フランコさんのイタリア通信。 |
中田と中村が イタリアではどんなふうに 見られているのか、について。 こんにちは、フランコです。 みなさんはトト・スキラッチ (本名:サルバトーレ・スキラッチ)を覚えていますか? 1990年ワールドカップイタリア大会の得点王で 94年には、ジュビロ磐田に在籍したので、 日本の皆さんもご存じの方が多いことでしょう。 一見華やかに見えるイタリアサッカー界ですが、 サッカー選手になって貧民街から抜け出す、 というドラマがあります。 そうです、アメリカのスラム街から バスケットボールや野球の選手を夢見るのと同じようにです。 彼は13才にして、家計を助けるために タイヤ交換の仕事を持っていました。 父親は大工でしたが、毎日仕事があるわけではなく、 母親は食事の支度に困る日もありました。 しかし、彼は常に一つの夢を持っていました。 いつか、ナショナルチーム・アズーリのユニホームで ワールドカップのピッチに立つことです。 幼い頃から遊び道具はサッカーボールで、 気が付いたときには、彼の卓越した野性的本能や闘争心が サッカーと一つになり、 メッシーナからスカウトを受けたのです。 その後はユベントスに移籍し、アズーリのメンバーとなり、 90年ワールドカップ6ゴールで得点王になったのでした。 94年12月にトヨタカップ取材の際に 私は、日本で彼に再会しました。 鋭い眼光の奥に、あのシチリアの眩しい光と 貧民街の暗さを同時に思い起こさせる憂いがありました。 シチリア移民の歴史が凝縮されたような彼の人生ですが、 日本からイタリアにやってきた二人のプレーヤーは、 我々イタリア人の目にはどのように映るのでしょうか。
イタリアには“メイド・イン・イタリー”の 美味しい寿司があって、 街には多くの「スシ・バー」があるにもかかわらず、 2人の日本人プレーヤー・ 中田と中村がそこに通うことはありません。 彼らは、新しい発見の連続である イタリア料理のほうがお好みのようです。 中田英寿はペルージャ、ローマ、 そして現在はパルマにいますが、 食べることに関してとくに問題はないようです。 ペルージャで彼は スパゲッティの“アル・デンテ”というものを知り、 トラジメーノ湖の近くで作られる 良質なオリーブ・オイルを味わいました。 ローマには“ペンネ・アラビアータ”があるし、 パルマの近くには プロシュート(ハムの一種)の産地として有名な ランギラーノがあるし、 もちろんパルミジャーノ・チーズもあります。 中田は、その清潔な顔つきと 育ちのよい少年のようなほほえみで イタリア人に愛されています。 彼の外見とふるまいは興味深いですね。 彼にとって日本の郷愁といえば、富士山であり桜の花であり、 掃き清められた庭園だったり 香(こう)のかおりなのであって、 食べ物ではないのでしょう。 イタリアにやってくるたびに中田は ペルージャの人々に好意的に迎えられるのですが、 彼の態度はどこか超然としています。 それは日出ずる処、 サムライの国からやってきた者のもつ雰囲気であり、 ひたすらにサッカーを愛し続けてきたラテン人とは、 どうも違うようです。 ペルージャに来たばかりの彼は、 日本でのみ、その優秀さを認められていたにすぎません。 ところが数年の間に、ローマのスクデット★獲得に貢献し、 パルマではコッパ・イタリアで勝利し、 そして今となっては、中田はちょっと優れたどころか、 世界中で最も優秀で有名なサッカー選手となったのです。 流暢なイタリア語をあやつる彼は、 かなり“ラテン的”であるにもかかわらず、 “日本人らしさ”をまったく失っていません。 日本とイタリアをあわせ持つ中田は、 国際的なサッカー選手であり、 これぞまさに世界の住民と呼ぶに ふさわしい人物といってよいでしょう。
このように中田はイタリアですっかり有名になりましたが、 中村俊輔も確実に成長することでしょう。 中村はイタリア南部、カラーブリア州にある レッジョという都市で暮らしています。 海と太陽の地であるレッジョ・カラーブリアは、 冬でも温暖なところです。 レッジーナの熱狂的なファンたちは、 イタリアでもとくに情熱的なので、 若い俊輔をすぐに受け入れ、 彼のことを、まるで友だちか兄弟のように思っています。 レッジーナの監督バルトロ・ムッティは、 中村の能力を最大限引きだすために、 彼を中心にチームを組み立てるのだとコメントしています。 中村はそのコメントを 恥ずかしげに目を伏せて聞いていました。 その様子は、どうやら褒められて照れているようです。 中村が最初に出場したゲームを観戦した 多くのジャーナリストたちは、中村のプレーが、 サッカー・プレーを芸術の域にまで高める 精緻さがあると讚えられたロベルト・バッジォの、 足でボールをいつくしむようなプレーに似ていることを 指摘しています。 そのようなわけで、 日出ずる国からやってきた中田と中村は、 真のアーティストとして認められており、 金稼ぎにとどまることなく彼らが自ら楽しみ、 サッカー・ファンをも楽しませているのです。
翻訳=ほぼ日 フランコさんのくわしいプロフィールはこちら、 フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!) |
2002-09-12-THU
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