フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

トッティの赤ちゃんでイタリアが大騒ぎ!


フランチェスコ・トッティとイラリー・ブラーズィに、
11月6日、日曜日の夜、男の子が生まれました。
ローマの病院で生まれたこの赤ちゃんのことを
テレビ各局はそのことをまるで大ニュースのように伝え、
イタリア人の半分くらいが息をとめたまま、
そのニュースを待っていたという感じです。
まったく、おおげさですねえ!
でも、オーバーといえば、
ローマ市長ワルテル・ヴェルトローニのやりかたは、
もっと芝居がかっていました。
彼は、そのクイズィサーナ病院に
まさしくバラ色をしたバラの大きな花束を持参し、
生まれたばかりの赤ちゃんに
"la cittadinanza onoraria di Roma"
つまり「ローマ名誉市民」の称号を贈ったのです。
これは2千年前のローマ皇帝が、
訪問してきたどこかの王様を
歓迎する時のやりかたです。
ほんとに、おおげさですねえ!!

ローマ市長は、病院から出てすぐさま
このニュースを伝えるために
テレビカメラの前にあらわれました。
そして
「トッティに生まれたのは男の子です。
 その母親のように美しく、
 目は父親そっくりです」
と、発表しました。
この市長、こういう機会を、
“自分を宣伝するという意味で最大限に利用する”ことが
ほんとうに上手なのです。

トッティ、試合後に
シチリアからローマへ!


赤ちゃんが生まれる予定の日の午後、
フランチェスコ・トッティはシチリアで
メッシーナと対戦していました。
試合開始の時刻、妻のイラリーにはすでに
出産前の陣痛がはじまっていて、
その痛みは6時間つづきました。
とうぜん、トッティは試合中も
気が気ではありません。
ボールがピッチの外に出るたびに、
スパレッティ監督にイラリーの様子を聞いていました。
監督は、イラリーの入院している病院と
ずっと電話をつないでいたのです。
彼は試合の直後にローマに飛べるように、
あらかじめプライベートの飛行機を予約してありました。
そして本当に妻のイラリーの出産に立ち会うために、
ローマへ飛び、
出産の痛みで泣いていた妻のもとに駆けつけました。

トッティは出産に立ち会いたいと望み、
21時に赤ちゃんが生まれた時、
彼はイラリーの右手を握っていました。
赤ちゃんは3600gの男の子でした。
ローマとアズーリのチャンピオンであるトッティは、
そのあとすぐに部屋を出て、
「この幸せをどう表現したら良いのか分かりません、
 ぼくの人生でいちばん素晴らしいことです」と、
目に幸せの涙をうかべて語りました。

さて、赤ちゃんの名前は次の日に決まりました。
マンマになったばかりのイラリーは、
出産の疲れをおぎなうべく、幸せに眠り、
翌日めざめた彼女は夫とともに
息子に名前をつけました。
「クリスティアン」です。

新聞テレビの各社は、
ローマでいちばん有名な赤ちゃんの
写真を独占するためになら、
どんな高額でも支払うつもりでしたが、
トッティはだれにも写真を撮らせませんでした。
クリスティアン・トッティの最初の写真は、
25万ユーロにも届くほどの額で、
ある週刊誌にすでに独占契約されていたからです。
でも、このお金は寄付されることが決まっています。
フランチェスコとイラリーの結婚の日、
本当にだれもが心から祝った日の映像のために、
あるテレビ局が支払った金額も、寄付されました。


先に書いたように
ローマ市長はすぐさま病院に駆けつけましたが、
トッティがイタリアで最も人気のある
サッカー選手のひとりであることから、
ほとんど全ての政治家もこぞって花や電報を贈りました。
なぜか? イタリアでは来春に、
政府を決める選挙が行われるからです。
みんな、人気獲得に必死なのですね。
政府首相のベルルスコーニから、
反体勢力の頭であるプローディに至るまで、
全員が「トッティのティフォーゾ」であると明言しました。
イタリア中の敵や味方を、すくなくもこの時だけでも、
クリスティアンという赤ちゃんが「合意」させたのでした。
やれやれ‥‥。

訳者のひとこと
ロマーノ・プローディ氏は、
来年5月の選挙では、
中道左派野党の首相候補として
立てられることが決まっています。

イタリアでは赤ちゃんが生まれた家の
通りに面した大扉に、
男の子なら水色、女の子ならピンクの
リボン飾りを下げていました。
今でもやっていると思いますが‥‥。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-11-15-TUE

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