フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

2003年、トヨタ・カップへ向けての挑戦。

クリスマスツリーには夢と希望の星が輝いていました
1983年 僕が日本を最初に訪れた年です
12月の寒い東京でしたが、
街はクリスマスのイルミネーションで
すっかりお化粧されて、
まるでヨーロッパの都市のようでした。
クリスマスイヴには、お父さんサンタが
ケーキやお土産を抱えて家路を急いでいた光景が思い出されます。

数年後トヨタカップの取材で日本を訪れたとき
豪華なイルミネーションもなんだか寂しく、
お父さんサンタの数もめっきり
減ってしまったような気がしました。
今年のクリスマスも同じなのでしょうか?

デル・ピエロが僕に言ったこと。

どうやらイタリアのサッカーは、
焼跡の灰の中のような状態から立ち直りそうです。

2002年W杯でのアズーリの冒険は、韓国に負けた時に、
いろいろな面で最悪の終りを迎えました。

その時、イタリアの選手たちと彼らのファンたちは、
(韓国まで日本人のファンもたくさん来ていました、
 本当ですよ)
イタリアがサッカーに架ける夢と野望とを
燃やし尽くしただけでなく、
自分たち自身にも深い疑いを植え付けてしまいました。

日本でのリーグ戦最初の試合は、
あまり盛り上がりませんでしたが、
結果的には、先にむけて楽しみな何かを
感じさせてくれましたね。

そして、アズーリたちがすぐに愛してしまった街、
仙台でのトレーニング期間や、
札幌、茨城、大分での試合を通して、
イタリアに集まった期待がふくらんでいったのです。
そうだったでしょう?

例えば仙台では、どちらを向いても
イタリア・チームの水色の旗と、
赤白緑のイタリア国旗が見えました。
それに、ファンの皆さんがヴィエリ、トッティ、
デル・ピエロ、インザーギなどを取り囲んでいたのは、
ただ単に直筆のサインをもらうためだけではなくて、
何より歓迎の気持ちを、
彼らにちゃんと伝えたかったからですよね。

広瀬川の土手の上ですごした午後のことを、
僕は憶えています。
子供たちが小さな魚をとって遊んでいました。
むこう岸の2面あるグラウンドでは、
少年達がサッカーと野球をしていました。
イタリア・ナショナル・チームの選手が数人、
それを見ていました。

選手のひとりが、僕にこう言いました。
デル・ピエロだったと思います。

「ここは僕らのとは別世界だな。
 子供は子供で、少年は少年でいられる世界だ。
 自然の美しさやスポーツの本当の意味のすぐそばで、
 この子たちは、しなやかに生きているんだね」

唐突なほど正直で純粋なこの言葉に、
僕は胸を打たれました。



その後、アズーリたちがトーナメント戦のために
韓国へ出発した時、
彼らは横浜での決勝戦に戻ってくるつもりでした。
ふたたび日本に。

ところが・・・

ところが、彼らは対韓国戦に破れました。
そして、ビッグ・チャンスをのがした苦さを背負い、
出来たはずのことが出来なかったと嘆きつつ、
日本ではなくてイタリアへ、帰ることになったのです。

敗北の悲しみが、アズーリの心を
疑いでいっぱいにしました。
・・・イタリアのサッカーは、
もう、以前とは違うのか?・・・

ヨーロッパ・リーグ、
イタリア4チームが勝ち残る。

9月が来ました。カンピオナート
(イタリア国内選手権)の開幕です。
クラブ・チームのヨーロッパ・チャンピオン・タイトルを
掛けたチャンピオン・リーグも開かれます。
これに勝てば、2003年秋の東京で開かれる
トヨタ・カップ行のパスポートをゲットできます。

そのチャンピオン・リーグの第1ラウンドは、
11月13日に終っています。
皆さん、イタリアから参加の
4チームは勝ち残っていますよ!!
これは歴史上初めての快挙なんです。

参加したのはデル・ピエロのユヴェントス、
ヴィエリのインテル、
インザーギのミラン、そしてトッティのローマです。
彼ら全4チームが第2ラウンドに進みました。

今だかつて無かったこの事実に、
イタリアのファンたちは少しだけほっとしています。

2002年春、世界チャンピオンに
返り咲くことを信じつつ日本へ向かい、
韓国に破れてしまったチーム、というイメージを、
イタリア・サッカーが持ち続けたい訳はありません。

デル・ピエロ、インザーギ、ヴィエリ、
トッティなど優秀(ブラヴォー)で有名なセレブ選手たちが
いるのですから、ヨーロッパで抜きん出る可能性もあれば、
来年、東京でのトヨタ・カップを勝ち進み、
世界の頂点まで登り詰めることだって、あり得るのです。

そうなれば1989年、1990年にフリット、
レイカート、ヴァン・バステンが導いたミランの勝利や、
1996年のデル・ピエロのユヴェントスが勝った時の
イメージを、ふたたび取り戻せるのです。

イタリア・サッカーの夢が、韓国での蒸し暑い6月の夜に
露と消えてしまったなんてことは、ありません。

2002年W杯での優勝の予定からは
遅れてしまいましたが、
イタリアは日本の夢を見続けています。
自分を信じ続けるために・・・ね。


翻訳/イラスト=酒井うらら

フランコさんのくわしいプロフィールはこちら、

フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!)

2002-11-18-MON

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