フランコさんのイタリア通信。 |
アリーゴ・サッキはレアルに春をもたらすか? 2004年の終わりに、ひとつのニュースが イタリアサッカー界を驚愕させました。 その渦中にあったのは アリーゴ・サッキという人物です。 アリーゴ・サッキ。 パルマのコンサルタントであったことくらいしか 最近では知られておらず、いまや彼は テレビカメラからも記者たちのノートからも 遠く離れたところで引退生活を送っていたはずでした。 彼は、ひと昔前、たいへんに有名な監督でした。 1989年と1990年には、ACミランを率いて トヨタ・カップで優勝しています。 ACミランを世界の頂点に押し上げた監督だったのです。 イタリア代表チーム、アズーリを率いては、 1994年のW杯で世界2位につけています。 でも、もはや彼はすっかり忘れ去られ、 最近では話題にのぼることもありませんでした。 その“ひと昔前の偉大なヒーロー”が、 数年の静かな引退生活をすごしたのち、昨年末に、 いきなり有無を言わせぬ勢いで スポットライトの下に帰って来たのです。 引退した役者が突然大舞台の主役にカムバックするように。 誰も想像すらしていませんでした。 この人ならではの物凄い登場のしかたでした。 だって、アリーゴ・サッキが戻ってきたのは、 世界一有名なチーム、レアル・マドリードの テクニカル・ディレクターだったからです。 あのベッカム、ラウル、ジダン、ロナウドのいる レアル・マドリードの、です。
1994年7月17日、 W杯の開かれていたアメリカのパサデナで、 アリーゴ・サッキのイタリアチームは決勝戦に挑みました。 そしてPK戦にもつれこみ、 ロベルト・バッジョのミスで 優勝をのがしたことは今でも有名な話ですね。 バッジョは飛び抜けた選手で、 彼がイタリアを決勝戦にまで導いたのだから、 彼を責めることはできないと多くの人が思いました。 でもその負けは、どこかで雪辱すべきものでした。 その午後から、すでに10年以上が過ぎさりました。 その間もアリーゴ・サッキは監督を続けましたが、 ついに勝利することはありませんでした。 彼は、彼が監督していたチャンピオン選手たちと、 あまり折り合いが良くありませんでした。 特にACミランのヴァン・バステンとの 口論のかずかずが忘れられません。 このオランダ人選手は サッキ監督が彼に自己犠牲を要求するのを、 我慢できませんでした。 そして監督にむかって 「他の選手たちが私に気を使うべきであり、 私が彼らに気を使わなければならないのではない」 と言い返していました。 なぜそういう口論になったかというと、 サッキが、チャンピオン選手たちのひらめきよりも、 全体の戦術や計画性を重視していたからです。 たとえば先ほど書いた1994年W杯では、 対ノルウェイ戦の時のことですが、彼は ロベルト・バッジョを交代させました。 だれよりも力のあったバッジョをひっこめたのです。 それは、サッキが世界中にむかって 「イタリアはバッジョ抜きでも勝てる、 私の闘い方がイタリアを勝たせるのだから」と 宣言しているかのような交代劇でした。 まあ、結果的にはたしかに決勝戦まで行きましたが、 PK戦で失敗したバッジョにたいする人びとの評価をみれば、 多くの人が「イタリアを決勝戦に進めたのはバッジョだ」と 思っていたことは明らかです。
さてサッキですが、 彼がもはや年金生活に入ろうかという、まさにその時に、 レアルが彼を招いたというのです。 目下のレアルはといえば、 スペイン・カンピオナートで苦戦しております。 このチームのスター選手たちが輝きを少し失い、 影が薄くなったようにさえ思えます。 ジダンに数年前ほどの鮮烈さはありません。 ロナウドは2002年W杯に横浜で勝利した 彼らしくありません。 ベッカムに至ってはサッカーのチャンピオンというよりは、 コマーシャルタレントみたいです。 レアルよ、「黄昏れ街道」まっしぐらには まだ早すぎるじゃないかと、言いたくなります。 レアルの会長もそう思ったのでしょう、 永遠の若さを保てる妙薬をチャンピオンたちに与えてくれる 魔法使いでも呼ぶかのように、 アリーゴ・サッキと契約したのです。 妙薬を飲まされようとしているのは、 以前は素晴らしく優秀だったものの、 いまは勝つことを忘れてしまったみたいな 金持ちのチャンピオンたちなのですが、 はたして魔法は効くのでしょうか‥‥? これは賭けとしては魅惑的ですね。 はじまったばかりの2005年きっての、 魅惑的な賭けと言えそうです。
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2005-01-10-MON
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