泥棒から始まった幸運。
さてその結末は‥‥!?
こんにちは、フランコです。
この文章はミラノの自宅で書いていますが
書き終わったら僕はいよいよ旅支度!
3週間のバカンスの準備をしなくちゃね。
日本の雨季はまだ終わっていませんよ、
というメールをいただきましたが
どうやら涼しいらしいですね。
こちらは猛暑。それだけでも嬉しいです。
この文章が掲載されるころには、
僕はもう仙台にいるはずです。
来週の僕に宛てて、手紙を書いているような気分です。
さて、今日は「涙」のお話です。
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一夜の事件が彼を変えた。
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「インテルが君と契約すると決めたよ」
と聞かされて、
涙をぽろぽろこぼして喜んだ選手がいました。
彼はそれまで、悪夢のような時期をすごしてきました。
だから、
「ああ、やっと僕をサッカー選手として
思い出してくれた人がいたんだ」
と、泣かずにはいられなかったのでしょう。
だって、彼はサッカー選手としてより
「恥ずかしい事件の主役」として、
有名になってしまっていたのですから。
彼の名はカリル・ファディガ。
セネガルの選手です。
事件がおきたとき、彼は
セネガルのナショナル・チームの一員として
W杯参加のために韓国に滞在していました。
国を代表するチームの選手だったんです。
事件は2002年6月の、
まさに韓国滞在中におきました。
ある晩のこと、セネガル・チームの宿泊先に
警察がやってきます。
ファディガを窃盗の罪で逮捕する、というのです。
警察は証拠として、
ある宝石店の防犯カメラがとらえた映像を
突きつけました。
おどろいたことに、そこには間違いなく
ファディガが映っていたのです。
防犯カメラの映像には、
彼がショーケースのひとつに近寄り、
あたりを見回してから
金のネックレスの一本を
ズボンのポケットにねじ込むまでが、
しっかりと、映し出されていました。
これを見せられた彼は震えました。
言い訳も、逃げることもできません。
自分の行為に恥じ入り、
死にたいとさえ言ったそうです。
いっそ消えてしまいたい。
とさえ、思ったことでしょう。
彼の、あまりの猛省のようすに、
その宝石店の主人は、心を動かされました。
宝石店の主人は、
ファディガがネックレスを盗んだのは、
欲しかったからというよりは、
子供っぽい虚栄心から
悪をきどってみたりすることで、
自分をアピールしてみただけだ、と考えました。
熟考のすえ、宝石店の主人は訴えを取りさげました。
そして、なんと、韓国でのその夜から
彼の運命が大きく動き始めたのですから、
人生って、わからないものです。
フランスのぱっとしないクラスの試合で、
1ゴール決めるのがやっと、
みたいだったファディガを、
あのインテルが買うというのです。
それも、サッカーの大舞台である
カンピオナート(イタリア国内リーグ)に
出すというのです。
ファディガにとっては、
ありえないはずのプレゼントです。
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そうは問屋が‥‥卸すか卸さないか。 |
彼は勇んでイタリアにやってきました。
新しいティフォーゾ(サポーター)たちに会い、
インテルのマッシモ・モラッティ会長には
スクデット(イタリアのリーグチャンピオンのしるし)を
勝ち取ってみせると豪語するほど、おお張りきりでした。
スパゲッティと
スーパープロフェッショナルなサッカーと
「甘い生活」の国、イタリアでの新しい人生!!
これが泣かずにいられましょうか?!
彼は悪夢からうってかわって、幸せの絶頂にいました。
ところが、ところがです、
イタリアというのは
スポーツをする人にとって、
医療のチェックの厳しいこと
このうえない国でもあるのです。
おそらく世界一、慎重なチェックでしょう。
なかでもインテルの医療チェックの細かさは、
はんぱじゃありません。
実際に、1998年にはアルジェリアのマジェール選手は、
「ほかではどうか分からんが、
イタリアでプロとしてプレイするのは無理」
と診断され、母国へ送り返されました。
1996年にはナイジェリアから来たカヌが、
「心臓奇形」という診断を受けました。
この時には、モラッティ会長のひとことで、
たいへんに難しい心臓手術を受けるために、
カヌはアメリカに送られました。
モラッティ会長のひとこととは、
費用は全額インテルが支払う、というものでした。
その結果、アメリカでの手術を受けられたカヌでしたが、
イタリアへ帰ってきたときに、
イタリアの医者たちがくだした判断は、
「どうにもこうにも、やっぱり
イタリアでプレイできる状態ではない」
だったのです。なんとまあ、残念な結果でしたね。
カヌは結局、イギリスに移りました。
イギリスでは健康管理の責任は
すべて選手本人に課せられるのです。
したがって、医者の許可書などは必要ありませんから、
イタリアではだめでも、
イギリスでなら選手として通るわけです。
さて、さきほどの、おお張りきりの
カリル・ファディガ選手ですが、
彼も医療のケアが必要と診断されてしまいました。
それも、お金のかかるケアだということでした。
またお金がかかる話ですね。
しかも結果はカヌの場合のようなことに
ならないとも限りません。
でも大丈夫。
インテルのマッシモ・モラッティ会長は
とてもお金持ちの石油業者です。
そしてそれよりも先に、
まるでルネッサンス時代の長者さまのように、
おおらかな男です。
モラッティにとって基本的なこととは、
人間を大切にすることです。
まず大切なのは人間の命の尊厳というものであり、
まあ、その次にサッカーでも上手ければ、
それに越したことはないという
考えの持ち主なんです。
ファディガを選手として買ったのではありますが、
モラッティにとってはファディガが
「インテルに初めてのスクデットを、
このモラッティが会長の時期にもぎとってくる選手」
であるかもしれないことより、
「治療の必要な人間」
ということのほうが重大なのです。
つまり、損得ぬきで
友を助けられる立場にあることのほうが、
「万が一スクデットを勝ち取ったら、いばれるぞ!」
なんてことより、モラッティにとっては大切なのです。
で、もちろんファディガは全額をインテルの支払いで、
治療を受けました。
こんなにおおらかでは、
今年もインテルはスクデットを取れないかな・・・
でも、なにやってんだか、と、
あきれる人ばかりではありません。
イタリアは人情も豊かな国ですからね。
人々の共感を呼ぶということでは、モラッティさん、
ダントツ1位でスクデットものですよ。
訳者のひとこと |
文中の「甘い生活」とは、
今はなきフェデリコ・フェリーニ監督の
1959年の名画のタイトルです。
主演は、これもすでに亡くなった、イタリアを
代表する名優マルチェロ・マストロヤンニ。
舞台はローマで、しがないゴシップ記者になりはてた
作家になりたかった男が出くわす、
甘いこと辛いことなどなど、を描いています。
デカダンス色も強いものの、ローマの魅力を
描いてこの上をいくものはない、とさえ
いわれる名作中の名作です。
この映画いらい、イタリアならではの
「清らかなだけではない魅力」にあふれた、
自由奔放な日々を、こう呼ぶようになりました。
La Dolce Vita
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翻訳/イラスト=酒井うらら
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