フランコさんのイタリア通信。 |
スカラ座、初日の夜。 12月7日夜、 ミラノのスカラ座の オペラ・シーズンが開幕しました。 初日に来場できた幸運な人びとは、 1867名におよびました。 世界的に有名なオペラ劇場の「初日」は、 年中行事として、世界中の人びとが待っています。 VIPたちがこぞって 最新ファッションのドレスに身を包み、 どうしても目が行ってしまうような 高価なジュエリーをつけて集まります。 「みせびらかし」の饗宴のようでさえあります。
でも今年は、ドレスや宝石に加えて注目すべきことが、 もうひとつありました。 スカラ座オーケストラの新しい指揮者のデビューです。 新任指揮者は30才のダニエル・ハーディングで、 「巨匠」リッカルド・ムーティの 後継者ということになります。 ムーティは20年にわたって スカラ座の音楽監督をつとめましたが、 スカラ座総裁との抗争や、それをめぐって出された オーケストラ団員全員からの不信任案を受けて、 スカラ座を去った「伝説」の指揮者です。 英国人であるダニエル・ハーディングは、 今、オーケストラの若手指揮者の中で もっとも才能があると言われていますから、 イタリアの批評家や音楽愛好家たちも 彼を待ちうけていました。 彼のデビューに選ばれたのは「イドメネオ」でした。 モーツァルトの作品の中では、 そんなに有名ではないほうに入るでしょう。 でも、ハーディングは巧みに聴衆の気持ちを引き寄せ、 第1幕の終わりには12分間の 絶えまない喝采がつづきました。 観衆は立ち上がり、すでにリッカルド・ムーティの 19年間の王国のことなどすっかり忘れて、 この若い英国人に スカラ座の「新しい王」の冠を与えたのでした。
ハーディング自身はといえば、 ピンク色のばら、白い蘭、 シクラメンなどがあふれる楽屋にもどり、 まず最初にしたことが、 UEFAチャンピオンズ・リーグの、 グラスゴー・レンジャーズ対インテル戦の 結果を聞くことでした。 それから彼は記者たちに、 彼が愛するレンジャーズが 16強入りした喜びを発表しました。 ふふふ、彼も、ひとりの サッカー・ティフォーゾなんですね。 (追記:この記事を掲載後、 読者のかたより、ハーディングは マンチェスター・ユナイテッドの 熱心なティフォーゾであると教えていただきました。 「イドメネオ」を演奏したあと楽屋に戻った彼は、 グラスゴー・レンジャーズ対インテル戦が 引き分けだったと知り、 両チームともUEFAチャンピオンズ・リーグの 2回戦に進んだことについて とても満足そうにしていました。 きっと、彼の働いている街(ミラノ)にたいしてと、 スコットランドも英国の一部であることから レンジャーズにたいしても 英国流伝統のフェア・プレイとして 満足をあらわしたのでしょうね。)
スカラ座の初日は、 信じられないほどの成功をおさめたそうです。 もちろんチケットは早くから完売で、 これによって230万ユーロほどが入る計算です。 この上にテレビ放映権の料金が加算されます。 公演はRAIによって録画され、 ヨーロッパ、アジア、アメリカなど、 世界中の国々で放映されますから、 その額も半端ではないでしょう。 さて観客の中でもっとも熱い歓迎をうけたのは、 イタリア大統領のアゼリョ・チャンピでした。 かれはフランカ夫人とともに来場し、 居あわせた観客たちから受けた喝采は、 ダニエル・ハーディングに向けられたたものと 同じくらい熱狂的でした。
チャンピは85才ですが、終演後に彼は、 マエストロ・ハーディングは 彼を若返らせてくれたと言い、 親しみと愛をもって彼を抱きしめたとのことです。
イタリア首相のシルヴィオ・ベルルスコーニも、 その来場が待たれていたのですが、 彼はスカラ座の初日には、 あまり行きたくないと思ったようです。 彼の政府が超不人気の時期にあることから、 抗議でもされてはかなわんと、腰が引けたのでしょう。 ともかく、その夜は世界的なお祭りのようでした。 60年代初頭の「甘い生活」を彷佛させました。 フェデリコ・フェリーニがフィルム上に巧みに表現し、 オスカー賞を勝ち取った、あの甘美で誘惑的な空気が、 ほんの一晩だけ、ローマではなくミラノに漂いました。 現実的には、イタリアは今、他の西側諸国と同じく 大規模な不況の中にあります。 でもスカラ座の初日は、 ショーウィンドーの中にでもいるみたいに、 いつも着飾って注目されたいらしい人びとにとって ねがってもない「おいしい」 チャンスだっとことでしょう。 イタリアだって、かれらから 搾取されてばかりはいません。 たまにはこうして、お金を吐き出させなくちゃね。
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2005-12-13-TUE
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