フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ジラルディーノとカッサーノ、
6月のメルカートがたのしみ!


来る6月のカルチョ・メルカートも、
例年どおりに盛り上がりそうです。
その結果が1年のあいだ、
多くのティフォーゾたちに
夢を見させてくれますからね。

3月にして、すでに話題にのぼっている
2人の選手がいます。
アルベルト・ジラルディーノと
アントニオ・カッサーノ。
彼らは、まだ23才にもなっていませんが、
イタリア代表チームのアズーリが期待する
アタッカーであり、
とにかくイタリアにとってはさんざんな結果だった
2002年W杯の悪夢を、
彼らの力で払拭したいと
イタリアじゅうが、彼らに希望を託しているのです。
次回のドイツ大会では、彼らは、
もはやヴィエリやデル・ピエロの世話にならずとも、
正選手として堂々とプレイしてくれるでしょう。

ACミランはジラルディーノを
買ったも同然!


3月26日の日曜日にイタリア代表のアズーリは
スコットランド代表と対戦し、
2対0で勝ちました。
この時にマルチェッロ・リッピ監督は、
この2人が今後のアズーリにおいて
アタッカーのコンビを組むであろうことを
明確に説明した上で、一緒にプレイさせました。
対スコットランド戦の2ゴールは、
ペナルティ・キックで
アンドレア・ピルロが決めたもので、
ジラルディーノとカッサーノが
得点したのではありませんが、
彼らはケタはずれの好プレイを見せて、
会場だったミラノのサン・シーロ競技場の
観衆を熱狂させました。

アルベルト・ジラルディーノは
昨年のカンピオナートで、
名アタッカーのランキングに入っており、
今年も、相変わらずの好調ぶりです。
彼の属するパルマがセリエBへの降格を
まぬかれそうなのも、彼の数々のゴールのお陰と
言って良いほどです。

そんなジラルディーノが、
この夏のカルチョ・メルカートという舞台の
主役クラスであることは確実です。
ACミランのオーナーであるベルルスコーニが
ジラルディーノについて特別な関心を示し、
「彼がシェフチェンコと組めば、
 世界一のコンビになるだろう」
と、何度も言っています。
すでにACミランが彼を買ったも同然ですね。

ジラルディーノは北イタリア出身の青年です。
北イタリア出身ということは、多くの場合ですが、
比較的めぐまれた環境で育ったということです。
彼が仲間や監督やライバルの悪口を言うことは、
めったにありません。
彼が口をひらく時には、
まだこれから23才になろうとしている
若いサッカー選手というよりは、
まるで弁護士のような話しかたをします。

カッサーノはどんな青年かというと。


一方のアントニオ・カッサーノは南部の青年で、
困難な子供時代を送りました。
彼の両親は早くに別れており、
子供のころに大きな愛情を受けられなかったようです。
そのせいか彼は怒りっぽく反抗的な性格で、
彼を息子のように扱う監督たちのほとんど全員と
ケンカになります。
彼は自分の父親を愛しておらず、
もう何年も口もきいていないとのことです。
そして、まるで父親のように彼に接する人のことも、
彼は愛せないのです。

アントニオ・カッサーノは、
サッカーの偉大なチャンピオンになるべき
要素の総てを持っています。
誕生日も、イタリアのサッカーにとって
祝福すべき日と重なっているのです。
彼は1982年7月12日生まれで、実はこれは
W杯スペイン大会でイタリアが優勝した日です。
偶然とはいえ、彼のサッカー人生も
祝福されているようではありませんか。
それなのに、カッサーノが口をひらけば
あちらこちらで論争になるという始末です。
彼はローマの選手ですが、試合ごとに
仲間たちや対戦相手や、審判、監督たちとすら、
ケンカになってしまうのです。
彼は、たしかに親の愛情にはめぐまれず、
同じような境遇の仲間たちと一緒に、
家庭ではなく、むしろ道ばたで育ったかも知れません。
でも。時代も環境もちがいますが、
ぼくの子供時代も
「大変に恵まれていた」とは言えないので
わかるんです。そういう境遇で育つと、
子供らしい無邪気な時間をとびこして、
早くおとなにならざるを得ないことが多いということが。
同時に「男」としての成長に必要な教育が
受けにくくもあるということが。
もちろん、恵まれない子供時代をすごした人の
全員が「悪ガキ」になるという意味ではありませんが、
カッサーノの言動は、いまだに、
まるで野生むきだしの子供みたいなんです。

アズーリでのカッサーノは
ちがいますよ!


そんな彼ですが、
ひとたびアズーリのシャツを着ると豹変します。
代表チームの一員としての彼と
ローマの一員としての彼とは、
すっかり別人のようです。

代表チームは彼にとってのすべてなのでしょう。
いや、なにかもっとそれ以上かもしれません。
とにかくアズーリのシャツを着ると、
彼はとても従順になります。
乱暴な口はききません。
まるでスイスの寄宿学校で厳しい教育を
受けた少年みたいです。
リッピ監督の命令には素直に従い、
もしパスやゴールをミスした時には、
「ごめんなさい」と言うように手を上げて謝ります。

このカッサーノも、
6月には移籍するでしょう。
彼の所属するローマは経済的に
大きな困難をかかえており、
すでに彼をメルカートに出しているのです。

レアル・マドリードをはじめ、
いくつかの大きな組織が彼の獲得にむけて
乗り出しているようですが、
カッサーノ自身の選択は、
すでに決まっているように思えます。

彼はユベントスに行く可能性が高いです。
かつてはローマの監督として
彼をサッカー的に最も教育し、
しつけの悪い子供としてではなく、
ひとりの男として彼に接しつづけた
カペッロ監督が、
もっかはユベントスを率いていますから。

ジラルディーノとカッサーノ。
2006年6月のW杯ドイツ大会では、
才能に恵まれたこの2人が
アズーリのシャツを着て大活躍し、
イタリア人たちから
大いに愛されることになるでしょう。

訳者のひとこと
ローマ法王が、日本時間の3日午前4時37分に
亡くなりました。
この数日間、法王が危篤という知らせを受けて、
私がネットでイタリア放送局のラジオを
聞く限りでも、イタリア中が取り乱している
様子でした。

若者むけのチャンネルでも、
「バチカンに、これだけ多くの若者を
 集めた唯一の法王」
という言い方をして、キリスト教の信者で
あるなしにかかわらず、若者たちも、法王の
ヨハネ・パウロ2世を慕っていたことが、
よくわかりました。

イスラム教や仏教界からも弔電が
よせられているようです。
宗教、国籍、年令などの違いを越えて
信頼される、歴史的に偉大な人物だったと
いうことの表れでしょう。

フランコさんが今週の記事を送って
くださった時には、まだご存命でしたから、
このことには触れていませんが、
イタリアにとっても、世界にとっても
大きなニュースですので、急遽、
私のコーナーでお知らせいたします。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-04-04-MON

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