BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

時代はダンスを求めている
(全3回)

第1回 レッツ・ダンス!

第2回 肉体は表現の「引き出し」

第3回
「好き」がいちばんの資質

糸井 体も使い、頭も使う。ダンサーの人は、動いてない場所が
どこにもないわけですよね。踊らない僕からすると、
いちばん羨ましいのはそこなんです。つまり、全部、
同時に動いている。たとえば野球というゲームは、
止めて、考えて、動く、止めて、考えて、動く
という形でしょう。途中、頭も体も休められるんです。
他の仕事でもきっとそうなんですね。
実は、物事というのはたえず動いているんだけど、
いったんそれを止めて断面図みたいに切り取って、
そこで「次はどうしよう」と考える。
これまでの日本人のそういう思考が、
今の僕にはすごくじれったいんです。
それで、動きながら考えているのは何かというので、
そうだ、踊りだって思ったんです。
小松原 私なんか逆に、止まって考えなきゃいけないと思うのに、
止まれない。
糸井 あらあら。(笑)
SAM よく日本人は頭で考えてから行動する癖がついている
と言いますね。
単なる一般論にしかすぎないとは思うんですけど、
友達のアメリカ人ダンサーを見てると、
音が聴こえたら、やっぱり考えるより先に
体を自然に動かし始めていたりする。
だからこそ、僕らは足りない部分を
トレーニングしなきゃなっていう発想になるんですけど。
糸井 頭も体も同時に、となるには、とにかくトレーニング
ってことなのかな。トレーニングといえば、具体的には、
毎日どういうことをやるんですか。
小松原 今は新しい作品をつくるとき以外は、
一日に何時間も続けてお稽古することはなくて、
毎日しているのはストレッチや軽いバーレッスン、
ダンベルを持って体操するとか、そのくらい。
つまり体を常に柔軟にしておくという訓練ですね。
でも、スペインにいた若い頃は一日に七時間くらい
お稽古していました。その点、今の方は
訓練が足りないですね。
初歩の頃は、身につくまでは毎日、最低四、五時間の稽古は
必要だと思うんだけど。
SAM 僕も今は基礎的なものだけで、腹筋や腕立て伏せ、
ストレッチとか。あとは実際にダンスをしながら、
踊るための筋肉を鍛えているという感じですか。
でも僕でさえ、今の若い人たちは、
自分たちがやってきた頃より、トレーニングやレッスンを
していないって感じますね。早く有名になりたいとか、
人に認められたいという気持ちのほうが強いのかな。
糸井 筋肉の使い方は、ダンスの種類によって
ずいぶん違いますよね。
SAM 僕はアメリカに行ってたとき、クラシックバレエを
二年半、かなり集中的に勉強していたことがありました。
日本人の体は薄っぺらいですよね。
だけど向こうのダンサーはすごくガッチリしている。
そういう太い筒形の体づくりのために始めたんです。
そのレッスンをしてる時期は、姿勢もよくなるし、
筋肉もバレエにあった筋肉になっていく。
ところがそうなると今度は、ストリート系の踊りが
できなくなるんですよ。それで二十代の半ば頃に、
一度つくった体を、今度、崩す作業をしたんです。
糸井 一度、楷書を学んでから、草書、行書にいくみたいな……。
SAM そういう感覚です。
小松原 バレエのメソッドは、ダンサーの体をつくる基本ですね。
SAMさんのやってらっしゃる踊りとは、筋肉の使い方は
違うかもしれないですけど、舞台上を歩く、回る
という点においても、バレエのレッスンに勝るものは
ないです。私もバレエをやっていなかったら、
フラメンコをこんなに踊れなかったと思います。
今、フラメンコ・ダンサーでも、一所懸命に
バレエの練習をやってますよ。
糸井 同じフラメンコでも、時代とともに
踊りは変わってきていますか?
小松原 昔はリズムを刻んでピタッと決まれば、
オーレってなりましたけど、今はそれだけだと
拍手がこない。飛び上がったり、回ったりということが
要求されています。だいたいスペイン人は
ドンッと立派な肉体をしているから、
そういうバレエ的な要素には向かないんです。
でもこの頃は体質も変わってきてますからね。
離婚が自由になって、別れたあとすぐに次の男性に、
