アズーリにべったり密着50日!
フランコさんは特別なスポーツ記者なんだぜ。

さびしいけれど、お終いです。

サッカーは残酷で、度々不公平なスポーツです。
まるで人生のように。
そして、ワールドカップは
人生におけるレッスンの1つでしかありません。
 
イタリアチームは既に帰国しました。
アズーリの選手達は韓国に敗北し、
今後何年間かはこの敗北を
嘆くことになるかもしれません。
 
彼らは泣き、嘆きました。
なぜなら、たとえ最も優れている選手達でも、
試合に負けてしまえば、それが不当であっても、
ワールドカップから退かなければならないからです。
 
ヴィエリ、トッティ、デル・ピエーロ、
ネスタ、カンナヴァーロ、
そして他のアズーリの選手達も
自分達が最高の選手であると考え、
多分それは間違っていないでしょう。

アズーリのみんなは
日本が大好きでした。
 
仙台での最終合宿は完璧でした。
アズーリは日本で、得たいと思っていた物
(支援、サービス、声援など)の
全てを得ることが出来ました。
 
トレーニングには理想的な、
さわやかな気候と日本人の好意。
トッティもデル・ピエーロも、
日本人から優しく愛されました。
 
韓国戦の数時間前、アズーリの選手達はテレビで、
日本VSトルコの試合を観ました。
みんなで中田や稲本を熱烈に応援したのです。
 
アズーリの夢は6月30日に横浜で行われる決勝で
日本と戦うことでした。
日本VSトルコの試合が終わったとき、
アズーリの選手達はとても心が痛んだことでしょう。
日本は数週間もの間、
アズーリにとっては「故郷」だったわけですから、
彼らの悲しみは日本に対する正直な気持ちでした。
 
アズーリは3週間日本にいて、
日本人の優しい情熱は
イタリア人の情熱と同じように思えたのでしょう。
外国に居ながら、イタリアに居るときと変わりない
居心地の良さを感じられたのですね。
 
韓国戦はとても難しいものでした。
そして、おそらく、イタリアは審判の一撃で負けました。
 
前半と後半の間のハーフタイム、
イタリアが勝っていた時ですが、
トラパットーニ監督は選手達に対し、
自分達の目標は日本に帰ることだから、
勝利が必要だということを説明しようとしました。
 
アズーリは韓国が好きではありませんでした。
そして2つの目的のために
日本に帰りたいと望んでいました。
1つ目は、横浜で決勝戦に出るため。
そして2つ目は、彼らを惚れ込ませ魅了した国に
もういちど帰りたかったからでした。
 
トラパットーニ、トッティ、デル・ピエーロ、
ヴィエリ、マルディーニ、そしてアズーリの選手全員が、
韓国戦の敗北の悲しみと共に帰国しました。
そして、日本のように大変美しい国を、
自由だが礼儀作法のしっかりした国を、
自分達が恋に落ちた国を
後に残していく悲しみと共に帰国しました。
 
アズーリの心の中で、
彼らを優しさと愛情をもって取り囲んだ
全ての日本人の笑顔が、
悲しい顔に変わってしまうイメージが残るかもしれません。
そして飛行機に乗る前に、
アズーリのみんなが思ったことでしょう。
「ニッポン、アリガトウゴザイマシタ」と。
 
サヨナラ、また戻ってきます!


読者のみなさん、今回でぼくのこのコラムはお終いです。
短い間だったけれど、どうもありがとう。
たくさんのメールも、どうもありがとう。
みなさんがくださったメールの数と、
アズーリを愛する気持ちに、とても励まされました。
イトイサンがつけてくれたタイトルの「50日」が、
ここでこんなふうに終わるなんて
まったく予想していませんでしたが、
これが人生というものです! 気を取り直して、元気にね。
 
ミラノにもどって落ち着いたら、
サッカーのことはもちろん、
サッカーに限らず、イタリアのいろんな話題を、
また、ときどき、お送りできるといいなと思っています。
そのときはまた「あのサッカーおじさんが帰ってきたぞ!」
と迎えてください。
 
みなさん、お元気で。チャオ!
 
フランコ・ロッシ



そうそう、最後に、僕の
「辛口スポーツジャーナリストとしての仕事」を披露します。
イタリアの新聞「Tutto Sport」に寄稿した原稿です。

予想とは全く別の韓国チームだった。
トラパットーニ監督、
カッラーロ(イタリアサッカー協会会長)、
そしてペルージャの控え選手
(決勝点を決めた安貞桓選手)のお陰で。
 
イタリアは1勝2敗1分けの成績で帰国することになった。
まだ役にたてる男たち・アズーリのことをかんがみるに、
本当に恥ずかしいことである。
それは、トラップ(トラパットーニ監督)の敗北であり、
わけの分からない判断による敗北であった。
なぜならトラップは、
チームを高い位置(攻撃的)に保っていたデル・ピエーロを交代させ、
代わりに、良い選手ではあるが、
(守備的に)“●●●●つぶし男”である
ガットゥーゾを入れたではないか?
 
韓国はこの交代の時までは何も出来ていなかった。
何も、本当に何もできなかったのに、
この交代から元気を取り戻し、
イタリアの陣地を攻略したのだ。
 
戦術については、ザンブロッタが負傷して
プレーできなくなった時に、ボールをキープすることが出来、
ゴールを決めることが出来るモンテッラを投入することで
改善する見込みはあったのだ。
しかし、トラパットーニはモンテッラではなく、
上手くて勤勉に戦術をこなす選手だが、
すでに白紙の状態になっていた(互角の攻防になっていた)
試合には総てにおいて相応しくないディリーヴィオを入れた。
 
トラパットーニは敗北し、カッラーロも敗北した。
 
イタリアはFIFAに対し、サッカーにおける政治力として
そもそもあまり力がない。
そのことは、ここのところ、少しはわかっていたことなのだが
今回のW杯で、本当に、何にも力がないよりも
さらにもっと価値がない、ということが、わかった。
 
さらに信じられないことに、審判たちは韓国に対して
ペナルティーキックを与え、トッティを不当に退場させ、
ゴールを反則があったとして取り消すなど、
我々を手酷く扱ったのだ。
 
カッラーロは試合後、
「監督と選手達は彼らの義務を果たした」と言った。
しかし、アズーリの義務とは、
決勝トーナメント1回戦で敗退することであったのか?.
 
もしフランコ・カッラーロ会長に、
少しでもスポーツに関わる人間としての
羞恥心というものがあるなら、
カルチョ(サッカー)の世界の中での彼の全ての要職から
手を引くのだろうが……。
 
別の韓国だったのだ。
今回のイタリアチームは、今までに無いほど
最高水準の選手達を要し、
最後(優勝)まで行ける可能性があったため、
1966年の(北朝鮮戦の)敗北よりも堪えがたい。
 
トラパットーニ、カッラーロ、
そしてペルージャの控え選手が我々を家へ帰した。
トラパットーニにもカッラーロにも、
誰にも栄誉など無いのだ。


翻訳協力=加藤正之、酒井うらら
フランコさんのくわしいプロフィールはこちらです。

2002-06-20-THU

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