フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

アンダー21、アズリーニを監督する
クラウディオ・ジェンティーレのこと。


「アズリーニ」が
ヨーロッパチャンピオンになりました。

アズリーニ?
アズーリじゃなくて?
いえいえ、アズリーニは
「ちいさいアズーリ」という意味なんです。
つまり彼らはイタリアの「アンダー21」なのです。
若くてもイタリア代表チームのひとつですから、
ユニフォームは立派に「アズーリ色」ですよ。



彼らは健闘しています。
最近の7回のU-21欧州選手権のうち、
5回もチャンピオンのタイトルを勝ち取っています。
ところが残念な事に、
アズリーニが成長しアズーリになると、
どうも彼らの優秀さが
急激に色褪せてしまうように思えるんです。
まるで夜が朝に滑り込んでいくみたいに‥‥。

でも、ともかくも、
アズリーニは今、ヨーロッパの頂点にいるわけです。
彼らはドイツでの決勝戦で
セルビア・モンテネグロに3−0で勝って優勝しました。
これは、嬉しい驚きでした。
ここまですごいと思っていなかった人々に、
彼らが優秀であることを見せつける快挙です。



アズリーニは試験に満点で通ったようなものです。
そして、本物の、つまり大人の
ヨーロッパ選手権に加わっているアズーリへと、
その道を預けます。

ジェンティーレは選手時代
とんでもない選手だったんですよ。


アズリーニの監督は
クラウディオ・ジェンティーレといいます。
彼は、トラパットーニがユベントスの監督をしていたころ、
長いあいだトラパットーニの
「お気に入り選手」のひとりでした。

クラウディオ・ジェンティーレは、
とんでもない選手でした。
1982年のW杯で優勝した時のアズーリに、
類をみないディフェンダーとして参加していました。
それがきっかけで、
アルゼンチンの大スターだったマラドーナや、
ブラジルの、これも大スター、ジーコと
並び称されるほど有名になったのです。
この年イタリアが優勝したということは、
アルゼンチンにもブラジルにも勝ったということですからね。

ジェンティーレとジーコとの対決は勇壮でした。
力対天才、頑固さ対ファンタジー、
確固たる努力をめざすもの対芸術をめざすもの、
それらが真っ向から対決する闘いでした。

22年前のあの午後、バルセロナのサリア競技場で、
頑固なジェンティーレは
優美なジーコに90分間ずっとつきまといました。
ディフェンダーのジェンティーレは、
ジーコのプレイを防ぐべく、
ジーコのファンタジーの道をとざしながら、
あらゆる重要なスペースで彼を追い回し、
ほとんど息もさせないほどだったのです。

まるで、ひとたび獲物に食らいついたら
絶対に離そうとはしない、
マスティフ犬みたいでしたよ。
これが「とんでもないディフェンダー」としての、
ジェンティーレの姿だったのです。



当時の彼の課題は、
彼が想像すらできないようなプレイを
足とボールでしてしまう人々の、
天才性を台無しにさせることでした。
彼の頑固さと努力とでね。

つけねらわれたジーコとマラドーナは、
嫌だったでしょうねえ。
ジーコに言わせたら、きっと
「ありゃあ、悪夢だった」と
思い出を語ることでしょう。



監督としての才能は?
これが、なかなかすばらしいんです。


ジェンティーレは今では、
蹴ったり、まつわりついたり、先回りしたりして
相手の才能を無効にすることは、
もう課題にしてはいません。

今はベンチから指令を出す立場の彼は、
サッカーとは、自己犠牲や強情なプレイや、
相手を追い回すことだけではないと、
当時の彼よりずっと若いアズリーニに教えながら、
むしろ、いろいろな能力を暴走させないように、
指導をしています。

サッカーとは、
自身の優秀さそのものを際立たせて
他を圧倒しようとする意欲でもあります。
確かに、他人の優秀さを無効にすれば、
こちらの能力が浮き彫りになるのですが、
そればかりが最善のやりかたとは限りません。

今や監督となったジェンティーレは、
自分が選手としてとった行動と、
まるで反対の行動を教えていることになります。

彼自身がプレイしていたころは、
負けるのが心配だったんですね。
自分が勝つというよりは、
相手に勝たせないようにしていたのです。
それはむしろ「破壊のサッカー」だったと言えます。
監督としては、
プレイやファンタジーやゴールそのもので
相手を圧倒するサッカーを模索しているようです。

クラウディオ・ジェンティーレのU21「アズリーニ」は、
今度のオリンピックに出場します。
予選の段階でガーナ、パラグアイ、それから
日本とも対戦しますよ。



ジェンティーレは、
ギリシャでジーコに会えるのかな、と
楽しみにしています。
ふたりが顔を合わせたら、昔話に花が咲くのでしょう。
ふたりとも、いまよりずっと若くて、
すべての事がもっと簡単に思えたころの話をね。
プレイしていれば、自分を外に向かって解放する道は
いくらもありました。
それが若さというものです。
今や監督としてベンチに座っているとはいえ、
自分ではない人々がプレイするのを見ていると、
時間が情け容赦なく過ぎていったことを、
ちょっと淋しく思うかもしれません。
でも、時間ばかりは、
だれにも止められませんねえ。


訳者のひとこと

アズーリとアズリーニのように、
イタリア語では何かの小さい規模のものを
表す時に「〜ino」をつけます。
「アズリーニ」と、「〜ini」なのは、
複数形だからですよ。
わかりやすいところでは、
パニーノも、この形です。
パンの小さいの、という意味。

翻訳/イラスト=酒井うらら

2004-06-14-MON

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