Lesson895
読者の声―「天才」と言うまえに
「雑」って、悪意より罪の意識がない分タチが悪い。
人に「バイキン」と言うのと、「天才」と言うのは、
真反対のようで「雑」という点は同じ。
かけがえのないその人の個性を丁寧に理解せず、
雑にさげすむ、雑にかつぎ上げる。
人を見るときは個別に丁寧に。
かけがえのない個性を見る。
という先週のコラム「“天才”と言うまえに」、
読者はどう感じ、何を思ったのか?
今週は、読者の声を紹介する。
<ほめることで傷つけた>
会社の研修で、
仲間の長所や改善点を話し合うグループワークが
ありました。
同じグループに、
優秀だと評判のAさんという女性がいて
私は彼女に対し「尊敬している」と言いました。
何度か同じことを口にした時、
他のメンバーに言われました。
「どんなところを尊敬しているの?」
私は口ごもってしまいました。
Aさんとは部署が違い、
具体的な働きぶりはほとんど知りません。
ただ全社表彰されている等のうわべのイメージで
「尊敬している」と繰り返していたのです。
Aさんはがっかりした表情になり
後日社内で顔を合わせても
それとなく避けられてしまうようになりました。
先週書かれていた
「雑にほめる」をしてしまっていたのだと思います。
どんなに優秀な人でも、
実感の伴わない持ち上げ方をしたら傷つく。
「直接知っていることは少ないけれど
あなたのシャンとした背筋や明るい話し方に
以前から好感を持っていました。」
こんな風に正直に伝えることもできたはずなのに。
(はる)
<とても出来る人がいて>
かつて学生だった時に、
とても出来る人がいて「頭の良い人は違うなあ」と
言われていましたが、
彼が、ぼそっと
「クラスで一番勉強してるから」
と言ったとき、
努力を見てもらえない苛立ちを感じました。
彼は、出来るゆえに、
伸び悩んでいる人の世話を任されていました。
彼が、伸び悩んでいる人に、
やる気を出してもらえるよう、
悩んだり工夫したりして伝えても、
「あなたは頭が良いから」
と言われてしまう。
だから彼には、伝わらない徒労感が
募っていたのでしょう。
すごい能力の持ち主を天才と言ってしまう時、
私たちは言葉にするのを止めてしまっている。
天才と一言で済ませると、
だんだん生身の所から遠ざかってしまいます。
伝わらないことで傷つくのは、
才能のあるなしに関係ありません。
「伝えたいし、つながりたい」という思いは、
だれしも同じはずです。
(たまふろ)
<実体ある言葉を>
雑な言葉って「天才」以外にもある。
「頭いい」は、
頑張っているねという褒め言葉なのか、
話がつまらないという皮肉なのか、
私もそうなりたいという羨望なのか、
私とは違う人だねという差別を評したいのか、
記憶力のことを指しているのか、
論理力を表しているのか、
知識の量を表しているのか、
思考の切り替えの速さを指しているのか、
実体ある言葉を使いたい。
(水波)
「天才」とは、
「なんだかわけがわからないけど、
そんじょそこらにいる人々とは全然ちがう、
スゴイ人間なの」
と言ってるようなものだ。
人によって、それぞれ、どうとでも、都合よく
「スゴイ」を解釈する。
言われた人が、もし、この言葉にやられるままになると。
「ちがう! 自分だって凡人だ」
という強い拒否感と。
「ガッカリされたくない、常にスゴイ人であらねば」
という重圧と。
「自分には才能がある。人より優れた人間なんだ」
という優越感と。
3つが一緒くたになって押し寄せる。
「ほんとうは凡人である自分を誰もわかってくれない」
といっては傷つき。
「凡人の自分がバレた。ガッカリされたに違いない」
といっては傷つき。
「自分にはできるのに、どうしてみんなはできないのか」
と思っては孤独になり。
「自分が本当はできないと知ったら、みんな離れていく」
と思っては孤独になり。
気がつくと傷だらけ、ひどく孤独になっている。
このような回路にはまった人の文章は血が滲んでいて
私は読んでいて涙が滲む。
「スゴイ人」というのは、際限ない。
頑張ってさらにスゴクなっても、天才だからあたりまえ、
「もっと、もっと」と、進むほどに、
まわりの願望は強くなっていく一方だ。
だから、おとなはともかく、
若者、とくに十代に、「天才」のような
解釈のブレまくる言葉を背負わせるのは酷だと思う。
だから私は、文章教育で、
「人」をほめず「その作品」を、
あくまで「その1つの作品」に限った理解を、
伝えるように心がけている。
「あなたはスゴイ! 天才!」
と言ってしまうと、相手は、
「次もスゴイものを書かなきゃ自分じゃない」
とよけいなプレッシャーを感じて、りきむ。
この「りきみ」こそ、
正直かつ等身大が不可欠な文章表現において、元凶。
だから、あくまで、
「この作品に1作に限って言うけど、
この部分が、私には、スゴク響いた」
という言い方をする。
プロだってムラはあるのだし、
毎回、傑作が書けるとは思わず、
若い時こそ挑戦し、好調の自分も、不調の自分も、
両方経験して、そのふり幅を知っておいてほしいと。
そんな接し方なら、若い才能も
前作に縛られることなく、
次、りきまず、自由に書ける、と私は思う。
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