フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

2004年のカルチョ・メルカート、
昔日のなつかしきカルチョ・メルカート。


カルチョ・メルカートが始まりました。
サッカーのもうひとつの夢の祭典が、
イタリアで今年もまたスタートしたのです。
カルチョ・メルカート、
英語にすると「サッカー・マーケット」
ということになりますね。

選手やチーム会長の動向は
イタリアでは大注目されていますから、
サッカーのニュースが政治色の強い新聞で
トップをかざることも、珍しくはありません。
ことによるとイラク紛争や原油の価格上昇の問題などを、
押しのけているかもしれません。

カペッロ監督が、
ユーヴェと契約だって?!


5月28日、金曜日、
イタリアでいちばん売れている日刊紙の
コリエレ・デッラ・セーラ紙だけが載せた、
2004年度メルカートの最初の衝撃的なニュースに、
あらゆる期待と予想がひっくり返されてしまいました。

ローマのファビオ・カペッロ監督が、
ユーヴェと契約したのです。
ユーヴェは数週間前に、
すでにマルチェッロ・リッピ監督との契約を
破棄してはいたのですが、
そこへカペッロを迎え入れようとは!!

なぜこのニュースが衝撃的なのか?
実はファビオ・カペッロが監督していたローマは、
ユーヴェとは歴史的に宿敵なのです。しかも、
さらにそれ以前に彼が監督したACミランは
ユーヴェの宿敵です。

まさか彼が宿敵ユーヴェに移ろうとは、
だれも予想していなかったことでした。
このニュースが、FIATの社長であり
ユーヴェのオーナーでもあるウンベルト・アニェッリの
訃報の数時間後に発表されたのも、衝撃的でした。

カペッロはかつてレアル・マドリードを率いて、
スペインのカンピオナートで優勝しています。
イタリアではACミランとローマに、
イタリア国内リーグ優勝の
スクデットを取らせています。
イタリアの監督たちの中でも勝ち組であり、
高名で有能ですから給金も高い監督です。
経営難におちいっているローマは、
彼を手放すしかなかったのでしょう。



この衝撃の移籍騒動で、
今年のカルチョ・メルカートが始まりました。
どうも、のっけから波瀾の気配がします。

みなさんの中には、
もうこのニュースをご存じのかたも
いらっしゃるでしょう。
今ではニュースは一瞬で世界を走りますからね。
でも、メルカートをとりまく状況は、
以前はどんなだったと思いますか?
ちょっと昔の話をしてみましょう。

古きよき時代には‥‥なんて
言いたいわけではないけれど。

今はファックスやら何やらがくっついてたり
子機が無線で使えたりする電話機が、
まだ白いシンプルな、コードつきの、
ダイヤルを指で回してかける、
でっかい音で鳴り響く「電話機」で、
携帯電話が囚人護送車のようにバカでかかったころ、
ミラノ中央駅近くにある大ホテルのヒルトンと
ガッリアの間の歩道は、この時期、
チーム会長やジャーナリストや、
おまけにドラァグ・クイーンみたいな女装の連中やらで、
ごったがえしたものでした。
ホテル・ミラノフィオーリのまわりでは、
これまたバカでかくて雀かというくらいの蚊の群れが、
ピラニアみたいにがっついた様子で怒り狂っていました。
そんなふうにして、僕ら記者は
会長や選手たちを待ち伏せし、
カルチョ・メルカートのゆくえを記事にすべく
取材攻勢をかけていたのです。
その頃のカルチョ・メルカートが僕らに与えてくれた
密度の濃い驚きは、
まるで子どもが童話を聞いていて
意外な残酷な展開に不意をつかれるような、
そんな驚きだったのです。

「ひとつのニュースのためなら、
 僕はどんな覚悟だってある。
 真実を書くことについても。」

これは、僕がメルカートについて書き続け、
「ベテラン記者」になってからの25年の間ずっと、
僕のモットーでした。

ニュースがない時は、辛抱強く探しました。

そして、時々は‥‥強引に見つけだすのです。
全くのゼロから発明するわけではありませんが、
まあ、それに近い状況もありました。

重要なのは、
記事に真実味があることなのです。

新聞の編集長は、
一日に一件のトップ見出しを要求します。
トゥットスポルト、レプッブリカ、
コリエレ・デッロ・スポルト、イル・ジョルノなど、
多くの日刊紙に僕はメルカートについて書きました。
白状してしまいますが、実は、
まったくの想像で書いたこともあります。

または、もっと単純に、
ききかじった「声」に賭けて予想記事を書き、
何回かは無事に的中させました。

カルチョ・メルカートでは、
こんなことは以前は
ほんとうによくあったことなのです。

いや、時代が変わっても、今もあることです。
実際のところカルチョ・メルカートの「真の達人」とは、
ひとつの真実を全く不真面目に語ることを知っている
ジャーナリストであると言えます。
そして、彼にとって正真正銘の真実とは、
でっち上げることのできる(または見通しのつく)
事柄なのです。

本物のメルカート・ジャーナリストは、
締め切りに追い立てられていて、
時間に余裕があると、
かえって良い記事を書けなかったりするのです。
編集長は、しょっちゅう電話口で怒鳴っています。
「早く見出しをよこせ!!」ってね。

本物の達人は、何も言う事がない時に書き、
何か書くから言う事もでてくるのです。

メルカートに関わろうものなら、
ありったけの知恵も力も使い果たすことになります。
それくらいの大仕事なのです。

そんな時に、ものを言うのが「経験」です。
それと、共に働く仲間の誰かが助けになってくれました。
共犯者みたいな感じでね。

誰かと団結するのは、
孤独から抜けだしたい時ばかりではありません。
常に信憑性があるわけではないニュースに、
どうやって信憑性を与えるかの知恵を出し合えるのも、
団結のなせる技というものです。

ずいぶんと大胆ではありましたが、
詩的でロマンティックなあの時代は、
もう戻らないでしょうねえ。

今日では、インターネットへ行けば、
どの選手がどこのチームへ行くのか、
何人の代理人がついているのか、などの情報をくれる
専門的なエージェントがいて、
それで事は片付いてしまうのです。

情報をいくつか、かき集めれば事足ります。
いいかげんにやったとしても、
記事の準備はできてしまいます。

電話やウェブでの調査が大流行するのも
うなずけます。

www‥‥を入力するだけで
多くの問題が解決してしまうのですから、
巨大な蚊の群れと闘いながら
会長や選手たちをホテルで待ち伏せる必要も、
ないってものです。

でも、そこにはもう、
かつてのロマンティシズムはありません。
詩が、ありません。
カルチョ・メルカートを変えただけでなく、
僕らの人生をも変えたインターネットがあるだけです。


訳者のひとこと

フランコさーん、
インターネットがなかったら、
このコーナーもありませんよ〜。
ファビオ・カペッロさんのカペッロは、
髪の毛(単数)の意味です。
ファビオ・一本髪さん?!?!

たくさん並んだ新聞名は、
どれもビッグなものばかりです。
レプッブリカとイル・ジョルノは
スポーツ紙ではなく、
政治面がトップの一般紙です。

翻訳/イラスト=酒井うらら

2004-06-07-MON

BACK
戻る