Lesson876
自分の可能性を否定されたときに
突如うまくなる。いったい何があったんだ?
っていう人、いるなあ。
歌にしても、芝居にしても。
才能ゼロとか、「この道向いてない」とか言われてた人が、
突き抜けて、そこからはもう
天性の才能があったようにしか見えない。
かなり年がいってから伸びる人もいる。
人は伸びる。「向いてない」は、あてにならん。
つい最近、あるバンドを知った。
圧倒的なボーカル!
声量・声質・歌のうまさはもちろん、
聴き手を一瞬で異世界に連れ去ってしまう。
「こんなすごい人を知らなかったなんて、私のバカ」
過去30年以上にもわたるCDやらライブDVDやら
入手して、はじめから見ていくと、
「ん? ヘタ???」
初期のライブ、ズッコケるほどうまくない。
「そんなはずは」、とちがう曲、ちがうライブをみても。
未完成とか、ヘタうまとか、
そんないい意味のヘタじゃない。
「向いてない」「素質がない」
「長続きしそうもない」感じ。
それが数年を経て、ある時期から急にうまくなる。
「なにがあったのか?」とフアンも首をひねるほど。
うまくなった今を初めて聴く人は、
ボーカリストになるために生まれてきた
天才にしか思えない。
そういえば、私の大好きな女優も、
18年前、舞台を観に行ったときヘタだった。
それが、いまや大女優、数々の賞も受賞し、
舞台を観ても映画を観ても、私は魂が揺さぶられる。
アカデミーで最優秀とったあの女優も、
若手天才女優の名をほしいままにしているあの人も、
かつて、「向いてない」と言われたのはもちろんのこと、
監督から役者生命を否定され、人格まで否定され、
ボロくそに言われ続けた経験を持つ。
「向いてない」は、あてにならん。
にもかかわらず、
「向いてないって言われちゃった」と、
いつまでもそのひと言を引きずり、
やさぐれる人がいるのはなぜだろう?
向いてないを口実に、すこし休みたいのかもな。
それくらい自分を伸ばし続けるって、本当にしんどい。
自分の可能性をへし折られたとき、
「そこで、自分を信じるか、信じないか?」
信じれば、また
想う道で、真っ向勝負を挑まねばならない。
せっかく持ち直した自己をへし折られるかもしれないし、
こんどこそ致命傷を負うかもしれない。
だから、自分を信じないより、「信じる」ほうが
ほんとうに恐くて、勇気がいる。
それに、急激に伸びたと周りが想う人は、
ずっと自分を磨き続けている人だ。
1年以上の充電期間をとるアーティストもいるし
それでますます許されていく時代であるにもかかわらず、
毎年毎年、新作を出し、新しい試みをし、
表現の前線に出ずっぱりだ。
努力しても、へたくそ、
がんばっても、向いてないと言われる
恐ろしい状況で、よく努力し続けられるなと思うが、
表現者というものは、休めないことより、
体にある表現したいものを出せないことの方がつらい。
技術や努力が追いつかなければ、
表現したいものは外に出せないし、
休んだからって溜まる一方だし、
だから、出るまでやる。
出せたら、心底昇華され、
楽しいのでまた次、出るまでやる。
その積み重ねが、年月を経て、
まわりから見て「突如うまく」なったように見える。
自分をみじめにするのは、自分だ。
「向かない」と言われて、自分が、やさぐれてるとき、
どこかでだれかが、ボイトレをし、
新しい歌を書きあげようと、試行錯誤を積み重ねてる。
人は伸びる!
どんな状況でも自分の可能性を信じて伸ばしてやる、
と私は思う。
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