを心がけたらいいんだろう?」
その日、
朝から心もカラダもさわやかで、
たのしい予感でいっぱいだった私に、
Aさんから連絡がきた。
イラッ、とした。
感じよくしなきゃ、と、私は、
つとめて明るく返答したつもりが、
すこしだけ感じ悪くなってしまっていた。
ちがうちがう、と心でダメ出しして、
ありったけの丁寧さ、優しさで、言葉をくり出すものの、
言えば言うほど、ギクシャクする。
ほんの数十秒でたのしい気分は消しとんだ。
イライラする、この人といると妙にイライラし、
妙に疲れる。
「ふつう、こういうとき、みんなはこうしますよね」
と私は言ってしまって、
いかんいかんと、自分にツッコミを入れる、
「フツウとか常識とか押しつけられるの自分も嫌いでしょ」
と。
「あなたがこうしてくれないから、私はこれができなくて」
と言ってしまってから、
「だれかのせいで何かができないって、依存だよね」
とまた自分が自分にツッコむ。
「もっとこうしてくだされば、私もスムーズにできるのに」
と自分で言って、
「やり方は、どっちが良い悪いでない、単なる違い。
なのに相手に自分のやり方を押しつけるの?」
と、また自分にツッコまれ。
言えば言うほど、カラダも言葉もどんどん硬直してくる。
この人といると調子狂わされる。
「何なんだろう?
この言えば言うほどつのる私の苛立ちは?」
そのあと、歩きながら、ずっと考えていた。
ずんずん歩きながら、ずんずんいろんな言葉が浮かび、
「怒るときはたいてい自分に怒っている」、
と浮かんだ瞬間、はっ! と気づいた。
「苛立つときは、人に怒っているようで、
それでいて、実は、
“そういう状況にかき乱されて
自分らしくふるまえない自分”に、
自分が苛立ってる。」
そうか! 私は、Aさんに本来の調子を狂わされて、
自分らしくふるまえない自分に、苛立ってたんだ。
「想いとそれたまま進んでも苛立ちは増大するだけ。」
文章表現でも、書けば書くほど妙な疲労感がつのるとき、
自分の想いと離れていっている。
そのまま、自分の想いとそれたまま、無理やり仕上げても、
イライラざわざわした後味の悪さと疲労が残るだけ。
自分の声を聴く、そこに立ち戻る。
私はAさんとのやりとりを振り返った。
自分らしからぬ物言いをしてしまっていた、恥ずかしい。
「本来どうしたかったの? 自分?」
私は、フツウを人に押しつけたくない。
誰かのせいで何かができないと甘ったれず、
自立していたい。
自分とは違う色々なやり方を尊重したい。
「だったら、Aさんにどんなに調子を狂わされても、
そこだけは見失わず、
自分らしくふるまったらいいじゃない。」
うちに帰って、いつもの自分の美意識みたいなものに
忠実に、
Aさんにメールを書いた。
すると、今度は胸がすーっとして、カラダが軽くなった。
人を受け入れるって、こういうことかもしれない。
波長の合わない人といても、
本来の自分を見失わずに
やりとりできるようになるってこと。
この先も、ちいさい自分の限界として、
波長の合わない人とでくわすだろう。
そのたび心をかき乱されたり
調子を狂わされたりするだろう。
そんなとき、
イライラは自分の想いと離れていってる警告音=アラーム。
「本来ここでどうふるまいたいの、自分?」
と自分の声を聴き、何度でもそこに立ち戻ろう、
と私は思う。
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