フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

カルチョ・メルカートはじまる。
トッティとデル・ピエロの行く末やいかに?!


イタリアサッカーの夢の1月が、またやってきました。
そう、今月はカルチョ・メルカートの月です。
この1ヶ月のあいだ、人びとは思い思いの夢を描きます。
健闘しているチームのティフォーゾたちは、
チームに新しいチャンピオンがやってくることによって
快進撃がさらに続くことを夢みるでしょう。
いっぽう苦戦しているチームのティフォーゾたちは、
一発逆転でチームに予想外の好成績をもたらす
チャンピオンの到着という素晴らしい想像をすることで、
自分たちをなぐさめ、はげますことでしょう。

ムトゥー、5月に復帰!

すでに移動した選手もいます。
このチャンスに新しい出発を考える選手や、
いまやチャンピオン級となった選手で、
自分の育ったチームを巣立とうとしている者もいます。

すでに移動が決まったのは、アドリアン・ムトゥーです。
彼はルーマニア出身の25才のアタッカーで、
7年前にイタリアに来ました。
イタリアではインテル、
ヴェローナ、パルマでプレイしました。

その後、英国のチーム、チェルシーのオーナーで
大富豪のロシア人であるアブラモヴィッチが、
2300万ユーロで彼をパルマから買いとりました。
2年前のことです。

ロンドンに渡ったムトゥーは、
フェリーニの映画のごとく「甘い生活」、
つまり奔放な生活に引きこまれ、
あまりお薦めできないような
安っぽい女優たちのもとに通い、
とうとうコカインに手を出すようになってしまいました。

チェルシーが行ったドクター・コントロールで、
彼のコカイン反応が陽性を示し、
この時点で、彼とチェルシーとの
大変に高額な契約は溶けてきえました。
ムトゥーはこの瞬間、無職となり、
麻薬依存症の更正センターに
通わざるを得なくなったのです。
さいわいなことにドラッグの悪い習慣からは
数カ月で抜けだせたらしく、
この1月12日に、ユベントスが彼と
5年間の契約をしました。

彼が英国のフェデレーションから受けた
資格停止処分が切れるのがこの5月ですから、
ユーベが彼を出場させられるのも5月以降です。

デル・ピエロ、日本へ?!

ユーべにムトゥーが来るというニュースが
流れてから数時間後、ユーべの地元トリノの日刊紙で
ユーべをまじかに見ている「トゥットスポルト」が、
もうひとつのニュースを報道しました。
この先、数カ月のうちにセンセーションを
巻き起こすかもしれない大ニュースです。

トゥットスポルト紙によると、
ある日本人マネージャーが、
アレッサンドロ・デル・ピエロの
ユーべから横浜マリノスへの
移動を交渉しているとのことです。
この交渉は始まったばかりなのですが、
トゥットスポルトの記事は、他紙やイタリアの
主なラジオテレビの報道に大きく水をあけました。

実際だれも、デル・ピエロさえも、
この交渉のことを否定しませんでした。
カペッロがやって来たユーべにあって、
昨年のデル・ピエロはトレセゲの負傷という理由だけで
プレイしたようなもので、
トレセゲの故障は長引きそうですが、
ムトゥーが来るとなれば、
デル・ピエロの出番はもっと減るでしょう。

ですからデル・ピエロの移籍は、
本人が承知すればですが、あり得ることです。
そしてユーべにしてみれば、彼をイタリアや
ヨーロッパのライバルに渡すよりは
日本に送りたいと思っても不思議はありません。
彼には日本で1996年のトヨタカップに
優勝した思い出があります。
それも彼の1本のゴールがリバープレートを破り、
ユーべを優勝させたのです。
その日本で彼は何のしがらみも良心の呵責もなく、
思いっきり最高レベルのプレイを
見せてくれるかもしれません。

トッティ、ローマを離れる?!

イタリアサッカーのもう一人の第1級スターである
フランチェスコ・トッティも、
いよいよ今シーズン終了後には移籍するかもしれません。

というのも1月13日木曜日のことですが、
移籍の動機になりうる事件がおこったのです。
彼の所属するローマがシエナで
コッパ・イタリアの試合をしていた最中でした。
彼はティフォーゾたちの所に行って、
グランドに発煙筒を投げ入れることをやめさせようと
説得しはじめました。

ティフォーゾたちの投げる発煙筒の煙で、
シエナの競技場はすでに何も見えない状態でした。
審判が試合を一時中断し、
トッティがティフォーゾたちの説得をこころみ、
結局はローマが5対1で勝ったのですが、
発煙筒が投げ続けられていたら、
試合は続けられなかったでしょう。

ところが、トッティがティフォーゾたちに近付き
説得をしはじめた時点で、
なんと彼らはトッティにむかって
ビンやライターやコインを投げ付けたのです。

そして彼らがトッティを侮辱しつづけたので、
ついにはトッティも黙っていませんでした。
「みんながぼくにつけたこの傷は
 ずっと治らないだろう。
 シーズンが終ったら、
 ぼくはこのチームから離れたい。
 このチームのティフォーゾたちは
 ぼくにとって何のメリットもない」と、
彼は言いはなちました。

さあ大変、この言葉はすぐさま
カルチョ・メルカートに伝わり、
想像をふくらませた各チームが列をなしました。
ジダンの後継者としてトッティに目をつけているらしい
レアル・マドリードに始まり、
経済的破綻を迎えようとしている
インテル、ACミランにいたるまでが、
彼を獲得しようと列に加わりました。

ムトゥーの到着と、
センセーショナルなふたつの出発の予感をはらんで、
2005年1月のカルチョ・メルカートは
華々しくスタートしました。
なんといってもトッティとデル・ピエロは、
ここ10年間それぞれ
ローマとユーべの旗印でしたからね、
このふたりが動くとなれば
大変な話題になること必至です。

メルカートの期間中には、
人びとは本当の夢をみられます。
でも6月の終り、
カンピオナートのシーズンの終りには、
あらゆる現実が待ち受けています。
その頃には、
「ああ、夢からさめたくない」と思う人たちが、
いっぱい出るでしょう。

訳者のひとこと
もう何を聞いてもびっくりしなくなって
まいりました。
ひゃあデル・ピエロが日本に?! と
思っても、ローマ弁しか話せないと
言われているトッティがローマから
いなくなっても、
「事実は小説より奇なり」と
受けとめることにいたしましょう、ね?
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-01-17-MON

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