フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

2003年6月、バッジョが
イタリアを去る可能性について。

ロベルト・バッジョにとって
「6月」と「夢」は同義語です。

イタリアのサッカー選手として最も有名であり、
W杯の1990年イタリア大会、
1994年アメリカ大会、
1998年フランス大会におけるチャンピオンたちの中でも
断トツの主役であった彼は、来年の「6月」に、
彼の人生を変える決断を下すかもしれません。

彼にとって「夢」と同じ意味を持つ「6月」に、
彼の希望と将来の待つ地、日本へその身を移すために、
イタリアを去るかもしれないのです。

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バッジョ、魂の証言。

彼は最近「Una porta nel cielo」、
空の中にあるひとつの扉、という本を書きました。
それはサッカー選手の、また、ひとりの男の魂の証言です。

ロベルト・バッジョは彼の本の中で、
サッカーと愛について語っています。

サッカーの歴史の中でも多くのページを占める
数々の出来事について、
実際にそこに生きた人間として、彼は語っています。

以前の彼は、自分自身に対しても他人に対しても、
情け容赦のない男でした。

この事について彼は、誰にも真似することの出来ない、
そのけた外れのキャリアの道のりで、
多くの、たぶん多すぎるほどの、
間違いを犯したと認めています。

彼の関わった監督たちとの怒濤の関係についても、
彼は語ります。

何も見逃しは、しません。

彼のサッカーの詩情、彼の天才性、
そしてサッカーを美しく魅惑的なものに創りあげようとする
彼のやり方をさっぱり理解することなく、
彼のファンタジーを
まるで牢屋に閉じ込めてしまう総ての人々に対して、
彼は怒ります。

彼の無限ともいうべき人気に対する、
監督たちの妬みを批判します。

アズーリのトラパットーニ監督が
日本でのW杯に彼を呼ばなかったことが、
彼にとってどんなに残念であったかも、
この本に書かれています。

イタリアの空色のユニフォームを着て
日本でプレイする事を、
バッジョは本当に楽しみにしていました。

彼は日本を愛し、日本も彼を愛していますからね。

バッジョは今はブレシアでプレイしていますが、
来年の「6月」に契約が切れます。

彼は去年まで、多くの外国からのオファーを
総べて断わってきました。

あの空色のシャツを、
トラパットーニ監督が彼に手渡す気になるように、
彼はイタリアから離れたくなかったのです。
日本へ、誇りを持って身に付けて行こうと思っていた、
あの「アズーリ色」のシャツです。

でも、今の彼にはもう解っています。
日本へ行くしかない、と。

バッジョが決断を
下そうとしている。


ロベルト・バッジョは、ずば抜けた天才ですが、
多くの人と同じように感じやすく繊細な、ひとりの男です。
家族を愛し、平和を分かち合いたいと願っています。
以前にはエゴイストで、うぬぼれ屋で、
稼ぐことと出たがることしか頭になかった、彼。

その彼が今や立派に成熟したおとなになりました。
そして、迷いから目覚めた詩人として、
彼の仕事に対する情熱をふたたび手にするための旅立ちを、
今、しようとしています。

他者をもっと愛することは、自分を愛すること・・・

バッジョは、彼の人生において真実の、
ありのままの決断を下しました。
日本へ! 
彼にとって「夢」と同じ意味の「6月」に。
もちろん、お金のためでなく、愛のために。




翻訳/イラスト=酒井うらら


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2002-12-02-MON

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