フランコさんのイタリア通信。 |
イタリアW杯優勝、おめでとうアズーリ! アズーリが、 決勝戦でフランスを下しました。 2006年ドイツW杯での優勝です。 7月の、ほぼ満月に近い月が、 グロッソのPKに微笑んだように見えました。 勝利の瞬間です。 数百万人のイタリア人たちが 彼らの感謝の気持ちを叫び歌いながら、 その月のかかる空を仰ぎました。 4度めの世界チャンピオンタイトルは、 イタリアの夢でした。 長いこと待ちわびた末の実現ですから、 こんなに素晴らしいことはありません。 それぞれの広場で試合を観戦していた たくさんの、たくさんの、イタリア人達の頬を、 幾筋もの涙が流れました。 彼らの愛する代表チームの色が、 24年の時を経てその誇りを取り戻したのです、 そうです、あのアズーリたちが。 サッカーはスポーツである以上にショーであり、 ひとつの感動でありうるか? もう疑う余地はありません。 W杯決勝戦は、どこから見ても 最も素晴らしい試合のひとつでした。
試合開始数分後に、 マテラッツィの取られた充分におめでたいPKが ジダンに決められてしまった時には、 フランス優位の進行が約束されたかのようで、 アズーリたちにも落胆の気配が走りました。 いや、それ以上に、 ほんのひとつまみとはいえ「失望」すら 生じさせたにちがいありません。 しかしアズーリも 誇りを賭けたリアクションを起こしました。 失態をしでかしたマテラッツィ自身のヘッドによる 素晴らしい同点ゴールがあり、 闘いはそのまま延長戦へともつれ込みました。 この大会最高のゴールキーパーであることを 全てにおいて決定付けたブッフォンのセービングも、 フランスの怒濤の攻撃をかわしました。 これは、もちろん大変なことです。 サッカーの神々のひとりである炎のジダンが、 彼の現役最後となるこの試合で、 いくどもイタリアを葬り去ろうとしましたからね。 そしてジダンは、 マテラッツィに対する頭突きで レッドカードを受ける結果になってしまいました。 ついに優勝の行方はPK戦に託され、 イタリアは5本ともを完璧に叩き込みました。 イタリアの勝利です。 イタリアにとっては 4度めの世界タイトルの喜びが、 アズーリを包み込みました。 ちなみに、これはブラジルより1回少なく、 ドイツより1回多い優勝回数です。 1934、1938、1982、そして2006が、 イタリアサッカーの歴史に刻まれました。 アズーリを率いたマルチェッロ・リッピ監督は、 いちばん大事なレースで勝利を納めたレーサーのような ハンドルさばきを見せました。 スクデットの数々、 UEFAチャンピオンズ・リーグ、 そしてトヨタカップを勝ち取った時のように、 リッピは今、W杯をも勝ち取ったことになります。 かつてなかったほど惨澹たる現状のイタリアの、 でもシンプルで混じりけのないイタリアの、 機械化され過ぎてもおらず ビジネスに総てを売り渡されてもいない部分のサッカーが 勝利したという印象を、ぼくは受けました。
過去におけるW杯は、 いつも偉大なチャンピオンたちによって 性格付けられてきました。 ペレ、マラドーナ、ガッリンチャ、ジダン、 ロマリオ、ロナウドなど、 突出した選手が自国の優勝を導いてきた感があるのです。 それに比べて今回のイタリア優勝は、 トッティやデル・ピエロなど有名な選手たちではなく、 国際的には余り知られていない ピルロ、ヤクインタ、ペッロッタ、グロッソ、 マテラッツィなどの活躍とも結びついていました。 そして今回の勝利のシンボルであり、 技の部分を支えたのが、 たぶん誰よりも優れたキーパーであるブッフォンであり、 カンナヴァーロとガットゥーゾです。 ジェンナーロ・ガットゥーゾは、 イタリアのもっとも貧しい地帯とみなされている カラブリア州の出身で、 ACミランに所属しています。 彼は、ここへ到達するために 大きな犠牲も払わなければなりませんでした。 彼の辿って来た道は、 ちょっと「おとぎ話」のようなところもあります。 彼はジダンのような洗練された脚も、 カカのようなエレガンスも、 持ち合わせてはいません。 しかし、彼の寛大さ、走りにたいする意欲、 困難の中でも常に仲間を励まし続ける態度など、 どれをとっても、 彼しか持っていないものです。 アズーリの勝利を知らせる笛を審判が鳴らした時、 ジェンナーロ・ガットゥーゾは ベルリンの競技場のピッチに跪き、 草をひとつかみ引きちぎって、 それを食べました。 彼は大地へ愛を表したかったのだと思います。 貧しい農民として困難な人生を歩み、 ボールを追って走ることで名声と富を見つけた ガットゥーゾですから。 スキャンダルの数々と、 買収された審判たちとにまみれたイタリア。 ユヴェントスはセリエCに、 ACミラン、フィオレンティーナ、ラツィオは セリエBに降格される恐れをはらむ裁判を進めるイタリア。 そのどん底のイタリアが、 代表チームによって「信じられる何か」を再発見したと、 ぼくは言いたいです。 現状にうんざりしていたティフォーゾたちは、 かつて無かったほどに劇的に アズーリへの愛を取り戻しました。 イタリアでは、「白」が 純粋さと無垢さを表す色です。 でも、この7月9日から、 イタリアのティフォーゾたちにとって 「純粋無垢」を表す色は、 「アズーロ」になったことでしょう。 (azzurro=青。アズーリはその複数形)
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2006-07-11-TUE
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