ミッコリの名前をおぼえてください。
彼はどん底の状態から立ち直りました。
彼を立ち直らせたのは、
2月12日の対ポルトガル戦での勝利でした。
彼、ジョヴァンニ・トラパットーニが笑顔を、
以前のガッツを、
そして何より勝利を取り戻したのです。
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トラパットーニ、自信をなくす? |
あの不幸なW杯で韓国に負けたあと、
イタリア・ナショナル・チーム、
アズーリの監督として、
彼は論争の嵐のまっただ中にいたのです。
ジョヴァンニ・トラパットーニは、
アズーリの監督になる前には、
イタリアの監督たちの中で最も高く評価され、
尊敬されていました。
ユベントスやインテルを率いては
イタリア国内での勝利を納め、
ドイツでのモナコのバイエルンとの勝利は
伝説となったほどです。
日韓W杯でアズーリの監督に
彼が指名されるであろうと知った時、
イタリア人のほとんど全員が、
イタリアは優勝できるだろうと思いました。
すべり出しは上々だったのです。
アズーリは日本のサッカー・ファンたちの
ハートを射止めました。
仙台では、彼らが街中へくり出すたびに
交通がマヒするほどでした。
そうして、あのみじめな対韓国戦のあと、
イタリアに帰っていったアズーリは、
もうへとへとで意気消沈して頭は疑いで一杯、
将来への自信もないという
状態だったのです。
イタリアで彼の辞任を要求した多くの意見は、
彼は過去をひきずりすぎて現在にはあまり興味がない、
と見なすものでした。
アズーリの環境に信頼と希望とを取り戻すには、
何か価値のある勝利が必要でした。
ですから、ポルトガルとの友好試合は、
ちょうど良いタイミングでした。
2004年のEURO2004(ヨーロッパ選手権)を
主宰する予定のポルトガルですが、
現監督は、日本でのW杯決勝戦で
ブラジルを優勝に導いた
フェリペ・スコラーリです。
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偉大なるニュースター・ミッコリ |
さて、ポルトガル戦前夜の
トラパットーニ監督は災難をかかえていました。
アズーリの優秀な選手の何人かが、
怪我などで出場不可能だったのです。
ヴィエリ、デル・ピエロ、トッティが使えませんでした。
どんな敵でも恐い者なしといえる、
断然勇敢なこの3人が!!
この困難を前にして、
トラパットーニの以前のような監督魂が目を覚ましました。
彼は3人の新人をナショナル・チームに呼び込みつつ、
彼のベストを尽くしました。
呼ばれたのはカモラネージ、コラーディ、ミッコリです。
カモラネージはアルゼンチンの出身ですが、
アズーリのシャツを着てプレイするために
イタリアに帰化した選手です。
コッラードは若く才能豊かなセンター・フロントで、
ミッコリはイタリア・サッカーの偉大なる
ニュー・スターです。
大都市ではないペルージャでプレイしているものの、
ミッコリのテクニックの才能は桁外れです。
そのテクニックの高さは、
1994年W杯のヒーローだった
ブラジルのロマリオと並べる人もいるくらいです。
そして、この3人の新人こそが、
対ポルトガル戦で大活躍しました。
カモラネージはスピードで、
ミッコリはファンタジーで、
コラーディはパワーで、
人々を満足させたのでした。
ミッコリの荒っぽいシュートを
キーパーがはじき返したあと、
コラーディがゲームを決めるゴールを蹴り込みました。
トラパットーニは笑顔を取り戻し、
イタリアは勝利を取り戻しました。
たぶん勝利だけではありませんね。
3人の最強の選手も見つけました。
特にミッコリには素晴らしいキャリアが
運命づけられているように思えます。
彼にはすでに、ペルージャからユーヴェヘの移籍が
予定されています。
6月に移動するでしょう。
ミッコリ!!
イタリアのティフォーゾたちに夢を見させてくれる、
新しい名前です。
訳者の一言 |
「艱難汝を玉にす」というところでしょうか。
イタリアの諺では
Le dure prove forgiano un vero uomo.
きつい試練が真の人間に鍛えあげる。
艱難汝をダメにす、
と言いかえた友人もいますが・・・ |
翻訳/イラスト=酒井うらら
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フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!) |