フランコさんのイタリア通信。 |
66歳の青年、トラパットーニ。 今週は「66才の青年」とも言うべき、 ひとりの監督の話です。 彼ときたら、まったく元気な男の子みたいで、 遊び疲れたりなんかしません。 そして真の勇者のように、 勝利することにも疲れをしらないようです。 彼の名はジョヴァンニ・トラパットーニ。 イタリア人たちに最も愛される監督です。 アズーリの監督としては勝利をおさめるどころか、 むしろ大いに痛い落胆を人びとにあたえてしまった ‥‥にもかかわらず、彼が愛されつづける理由は、 どこにあるのでしょうか?
ジョヴァンニ・トラパットーニは、 ACミランの選手だったころに、あらゆる勝利を納め、 監督としてはユベントスとインテルを カンピオナートで優勝させました。 つまり、イタリアサッカーの歴史に刻まれた 偉大な3チームと共に歩んで来た人です。 ところが、イタリア代表アズーリを率いては、 人びとの期待に大きくそむいてしまいました。 イタリアのフェデレーションは 彼の国際的に大きな経験を見て、 アズーリを指導する役目を彼に託しましたが、 2002年日韓共催W杯で韓国に破れ、 2004年のヨーロッパ選手権ポルトガル大会も 敗退したことで、 もはや彼の契約更新を望みませんでした。 でもそれで、彼が無職になってしまったわけでは ありませんでした。 昨年の7月に、 ポルトガルの重要なチームであるベンフィカが 彼にチームを任せ、トラパットーニは すぐに勝ち組にもどりました。 ベンフィカはポルトガルのカンピオナートで優勝し、 ヨーロッパの他のチームらも、 すぐにトラパットーニを口説き始めたのです。 国はまたがっていますが、 ユベントスで6回、 インテル、バイエルン・ミュンヘン、ベンフィカで各1回、 計9回のカンピオナート優勝経験は、 またとない「名刺がわり」です。 世界に監督多しといえども、こんなに華やかな名刺を 差し出すことのできる人は滅多にいません。
そして、まさにドイツW杯前年の今、 ジョヴァンニ・トラパットーニは新たに、 ドイツのサッカーに立ち向かおうとしています。 ラツィオが彼を望んでいたイタリアの地で 改めて監督になろうとはせず、 まさにドイツで新たな挑戦に出ようというわけです。 彼はドイツの シュトゥットガルトの監督になりました。 シュトゥットガルトとの契約にサインをしてすぐ、 彼はミラノ市郊外の小さな町、 クザーノ・ミラニーノにある自宅に荷物の準備にもどり、 その際に表明したいくつかのことについて、 イタリアでは話題沸騰となりました。 トラパットーニは 40才を過ぎてパオラ婦人と結婚しました。 そしてシュトゥットガルトの監督としての初めての言葉は、 この奥さんについてでした。 「私が人生で最も愛しているのはサッカーだ。 妻のパオラよりもね‥‥」 彼は、のっけに、こう切り出したのです。 人生に喜びと明るさを望む人の口調で、 微笑みながら、ね。 静かに黙って聞いていたパオラ婦人は、 やはり微笑みでそれに答えました。 こちらは、成功する男の持って生まれた天性を 夫が追求できるように、 自身の人生のある部分を犠牲にすると決めた女性の、 微笑みでした。 「ドイツには、非常に高いレベルのサッカーがある」 と彼は続けました。 「そして私は、刺激的な環境に 新たに立ち向かいたいと思う。 イタリアのいくつかのチームからの要望もあったがね。 ミラノへは飛行機で2時間足らずで来られるし、 週に1度はミラノにもどって、 数時間を、まだ私の妻にささげたい」 66才で、また最初からやりなおすのは、 きつくないですか? と、ぼくは彼に聞いてみました。 「全然きつくなんかないさ。 サッカーは私に若さを感じさせてくれるんだ。 若者たちの中にいる時、 私の過ごしてきた年数は、 重くるしいどころか、喜びだよ。 老人というものはいない、 老人だと自分で感じる人たちがいるだけだ。 私は66才ではなく25才か30才、 私が人生で勝って来たように 勝たせようと指導している若者たちと、 同じ年令に感じるね」 この信念、この発想!! これこそがトラパットーニ人気の秘けつですね。 これがあるからこそ、イタリア人たちに最も愛される監督、 いや、スポーツマンであったし、 これからもそうあり続けることでしょう。 トラップ君、お見事です。
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2005-07-26-TUE
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