シェヴァ、ひとりの男。
その夜、彼はヨーロッパで最も重要な意味をもつカップを、
星空にむけて高々とかかげました。
彼のほほには、涙があとからあとから、
いくすじもこぼれ落ちました。
彼は頭をさげ、その銀製のカップを
オールド・トラフォード競技場の芝のうえに、
静かに置き、涙にぬれた目を両手でそっと被いました。
泣いているところをヨーロッパ中の人に
見られたくなかったのです。
それは去る5月28日のことでした。
「彼」とは、シェフチェンコ選手のことです。
UEFAチャンピオンズ・リーグの決勝戦で、
ミランの優勝を決定的にしたのは
彼のペナルティー・キックの成功でした。
幸せの絶頂で彼は、彼の師匠であり
ディナモ・キエフの監督であった
ロバノフスキー氏を思い出していたのです。
数週間まえに亡くなったこの師匠に、
シェフチェンコはこの最高に大きな
勝利を捧げたいと思って、
カップを星空にかかげたのです。
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師・ロバノフスキーに捧ぐ。
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シェフチェンコは所属するACミランの
ティフォーゾ(熱狂的サポーター)から、
「シェヴァ」と、
親しみのこもった呼ばれ方をしています。
シェヴァは、チャンピオンズ・リーグ優勝のすぐあとで、
キエフの墓地に行きました。
そして、ナンバー「7」のシャツを、
師匠ロバノフスキーの墓の上に着せかけました。
彼にとって最高に素晴らしく、大切で、
だれから見ても最高位を意味するトロフィーを
勝ち取ったときに着ていたシャツでした。
ロバノフスキーはどこからこれを見ていたでしょうねえ。
サッカーの天国?
それともどこかほかの場所から?
いずれにせよ、彼はどこかできっと元気にしていて、
シェヴァを祝福していたに違いありません。
あのマンチェスターの夜以来、
彼の愛弟子シェフチェンコは、
世界にその名をとどろかせる
偉大なサッカーの星のひとりになったのですから。
シェヴァの大活躍は、まだまだ続きます。
こんどは8月29日のこと、
場所はモナコ公国の競技場です。
とても人々に慕われている
モナコの「白馬の王子様」こと
アルベルト王子も観戦に来ていました。
チャンピオンズ・リーグ勝者とUEFA杯勝者の決戦であった
この日の試合も、シェヴァが決めました。
ポルトとの対戦となったこの試合を制し、
ヨーロッパ・スーパー・カップを
ACミランにもたらしたのは、
シェヴァの目のさめるようなゴールだったのです。
この勝利も、彼は亡き師匠にささげたのでした。
試合直後にシェヴァは、感動でしゃがれてしまった声で、
心の底の感情を表す言葉がみつからないというふうに
口ごもりながら、こう言いました。
「彼は僕を、選手としてというより先に、
男として育ててくれたんだ・・・」
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トヨタ・カップでは
シェヴァをお見逃しなく! |
さて、イタリアの国内リーグ戦であるカンピオナートは、
政府の介入などですったもんだの挙げ句に、
イタリア首相ベルルスコーニのチームである
ACミランの新シーズンは9月1日月曜日に、
一足遅れてスタートしました。
シェヴァはこの試合でも2ゴールを決め、
アンコーナをおさえてシーズン開幕戦を勝利で飾りました。
その時の群集の歓喜のどよめきのすごさは、
まさにシーズン開幕戦にふさわしい盛り上がりぶりでした。
東方からやって来てからずっと、ベルルスコーニの
お気に入りのこの青年、シェヴァの圧倒的な勝利!!
彼が言ったように、彼の師匠はこの青年を
すばらしい男に育てたようです。
シェヴァはサッカー界には
希有な存在といえるでしょう。
いまやこの世界では良い教育は
出世主義にその座を奪われ、
金銭への愛が幅をきかせて、
人間性の最後の影すら薄くなってしまいました。
そんな中でシェヴァは同僚の多くとは違い、
フェラーリをこれみよがしに乗り回したりも、
女優やダンサーと華々しく婚約したりもしません。
お酒だって飲めないんです。
ディスコ通いにも、興味はなさそうです。
彼は「お隣の家」にでも居そうな青年なのです。
こういう息子がいてくれたら、弟や兄さんだったら、
と夢見る人も続出です。
若者たちにとっては、
数少ない「模範」のひとりです。
情感も豊かです。
人から受けた恩は、決して忘れません。
彼を成功へと導いてくれた人には、
彼の出会う最も美しい感動をささげようとします。
「ロバノフスキーが、もういないのは寂しい。
僕には、まだまだ彼が必要でした。
僕が希望を失いそうな時も、悲しいことがある時も、
影のようによりそって、力を与えてくれる人なんです」
そんなロバノフスキーに、
シェヴァは、サッカー選手にとってこの上なく偉大な、
次のトロフィーをささげようとしています。
「11月の終わりに、日本でトヨタ・カップが待っている。
サッカー選手にとっては本当に重要な試合なんだ。
世界一強いクラブ・チームが決まるんだからね。
でも僕は、勝っても負けてもピッチを後にする時には、
ロバノフスキーを思って、彼に感謝するだろう。
もし負けても、彼はきっと僕を誇りに思ってくれるに
違いないんだ。
だって、彼がこう教えてくれたんだ。
闘え、お前の全部を試合に与えろ。
そうすれば、たとえ負けても後悔することは何も無い。
僕は、そうするよ。
彼の弟子としてね‥‥」
みなさん、トヨタ・カップでは、
シェヴァをお見逃しなく!!
訳者のひとこと |
イタリアは日本と同じく
四季があって、情緒的にも
国民性が似ている、と言われます。
日本のほうが以心伝心とか言って、
言わなくても分かるだろう的な面は
強いですが。
私の経験から思うに、
ケンカする、と、慰める、の
この相反するようなことの両方とも、
イタリア人は天才的に上手です。
夫婦の場合のことは、知りませんけど。
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翻訳/イラスト=酒井うらら
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