フランコさんのイタリア通信。 |
アズーリの新星 9月7日水曜日のドイツW杯予選で、 イタリア代表チームのアズーリは ベラルーシに4対1で勝ちました。 これで、来年ドイツで行われるW杯本戦に イタリアが参加するためには、 勝ち点をあと1点加えれば良いところまで来ました。 予選の残り2試合はイタリアで行われますし、 対戦相手がモルドヴァとスロヴェニアで、 あまり強敵ではありませんから、 イタリアの予選通過は、ほぼ決定です。 さて、この対ベラルーシ戦で、 アズーリの新しいヒーローが生まれました。 28才になった今、遅咲きながらも 一躍有名になったセンター・フォワードの ルカ・トーニです。
6年前、彼がヴィチェンツァでプレイしていた時に、 イギリスから彼の働きを観察に来た人たちがいました。 そして世界で最も名高いチームのひとつである マンチェスター・ユナイテッドが、 彼との契約話を提示してきました。 ヴィチェンツァは、 その提示にすぐに応じたのですが、 ルカ・トーニ本人はこれをことわりました。 これにはたいがいの人が驚いたのですが、 彼はきっぱりと、こう言ったのです、 「ぼくはイタリアから離れたくありません。 イギリスへ予備選手をしに行くことになるのだろうから、 ぼくはヴィチェンツァに残ることを希望します」 その直後にトーニのメルカートでの値段が跳ね上がり、 結局、彼が落ちついた先はブレシャでした。 ブレシャで彼はカンピオナートの2シーズンを、 あのロベルト・バッジョと一緒にプレイしました。 バッジョのような桁外れの選手と一緒にプレイすることで、 彼は技術面で大きく進歩し、だんだんと メルカートで取り沙汰される サッカー選手になっていきました。 実際に、この7月に彼がパレルモから フィオレンティーナに移籍した時の金額は 1200万ユーロ(約16億3000万円)でした。 対ベラルーシ戦で、 彼はもうひとりのメルカート級の選手である ジラルディーノと、ペアを組んでプレイしました。 このふたりが見せ場を作ったのです。 アズーリのマルチェッロ・リッピ監督は試合の後で、 次のW杯へむけてのトーニの位置は 決まったようなものだと言いました。 その一方で、時の流れによる厳しい判定を 受け入れようとしないデル・ピエロとヴィエリの、 ふたりのチャンピオンたちへの期待は 大幅に弱まったとも言いました。 彼らは30才を大きく超えており、 それぞれに所属するユベントスやACミランでも レギュラー選手ではありません。 それでも多くのティフォーゾたちは、 まだ彼らが代表チームのシャツを着ているところを 見たがっているようですけれど。
ともかく、この試合でルカ・トーニが リッピ監督や批評家たちに与えた印象は、強烈でした。 ベラルーシに対して3ゴールを入れた彼は、 試合直後のインタビューの時に 居並ぶテレビ局のカメラの前で、 無邪気に、でもはっきりと 「まるで夢みたいです。 今、アズーリの一員としてプレイできるのは、 ぼくがついた監督たちのお陰だし、 ぼくに多くの事を教えてくれた チャンピオン中のチャンピオン、 ロベルト・バッジョのお陰です」と 言いました。 だれか偉大なチャンピオンと 組んでプレイするということは、 優秀さに磨きをかけることができるということで、 ルカ・トーニは、こうして決定的に成熟したようです。 彼は194cm89kgという巨漢です。 ボールを右でも左でも蹴ることができますし、 ヘディングに至っては名人組のひとりと言えます。 これでイタリアは、 アタック面では問題を解決したように思えます。 ジラルディーノやトッティに、 今はルカ・トーニも加わりましたからね。 彼はフィオレンティーナでも、 このカンピオナートで大いに活躍し、 チームに貢献するでしょう。 彼が名前をあげて感謝したロベルト・バッジョは、 イタリアサッカーの歴史のみならずW杯においても、 1990、1994、1998と、 3大会にわたって偉大なる主役でした。 ロベルト・バッジョは、この30年のうちで イタリア人から最も愛された選手でした。 彼は引退したとはいえ、次回のW杯にも 刻印を残すことになりそうです。 彼の「弟子」のようなルカ・トーニが、 大活躍してくれるでしょうからね。
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2005-09-13-TUE
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