フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ナターレ、選手が子供に戻る日。

サッカーは、テクノロジー的にややこしいものではなく、
「詩」からヒントをもらったスポーツです。

いつでも自由を求めて逃げ出そうとしている、
ちょっと意地悪なジャングルの生き物の周りで、
古めかしい魔法のダンスをするようなものである、
とサッカーを解釈することもできます。
我が儘なボールって、そんな生き物のような
魔法の物体ですからね。

石を積み上げてゴールの場所を
分かるようにしたスペースと、
ボールと、それから、この魔法の物体のコントロールを
確かなものにするために、
互いに愚弄してやろうという意欲や
敵の足からボールをもぎとる、やる気・・・
サッカーのプレイに必要なものは、これらだけです。

サッカーの本来を解釈し再現する夢、
これが、サッカーの歴史を
築いてきた偉大なチャンピオンたちの持っている、
秘けつなのです。
サッカーの本来とは、魔法的であり、
苦しみの邪悪な精神をはらうために生まれた
悪魔ばらいのダンスにも似たゲームである、
ということです。

サッカーは、プレイヤーと観客
(スタジアムのスタンドに居ても、
 テレビの前のソファーに居ても)の両方にとって、
楽しいことでなければいけません。

この、役者も観客も楽しめるスポーツは、
12月の末には別のお祝いの楽しみと結ばれます。
「ナターレ」
クリスマスです。

イタリアではクリスマスは、
宗教的に最大のお祝いとして生まれました。
神の誕生日です。
今から2002年前、神が人の姿をとり、
イエス・キリストとなって
パレスティナで誕生した日です。

時の流れの中で、この宗教の祝日は、
少しづつ娯楽の祝日に変わってきました。

例えば、バッボ・ナターレ
(北欧ではサンタ・クロースと呼びます)が
空から地上にやって来て、
良い子たちにプレゼントをくれます。

今やクリスマスは、お祝いというよりビジネスですね。
娯楽ビジネスです。

マルディーニ、ヴィエリ、
カフー、デル・ピエロの
休暇の過ごし方。

サッカー界も、これに従っています。

宗教的祝日というよりは、
楽しい祝日としてのクリスマスを選手たちが祝えるように、
イタリア選手権のゲームは2週間、休止します。

そしてこの2週間、
世界で最も高額な報酬を受けている
(スペインでの例外は置いておくとして)
チャンピオンたちは、休息もとれるし、
楽しいひとときを過ごせるのです。

家族や子供のいる選手は、
バッボ・ナターレを待ちながら家にいるかも知れません。
子供たちを喜ばせるために、
赤い洋服や白いカツラとヒゲをつけたりして、
12月25日の朝、ツリーの下にプレゼントを置く、
とかね。

シンプルに休暇としてのヴァカンスを
すごしたい選手もいるでしょう。

ミランのキャプテン、パオロ・マルディーニの場合は、
コルティーナ・ダンペッツォという、
とっても美しい村でクリスマス休暇を過ごすようです。
イタリアのお金持ちが集まる、
彼らの間で流行っているリゾートで、
雪とスキー場で有名です。
ヨーロッパ屈指の美しい良いスキー場です。

インテルと、それからイタリア・ナショナル・チームでも
センター・フォワードをつとめる
ボボ・ヴィエリはエジプトへ行き、紅海の上のほうで、
彼の大好きなスキューバ・ダイビングを楽しむでしょう。

アレッサンドロ・デル・ピエロは、
2006年冬期オリンピックの開催予定地で、
札幌にもちょっと似ているセストリエレという所の雪を、
選びました。

ブラジル人のカフーは
リオ・デ・ジャネイロへ帰るつもりですが、
アルゼンチン人のバティストゥータは、
彼と家族のために、イタリアの
サルデーニャ島を選びました。
気候が温暖で、冬の寒さも春のように変えてしまう島です。

イタリアのサッカー選手たちは、
時間を巻き戻して、
少年だったころの美しい時代を生き直すために、
「ナターレ」を使うのです。
そして彼らは、汚す事のできない少年期に生まれるとしか
思えない笑顔を、取り戻します。

だって、イタリアでは「ナターレ」は、
子供たちと、何日間かは子供に戻っていたい大人たちと、
みんなのお祭りですからね。



翻訳/イラスト=酒井うらら

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2002-11-25-MON

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