フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

仙台に到着しました。そして‥‥!!!


僕が、まさに仙台に着いたその夜、
僕は僕の知らなかった、もうひとつの日本から、
思ってもみない手荒な歓迎をうけてしまいました。

地獄からまっすぐに届いたかのような、
人を凍り付かせるうなり声、まるで悪魔が現れて
あらんかぎりの悪意をこめて、全世界にむかって、
叫んでいるみたいでした。

僕は、日本にこんな面があるとは知りませんでした。
いや、知識では知っていましたが、
想像はできませんでした。
それを、僕の愛するこの日本での
バカンスが始まるやいなや、
学習することになったのです。

僕の知っている4月の桜や生け花、
日本中の街にある美しい庭園、
空のいちばん青いところを映す
富士山の詩情あふれる横顔、
‥‥などとは全く別の、日本のもうひとつの顔。

それは、地震でした。

怖い、とか、そういうレベルを超えてました。


バカンスにやってきたこの7月の夜、
この愛すべき仙台で、
僕は初めての大地震を体験し、驚愕しました。

おそろしくてパニックになった、
というのではありません。
なにかもっと正確で過不足のない、
はっきりと奥深い印象をうけて、僕はおどろきました。

僕は仙台についてすぐ、
もう夜中の12時を過ぎていましたが、
24時間営業のコンビニに、買い物に行きました。

買った物の支払いをしようとレジのところに居た時です、
なんだか酔っぱらっているような
不思議な気分におそわれました。

一緒にいた友人のMさんを見ると、
彼も不安げな表情です。

そして彼は僕にむかって、べつに叫ぶでもなく冷静に
「フランコ、通りへ出ろ、地震だ。」
と言うのです。

その言葉が終るか終らないかに、
地球の内臓から響いてくるような
無気味な音が轟きはじめ、僕は総毛立ちました。
どう言ったらよいでしょうか、
まだ青いリンゴをかじる時の
歯のきしみのような嫌な音が聴こえ、
そのリンゴが口を満たす
酸っぱさみたいなものさえ感じました。

悪魔の叫びだ、と僕は思いました。
これは、悪魔の叫び、そのものだ、と。

その時は10秒ほどで静まったでしょうか、でも、
僕のからだにその記憶を刻み込むには、それで充分でした。

10分後には、僕らは、
このバカンスのために借りた部屋に
(4階にあります)、もどっていました。
Mさんも、仙台初日にこんな驚異の歓迎を受けて
かなり動揺しているぼくを気づかって、
いっしょにいてくれることになりました。
けれど、ショックのせいか僕が眠りについたのは、
夜が白々と明けかかったころでした。

数時間は眠ったでしょうか、
次の揺れがきて目が覚めました。
そして、こんなふうに目が覚めてしまうのは
悪夢にうなされるより酷いと、
僕は思い知らされました。

先ほどの、コンビニでの揺れより、
もっと力強い揺れでした。

床が波打つように動いていました。

Mさんはまずドアを開けたままにし、
ガス栓を閉めに走っています。

キッチンでは冷蔵庫が
バランスを崩そうとしていました。
僕は青ざめたまま、あたりを眺めていました。

逃げようとも、外へ出ようとも、
なにも考えていませんでした。

朝の7時13分をまわったころに来た、
リヒター震度でいうと
6・2ほどの、この大きな揺れは30秒ほど続きました。
30秒を、これほど長く感じた事はありません。
僕には永遠ともいえる長さに思えました。

僕は金縛りにあったみたいに、動けないでいました。
怖い、というような感覚ではなかったと思います。

むしろ、まるで別世界から押しよせてくるような
新たな地獄の声が僕の脳みそにはいりこんで、
僕を完全にブロックしている、という感じでした。

骨がゼリーのようにふにゃふにゃして、
立ち上がれません。
意識はしっかりと冷静なのですが、
神経のコントロールが、ぜんぜん効きません。
立ち上がっても、すぐ転んでいたでしょう。

やがて、まるで魔法から覚めたように、
一瞬にしてすべてが何ごともなかったかのように、
いつも通りの状態にもどりました。

僕は窓から顔を出して、外を見てみました。
あいかわらず冷たい雨が降っています。
この建物の窓の下を流れる広瀬川は、
雨のせいで、また水位をあげたようです。
道路には、いつものように車が行き交っています。
Mさんはといえば、とりたてて何も変わったことのない
朝とかわらず、テレビをつけて見ています。
それから、彼の御両親から電話がかかってきたらしく、
僕が初めての大地震で驚いていないかと、
聞かれているようでした。
この様子を見ていて、僕はなにかを理解しました。
ひらめくように「解った」と思ったのです。

ありがとう、僕は大丈夫ですよ!


ああ、そういうことだったんだ、
僕はこれを知らないでいたんだ。
日本を知っていると思っていたけれど、
それだけじゃなかったんだ、
と思いました。
ほんの一晩の経験から、僕はほんとうに多くを知りました。

日本の、自然にたいする果てしない愛情がどこから来るのか。
ヨーロッパ、少なくともイタリアでは出会えない、
自然にたいする「総体的で完璧な」愛情は、何なのか。
僕は理解できたと思いました。

自然が与えてくれる美しい表情、春の日射し、庭園の花、
森の緑、空の青、海の美しさなどを、
ただ愛するというのではなく、
愛さずにはいられないというふうに愛する日本。

その裏には、自然が見せる「地震」という、
もうひとつの顔があったのですね。
その残酷さを知っているがゆえに、
自然のいちばん美しい顔を愛さずにはいられない
日本の感情というものを、僕は理解できた気がします。

美しく恵み豊かな自然のいちばん根っこにいすわり続ける
吉凶、美醜、その葛藤をかかえる日本・・・

裏に潜むいちばん醜い顔を知っているがゆえに、
その存在の最も美しい面を愛する。
これは出来るようでいて、なかなか出来ません。
「地震国」という宿命が日本人の愛情を育んだ、
と言えるでしょう。
ジャーナリストとして僕が訪れたほかのどの国でも、
出会ったことのない「愛情」ですから。

最後になりましたが、お見舞いのメールをくださった
皆さんに、ここでもお礼申し上げます。
ありがとう、僕は大丈夫ですよ!!
Sto bene, grazie!!

訳者のひとこと

被災地のみなさん、大変でしたね。
どうぞ、お大事に。

今週は、私からは何も申し上げません。
フランコさんの思いを、じっくりと
お読みください。

あ、ひとことだけ。
イタリアも火山国なのですが、
日本のような日常的な地震は、ほとんど
ありません。
そこが日本と少しちがう状況です。

翻訳/イラスト=酒井うらら


フランコさんのくわしいプロフィールはこちら、

フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!)

フランコさんへの感想などは、
メールの表題に「フランコさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2003-08-04-MON

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