フランコさんのイタリア通信。 |
2005年3月18日の抽選会。 UEFAチャンピオンズ・リーグ準々決勝戦のひとつが ミラノのダービー戦になると、 3月18日金曜日に決定しました。 サッカーで言うダービーとは、 同じ街に所属するチーム同士の対戦のことで、 今回のダービーはミラノの2チーム、 つまりACミランとインテルの対戦です。 これは、誰も望んでいなかった雪辱戦なのです。 すでに2年前の UEFAチャンピオンズ・リーグの準決勝戦で、 ACミランとインテルは激突しています。 去る金曜日にスイスで行われた組み合わせ抽選で、 心を揺さぶられるという点では この上なくドラマチックな組み合わせが、 ふたたび決定したのでした。 準々決勝戦にはイタリアの3チームが残っています。 この組み合わせ抽選の結果は、 前出のミラノの2チームにとっても、 もうひとつのユベントスにとっても、 情け容赦のないものとなりました。 同国のチームが対戦すれば、 どちらかの敗退が決定するのですから、 準決勝戦ならしかたないとしても、 準々決勝戦では避けたかったところです。 でもそれ以上に、今回の抽選の結果には、 それぞれの後ろにドラマが潜んでいるのです。
2年前にもUEFAチャンピオンズ・リーグで ACミランとインテルとの ダービー戦があったと書きました。 同じ街のチームですが、 論理上ではホームとアウェイの試合に区別されて、 点数の計算がなされます。 この対戦では、得点が倍の計算になる 「アウェイ」の試合でゴールを入れて引き分けた ACミランが、準決勝戦を勝ち抜けました。 ACミラン側からいうと、 ホーム0対0、アウェイ1対1の結果です。 この勝利の記憶がありますから、 ACミランのティフォーゾたちにとっては、 再びの、この組み合わせも満足かもしれません。 でも、本当は誰も「再対戦」は望んでいないとも言えます。 第一に、この組み合わせはテンションが高すぎます。 宿敵同士が真っ向から闘う上に、舞台が UEFAチャンピオンズ・リーグです。 2年前の対戦でも誰もが興奮しまくったのです。 乱暴な気持ちのままに、たくさんの人たちが 多くの言葉を吐いたり、また引っ込めたり、 いわば暴力的なまでの、 それはもうひどい大騒ぎでした。 またあの混乱をくりかえすのかと思っただけで、 もううんざりな人も多いのです。 2年前とは状況の変化もあります。 例えばインテルでプレイしていたクレスポは、 今はACミランにいるなど、 選手の入れ代わりもありますし、 インテルでは監督が交代しましたしね。 2年前にはアルゼンチン人のヘクトル・クーペルが、 インテルの監督でした。 彼は、どの試合も最後の決戦であるかのように 大事にとらえ、選手たちがピッチにのぼる時には 彼らの胸を手でたたいて勇気づけていました。 本当の戦争での布告のような断言もしました。 「これは人生の闘いだ」とか 「我々は総てを喰いつくさねばならない、 ピッチの草までも」 とかね。 まるで選手たちを電気仕掛けのコードで 捕らえているかのようにあやつろうとし、 試合前夜を緊張感を持って過ごすようにと 選手たちに命じ、したがって、 たぶん選手たちの夜の眠りすら 邪魔することになったであろうクーペル監督は、 今は、もういません。 インテルの選手たちにとっては、 絶対に勝たなければならない試合の事が 悪夢となっておそいかかり、 うなされて眠れない、なんてことになったのでは なかろうかと思えるほどでした。
新監督のロベルト・マンチーニは、 これと全く反対の姿勢です。 選手たちが、すべてをドラマチックな一大事と とらえることを、彼は減らそうとしているようです。 若者とは、自分たち自身を楽しむことで 人にも楽しい感動を与えることができるものだ、 だから、そういう若者らしさを生かそうと、 選手たちにアドバイスします。 クーペルにとってサッカーは、 なんとしても勝つべき戦争と同じでした。 マンチーニにとっては、 ゲームでは勝つために最善をつくすものだが、 もし負けたとしても、 テクニックの優秀さにせよ、 判断力や創造力などの性格的なことにせよ、 選手ひとりひとりが持てる総てを出したのなら、 負けもひとつの意義ある価値だということなのです。 UEFAチャンピオンズ・リーグの 8強に残ったチームの中で、インテルは 負けずにここまで来ているチームです。 何事においても「初めて」ということに 価値があるのも事実ですが、 負けないという実績の積み重ねが 優秀であると認めさせる助けになるのも、 同じくらい本当のことです。 もっかユベントスとスクデットの 争奪戦をしているACミランは、 カンピオナートとUEFAチャンピオンズ・リーグの 両方を闘いぬかなければなりませんから、 神経質という点では、この上なく 神経質になっているでしょう。 イタリアのサッカーは論争に毒されていて、 上に立つほど議論の矢面に立たされます。 スクデットのことはもう数カ月前から考えておらず、 UEFAチャンピオンズ・リーグに集中できる インテルにくらべれば、ACミランのほうが この対戦に神経質になるのも無理はありません。
というわけで、 否応なく人びとの興奮のるつぼに巻き込まれる インテルとの対戦をここですることは、 ACミランは望んでいなかったでしょう。 そして、ユベントスも、 絶対に絶対にリバプールとは 対戦したくなかったことでしょう。 なぜならユベントスの歴史の中で、 もっともドラマチックな事故の思い出が、 このイギリスのチームにつながるからです。 1985年5月29日、 やはりUEFAチャンピオンズ・リーグの (当時はチャンピオンズ・カップと呼ばれていました) 決勝戦の数分前のこと、 会場だったブリュッセルのヘイゼル競技場で、 悲劇が起きたのです。 囲いのネットが倒れ、 その衝撃で39人の死者を出し、 うち32人はイタリア人でした。 この時の被害者を悼む気持ちは、 誰も忘れていません。 そのいまわしい記憶から、 リバプールとはもう対戦したくないと ユーべは思っていたことでしょう。 事故の原因はリバプールの、 悲しくもフーリガンと呼ばれる ティフォーゾたちにあると判断されました。 実際に、まさにこれらの暴れ者たちのせいで、 イギリスのチームがどこも、ヨーロッパの大会に 出場できなかった時期がありました。 ミラノのダービーは、 2年前の雪辱をかけて闘われます。 ユベントス対リバプール戦は、 20年前の死者たちを忘れないための ゲームになるでしょう。 今回は、純粋なスポーツとして闘い、 道徳的な価値も守ることが 死者たちに敬意をはらうことになるのです。
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2005-03-21-MON
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