フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

スキラッチ日本を語る。


「日本ですか? 素晴らしい国です。
 私は日本に最高の思い出をたくさん持っています。
 ああ、なんて懐かしいんだろう‥‥」

こう語ったサルヴァトーレ・スキラッチの目、
1990年にW杯イタリア大会で
数百万人ものティフォーゾを虜にした彼の目は、
まるで子ども頃の幸せを思い起こしているかのように、
甘い優しさと哀惜の混じった特別な光で輝いていました。

今から12年前、スキラッチは日本へ移動しました。
新しい感動や経験、新しい人生を求めて、
はるか遠い日本へ渡る‥‥
彼はイタリア人サッカー選手として初めて、
日本チームへの移籍を実行しました。

ぼくは、今はイタリアに戻ったスキラッチに、
日本について語ってもらいました。

あの頃のことを、聞かせてください。


「ジュビロ磐田の重役たちが
 私にその提案をしてきた時、
 私は驚きました。
 当時の私は、日本について
 何も知らなかったのです。
 私の頭に浮かぶ日本のイメージといえば、
 写真でしか見たことのない富士山だけで、
 他には何も知識がありませんでした‥‥」

──それで、その後どうなりました?

「私は、まず日本の人びとのことや、
 その習慣や伝統について興味を持ちました。
 サッカーをプレイすることより強くね。
 だってボールを蹴るという作業は、
 結局はイタリアや世界の他の国でも
 大差ありませんからね、でも‥‥」

──でも、何ですか?

「それまでの私は
 怒鳴り、熱狂し、時には行儀の悪い振舞いさえする
 イタリアの観衆に慣れていました。
 ところが日本では、
 私がジュビロ磐田のシャツを着てプレイした
 どの競技場でも、
 だれもが私にたいして礼儀正しく、
 敬意をはらい、愛してくれました。
 私は何のためらいもなく安心して、そう言えます」

──日本のことで何があなたの心に残りましたか?

「美意識です。
 イタリアは遺跡や世界で最も美しい街の数々、
 並外れた素晴らしい景色などが
 たくさんある国だと思います。
 ローマ、ヴェネツィア、シチリアなどを
 思い起こすだけで分かりますよね。
 イタリア人なら誰でも知っている物たちですが、
 誰もがそれらを愛しているとは限りません。
 日本では常にバランスや調和が模索されます。
 つまり調和のとれた物が美しいということです。
 生け花も、完璧に手入れされた庭園も、
 まさに芸術である漢字をふくむ書体などは
 世界一エレガントだと思いますが、
 すべてが調和の美です。
 私は日本での4年間で多額の報酬を受けましたが、
 なによりも私が学んだ事は、
 より高く羽ばたくということについてです‥‥」

──日本へ仕事をしに戻りたいですか?

「もちろん。
 日本のサッカーは発展し続けていますが、
 子どもたちのためのサッカースクールが足りません。
 私は現在、故郷であるシチリアのパレルモに、
 5才から16才までの500人の少年が通う
 サッカースクールを持っています。
 彼らはここに通ってサッカーを『学んで』います。
 このタイプのスクールは
 日本でも役立つのではないでしょうか。
 そこでは多くの少年たちが
 ボールを足でどう扱うかを学べるでしょう。
 日本でも少年たちは学校で学び、
 大人たちは仕事の中で学んでいます。
 イタリアやヨーロッパに一般的にあるような
 サッカースクールに子どものうちに通うことで、
 日本のサッカーはとても重要なものになるだろうと、
 私は確信しているのです。
 いずれにせよ、日本のサッカーはエレガントで
 美しくあり続けると思います。
 なぜなら日本人は、
 エレガンスや美しさは何事にも欠かせないと
 考えているからです。
 その考えは正しいと思います。
 将来的に日本のサッカーはヨーロッパ型より
 ブラジル型に近付くでしょう。
 そして、日本という国が
 これだけ私の心に残っているのですから、
 そういう世界で私は仕事をしてみたいと思います」


訳者のひとこと
え? 国が丸ごと美術館のような、
あのイタリアの人が見た日本は
「美意識」の国なの? と思うかたも
いらっしゃるかも知れませんね。

イタリアには階級意識というか、
階級別の文化の違いに対する意識のようなものが、
日本より強く残っていると思います。
豪華で美しいものは上流階級のものであって
ある程度から先は
自分たちには関係ないという意識が、
長い歴史の中で庶民的感覚に根付いているために、
「遺跡や美しい街を誰もが愛しているとは限らない」
ということも出て来るのでしょう。

日本では「調和」に美しさを見い出すと、
彼は言っています。
調和というものには
豪華質素の制約はありませんから、
彼のイメージする「美の可能性」が
日本で少し広がったのかもしれません。
「より高く羽ばたくことを学んだ」
という彼の言葉からも、
彼が何かから解放された感じを受けますね。
そうだとしたら日本人として嬉しいですね。

翻訳/イラスト=酒井うらら

2006-12-12-TUE

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