フランコさんのイタリア通信。 |
2004年3月21日、日曜日、21時19分 そのときローマで何が起こったか? それはゲームの後半戦が始まって 1分半がすぎた時のことでした。 満員のスタジアムを、 唐突な静けさが包みこんだのです。 その瞬間まで ローマとラツィオは良いゲームをしていました。 ピッチにいたチャンピオンたちは、 トッティからスタン、 カッサーノからエメルソンまで、 気合いの入ったスペクタクルを展開していました。 なにしろそのゲームは ダービーとよばれている、 同じ街のチームどうしの対戦です。 それもローマ、 イタリアの首都のダービーですから、 お約束どおりの盛り上がりを見せていました。
その日その時、 2004年3月21日、日曜日、21時19分は、 イタリアサッカーの歴史にしるされるでしょう。 そしてその場所、 ローマのオリンピコ競技場にいた8万人の観客は、 熱狂的に応援するのを一瞬やめ、 前代未聞のシーンに立ち会うことになります。 ティフォーゾの中でもさらに熱狂的な、 ウルトラスとよばれる人々がいるのですが、 ローマのウルトラス4人が柵を乗り越え、 フィールドに入り、 彼らのもっとも愛するアイドルである トッティに何か言いました。 審判は競技を中断しました。 その何かを聞いた選手たちの顔には 苦しみの表情がひろがり、 動きも止まったままになりました。 ローマのウルトラスたちは トッティにこう言ったのです。 「ゲームを止めてくれ、 警察が男の子をひとり殺した。 スタジアムの外では凄い騒ぎになっている。 ゲームを止めてくれ、 そうしなければあなたたちは みんな酷い目にあうことになる」 トッティはこれを仲間たちと ラツィオの選手たちに告げ、 テレビは、 すでに涙で縞模様のついてしまった カンデラの顔をアップで映しました。 男の子が殺されたって?! 選手たちは繊細です。 みんな顔がひきつっています。 審判は試合は続行されるべきだと すぐに判断しました。 特別席からは、 すぐに内務省と連絡をとったのでしょう、 イタリア警察のボスも出てきました。 そして警察のボスも選手たちに、 ゲームを続けるべきだと言います。 審判は、リーグ会長でありミランの副会長でもある アドリアーノ・ガッリアーニと、 電話で話しているようです。 電話で報告を受けたガッリアーニは、 試合を続ければ騒ぎが大きくなるだろうと判断し、 ゲームを中止するように審判に命じました。 そして競技場のスピーカーからは こんなアナウンスが流れました。 「警察長官が皆さんに告げています。 子供が殺されたというのは事実ではありません、 でっちあげの情報です」
そのころ競技場の外では、 なんと、ウルトラスたちと警察とが、 まさに闘いをくりひろげている真っ最中でした。 それはもう大変な騒乱でした。 車は燃やされるし、 けが人は出るしで、 損害は25万ユーロにも及びました。 結局ゲームは中止となり、 トッティはまっすぐ警察署に連れて行かれ、 事情を聞かれます。 彼は、あのティフォーゾたちの顔を知っていること、 彼らが子供の死のことをトッティに話したことを 説明しました。 トッティにしてみれば、 訳が分からなかったことでしょう。 この騒ぎは翌日には大論争に発展します。 内務省の大臣は、 自分はゲームを中断しないように命じたのに 結局は中止されたのですから、 自分は飛び越されたと感じました。 そして、ゲームの中止を命じた サッカーリーグ会長のガッリアーニを、 独断的な行動をとったと非難しました。 おれの面子をどうしてくれる、 というわけです。 しかしながら ガッリアーニは彼よりも、うわ手でした。 審判に中止の命令を出す前に ベルルスコーニに電話で相談していたのです。 ベルルスコーニは、 ミランの会長つまりガッリアーニより上の存在であり、 かつイタリア政府の首相です。 つまり内務大臣より偉いのですから、 内務大臣が騒いでも怖くありません。 こうして、 この試合を放映していた世界の国々に、 イタリアサッカーの最悪の顔が 見せびらかされてしまいました。 圧倒的な権力の構図と暴力とで成る イタリアサッカーの裏の顔、です。
でも、なんであのウルトラスたちは 殺された子供の話をでっちあげ、 トッティを巻き込んでまで、 あんな騒動を起こしたのでしょうか? 何回も書くようですが、 ラツィオとローマは借金だらけです。 このままでは、条例に従えば 次期のカンピオナートに登録できません。 しかしこのことについて、 例のベルルスコーニが ミラノの彼のテレビ局であるテレノーヴァで、 土曜の夜に、こう表明しています。 「我々は危機に立っている組織も カンピオナートに登録させて、 彼らを助けようと思う。 さもないと彼らは暴動をおこすだろう」 後に本当に騒乱をおこすことになる ローマとラツィオのティフォーゾたちの脅威に、 一国の宰相があらかじめ屈服している格好です。 「試合が中断されたのは 後半戦開始後1分半のことだった」と、 僕は最初に書きましたね。 ここにはとても単純な理由があります。 後半戦が始まってしまえば、 両チームに、つまりこの場合はローマとラツィオに、 入金された金は返却しないで良いという条例があるのです。 ティフォーゾたちはチーム存続を望んでいるのですから、 チームの財政難の足をひっぱりたくはないという次第です。 中断されたローマ・ダービーは、 続きが行われるのか、 いつ行われるのか、 もしかして門を閉じた競技場で、 要するに観客ぬきで行われるのか、 とにかく今のところなにも分かりません。 まったく、美しいじゃありませんか。 これが今日のイタリアと、 イタリアサッカーの姿なんです。 ティフォーゾの暴動をおそれ、 その脅しにへこむ首相、 ゲームの順調な展開をさまたげるウルトラス、 そして警察はいつも間で非難をこうむっています。 暴力と権力の泥試合です。 それぞれの内側もまた、ドロドロです。 借金と暴力に満ちあふれてしまった サッカー‥‥ イタリアは、 なんて堕落してしまったんでしょう。
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2004-03-29-MON
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