フランコさんのイタリア通信。 |
バッジョ、記念すべき200ゴール! 先日のパルマ対ブレシャの試合で、 記念すべきゴールが達成されました。 決めたのはロベルト・バッジョ、 ブレシャの選手ですが、 そのゴールのせいで勝利をのがした 敵側パルマのティフォーゾたちさえも立ち上がり、 やんやの喝采を贈ったのでした。 喝采は3分間も続きました。 試合の途中で! なぜならば── ロベルト・バッジョが達成したのは、 セリエAの試合での通算200本めのゴールだったからです。 試合を2対2で引き分けさせたゴールでもありました。 でも、パルマのティフォーゾたちにとっても このゴールに立ち会えたのはラッキーでしたね。 本物の詩のようでもあり、 サッカーのゲームを高貴で芸術的なものに高める、 バッジョのゴールの雄々しい動きそのものを、 目の当たりにできたのですからね、 サッカー好きが喜ばない訳はありません。
イタリアサッカーの歴史上で、 彼より前に200本のゴールを達成したのは たったの4人だけです。 しかも、その4人はセンター・フォワードの 選手たちでした。 つまり、全チームが彼にゴールさせるために働いていると いえるポジションにいて、 ゴールすることを運命づけられている選手たちなのです。 でもロベルト・バッジョは センター・フォワードではありません。 ミッド・フィルダーでもディフェンダーでもなく そしてキーパーでもありません。 そう、つまり彼はファンタジスタなんです。 バッジョが試合に向かう時、 かつてのマラドーナやペレがそうであったように、 何をやってでもゴールして勝たなくては、 という思いで頭がいっぱいということはありません。 サッカーにおいて大切なのはゴールと勝利だけ、 と言わんばかりの選手とは、違います。 こういうタイプの選手を、 あまりに安易に、地味なポジションだから 格下というような判断をしてはいけません。 マラドーナ、ペレ、バッジョのような選手は、 観る人に感動を与えるためにピッチに入るのです。 モーツァルトやゴッホが、 彼らの人生を芸術に捧げたのと同じようにね。 モーツァルトの音符のひとつひとつは、 どこから来たと思いますか? 表現すること、 まったく他にない感動をみつけることを望んだ、 特別に優れた個性から生まれて来たものです。 そう、モーツァルトという、 音楽にたいして完璧に純粋な魂から生まれたのが、 彼の音楽です。 ゴッホの絵の一筆一筆も、 彼の魂の叫びですね。 彼の場合は繊細すぎました。 ふつうの人間には理解できなかったのです。 その苦しみは叫びとなって、 彼の絵に塗り込められました。 苦しみのうちに自ら死を選んだゴッホは、 生前は認められず、極貧の暮らしでした。 今では桁外れの値が付く絵を、 200枚以上も描いたのにね。 彼らは神々しい音楽そのものでした。 モーツァルトの音符やゴッホの色は 天国を知っていました。 バッジョは、その足でボールをなでるように、 しなやかに扱います。 それはまるで素晴らしい音楽のようでもあり、 誰にもできない彼だけの絵を 描くようでもあります。
ロベルト・バッジョは、 サッカーを愛するすべての人々、 本当にすべての人々から愛されています。 何人かの監督は例外ですが‥‥ 監督たちの中には、 バッジョの人気と才能に嫉妬する人もいるのです。 そういう監督たちは、想像力(ファンタジア)よりは 固い幾何学的なサッカーに彼を適合させようとします。 そのために、 バッジョの自由で詩的な発想を止めてしまうのです。 結果、彼は多くのチームを転々としました。 そのたびに、彼に去られたチームの ティフォーゾたち誰もが、 彼の移動をなげいたものです。 僕はご覧のとおりのジャーナリストで、 1965年からサッカーの試合を観ています。 ですから、いろいろな場面に出会いました。 敵のチャンピオンたちを野次る、 ティフォーゾたちのブーイングも山ほど聞きましたが、 バッジョを野次る声は聞いた事がありません。 彼が人間としていかに愛されているか、 このことからもお判りでしょう? カンピオナートの、このシーズン終りの 対ミラン戦を最後に引退すると、 彼が昨年の暮にテレビで表明したことを、 僕はここで報告しましたね。 その運命の午後、 このままで行くとミランがリーグ優勝するでしょうから、 17個めのスクデットを勝ち取っているであろう ミランのチャンピオンたちに、 ティフォーゾから盛大な喝采が贈られることでしょう。 でも、その時に叫ばれる選手の名前のなかには、 バッジョも必ず入っているはずです。 シェフチェンコ、インザーギ、マルディーニたちの 名前も叫ばれるでしょうね。 本当に引退しちゃうんでしょうか‥‥バッジョは? 200本めのゴールの後で、 「僕は、アテネ・オリンピックで プレイする夢を、まだ持っています」 と言っていましたから、 彼が考えを変えてくれると良いのですが。 これに関しては、 もしイタリアのサッカー・フェデレーションが バッジョを受け入れてオリンピック出場を認めたら、 それは愛の表現だと言ってよいでしょう。 なんといってもサッカー界は、 ロベルト・バッジョから いろいろいっぱいもらった割には、 彼へのお返しがあまりできていないと、 僕は思うのですよ。 彼の夢を実現させてあげても 良いのではないでしょうか。 バッジョのおかげで、イタリアのサッカー界が 生かされていた部分も多いのですから。
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2004-03-22-MON
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