フランコさんのイタリア通信。 |
イタリア・サッカーの凋落、フリスク審判事件。 世界的に見ても、嫌なニュースの多い日々です。 暴力が、ぼくらの良心より 優位に立ってしまったのでしょうか。 イタリアサッカーのピッチでは何でもありと言われます。 (誰ですか、イタリアそのものが 「何でもあり」じゃないのなんて言っているのは?) 残念ながら、そのピッチ上で 想像を絶する事が起きてしまいました。 シーズンの始まりだというのに、 言葉と実際の暴力沙汰が起きました。 こんなに酷いことは、 ぼくの長い記者人生でも初めてです。 ぼくは、あえてその事を、 ここに書こうとしています。 イタリアサッカーの楽しく美しい面だけを お伝えすることもできますが、 ぼくは真実をみなさんにも知っていただきたいと思います。
カンピオナートの初日、 9月12日、日曜日、 ブレシャ対ユベントスのゲームの中休みに、 ブレシャのコリオーニ会長がテレビで、 審判のトレフォローニについて発言しました。 トレフォローニ審判が、 恥知らずな方法でユベントスに味方していると。 彼は 「ユベントスは八百長をしている。 去年もやったように。 これは終わりのないスキャンダルだ」 と、そう言ったのです。 これはまだ序の口の出来事でした。 ローマ対フィオレンティーナ戦では、 フィオレンティーナの選手に平手打ちを喰わせた ローマのカッサーノが、退場させられました。 これでも、まだ、 UEFAチャンピオンズ・リーグの初日に、 もっと酷い事が起きる前の話です。 そしてその当日、9月15日水曜日の朝、 またもやローマのアントニオ・カッサーノが ルディ・フェラー監督と言い争い、 家に帰ってしまいました。 その夜の対ディナモ・キエフ戦には、 彼は出場しないという意味ですね。 カッサーノは、 トッティと期待のコンビを組んでいる選手なのに。 その日は、インテル、ACミラン、ユーべが揃って勝利し、 アドリアーノ、シードルフ、ネドヴェドらの 素晴らしいゴールもあり、 イタリアサッカーはこれ以上ないほどに 前向きに盛り上がっていました。 ところが同じ日の夜のローマ対ディナモ・キエフ戦で、 その盛り上がりを台なしにするくらいに 恥ずかしい事件が起きました。 UEFAチャンピオンズ・リーグの歴史上、 これほどの「恥」は前例のない事件が。
現場はローマのホーム、オリンピコ競技場でした。 前半戦が終り、ディナモが1対0で先制していました。 ちょうど両チームが休憩のために ピッチ上を更衣室に向かっていた時のことです、 ローマのメクセス選手がウクライナのひとりの選手に、 まず肩でぶつかり、次に蹴りを入れたのです。 フリスク審判はすぐさまレッド・カードを出し、 メクセスを退場させました。 これは全く正しい判断だったと ぼくは思います。 その様子は中継され、しっかり電波にものっていました。 それが、前例を見ない醜態が くり広げられる事件につながるとは‥‥ ローマがいらいらしていたのは事実です。 その数分前にトッティがイエロー・カードを受けており、 だいいちカッサーノが朝のフェラー監督とのケンカで 欠場していたことが、すでにローマを苛立たせていました。 だからといって、この後のみっともない展開は 許されるものではありません。 レッド・カードを受けたメクセスは フリスク審判に襲いかかろうとし、 オリンピコ競技場のティフォーゾたちは 審判に向かって物を投げはじめました。 その中の、たぶん1ユーロ硬貨か、金属のライターか、 投げているほうは大したものを投げたつもりは ないのでしょうが、 なにか固いものがフリスク審判に命中したのです。 それを命中させたのは、驚くことには競技場の特別席、 つまり招待者しか入れない席にいた人物です。 ということは、 彼はどこにでもいるティフォーゾではなく、 VIPなティフォーゾだったということです。 フリスク審判は手で額をさわり、 大量の血で濡れているのがわかると気持ちが悪くなり、 よろけ、めまいに襲われて地面に倒れこみました。 このシーンを目の当たりにした5万人の観衆は、 まるで頭がおかしくなったかのように怒鳴り始めました。 傷付いた審判に向かって ふつうの市民であるはずの観衆から 恥ずべきコーラスがわきおこりました。 「死んでしまえ、死んでしまえ!!」と。 フリスク審判は更衣室に移され、 救急車で病院に送られました。 UEFAにこの事が伝えられている間も、 オリンピコ競技場の観衆は 彼を侮辱しつづけました。 15分が過ぎ、30分が過ぎた頃、 「UEFAは安全性の確保ができないと判断し、 ゲームを中止します」という アナウンスが流されました。 こんな事態は聞いたこともありません。 これでローマは、 クラブチームとしてヨーロッパを制覇する夢を ぶちこわしました。 イタリアサッカーにとっては、 暗いニュースの新たな1ページを 書き加えたことになります。 誰もが道徳上の義務として 「恥を知る」べきです。 ですから、この事件は全員の責任だと ぼくは思います。 なんの栄光もなく負けた 去年のヨーロッパ内の選手権のかずかずを、 今年は忘れさせる為の「あがない」の年に なるはずだったのですが、 幕開けからが、 イタリアサッカーにとって、 これ以上ないほどに酷いことになってしまいました。 いまや「カルチョ」の堕落は進んでいるとしか思えません。 そして誰も、残念ながら、 この堕落がいつどこで止まるのかを知らないのです。
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2004-09-20-MON
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