っていうふうにできますから、女性は常に美しくありたい
と思って、ダイエットにも励む。
糸井 だから飛んだりはねたりもできる。社会の仕組みが
フラメンコを変えたんだ。SAMさんたちの踊りも
社会というか、街の中から出てきたものですね。
SAM ストリート系は、ニューヨークのブロンクスの少年たちが
小遣い稼ぎに始めた、というものですから。
糸井 芸として。
SAM だから路上パフォーマンスというか、もともとは大道芸。
僕はディスコ・ダンスから入って、その流れで
ブレイクダンスをやり、今、流行っているクラブで踊る
ダンスをやりということで、僕自身の中では一つに
なっているんですけど、それぞれに違ったテイストは
あります。
糸井 常に鍛えているとはいえ、年齢とともに、
筋肉や体力の衰えとの戦いというものがあるわけでしょう。
SAM 二十代のときとくらべると、確実に違ってきてるというのは
感じます。若い頃はともかくパワーがあって、
がむしゃらで、アドリブで踊る場合も、床に転がろうが、
頭をぶつけようが大丈夫だった。それが年齢と共に
体力が衰えてくると、脳が咄嗟の判断をしても、
体がついていかなくてケガすることもあるので、
わりとセーフティになってきちゃうかな、
というのはありますね。
小松原 ただ、同じ肉体を使うのでもスポーツマンと違うのは、
体力だけじゃないということ。
自分がトシになってきたから
言うわけじゃないんですけど(笑)、若いときの
パワーにまかせただけのものとは違う踊りのよさ
というものがありますでしょう。
フラメンコだと、非常に人間的な内面からの怒りだとか、
苦しみ、喜びだったりとか、つまり感情を表現する
という部分が重要です。私も最難のパソをやり抜く
というのは、今はもうできませんよ。
でも、それを超える何か、ドラマチックで
演劇に近い踊りをつくっていければと
常に思っているんです。
SAM ブレイクダンスみたいなものだと、激しい踊りなんで、
トシをとったらできないとみんな言うんですけど、
僕は、それなりに体を鍛えていれば、
踊りのスタイルを変えながら、
ずっと続けていけるんじゃないかと思っていますね。
小松原 SAMさんは今、おいくつ?
SAM 三十六歳です。
小松原 ダンサーとしては三十代、四十代というのは最高ですよ。
いちばんいい年齢にさしかかってるんじゃないかしら。
筋肉は鍛えられて、踊るための体になっているし、
経験の蓄積もできてきて、そんじょそこらの若い人たちの
踊りとは違うと思うんですよ。
私はきょう、SAMさんとお知り合いになれたけど、
長い間ずっとフラメンコだけ見て、
狭い世界で生きてきたでしょう。
でも、あらゆるジャンルのものを見なければいけない
と思って、今、若い絵かきさんとか作家、
さまざまな音楽の分野の方たちとの接触を
もつようにしてるんです。私の長年培ってきた経験と、
新しいもの、現代のものとが混ざり合って、
よりいいものができたらいいなぁと……。
糸井 新しい振り付けのアイデアは、
どういうときに思いつくんですか?
SAM 多分、日常のなかでいつも考えているんでしょうね。
朝起きて寝るまで、頭の中は当たり前のように、
そういうことを考えているという気がします。
糸井 街を歩いているようなときでも?
SAM いやぁ、普通のサラリーマンの方たちの生活に
つい目がいっちゃいますね。自分にはできないので、
すごいなと思って(笑)。
ただ、その中に何かヒントがあるんじゃないかという目で
見ているときは、人が自然にやっている動きが
面白く感じられて、それをこう踊りにしたらどうかな
と考えつくことはあります。
小松原 私は、歌舞伎の所作をヒントにしたりね。
たとえば歌右衛門さんの手拭い一つを扱う所作が美しいと、
あれをちょっと振りにしようとか。
フラメンコも布を使って踊りますから。
お芝居の舞台装置なんかも参考にします。
それから絵ですね。美術館に行って、
絵画の色の使い方を見て、この色で衣装をつくりたいとか、
舞台美術にこう使おうとか。
SAM いやぁ、僕なんかまだ目先のことにしか
目がいってなかったので、今、お話をうかがってて、
これからそういうところにも目を向けていけると
面白いだろうなと、すごく勉強になりました。
糸井 ダンサーは素敵な職業ですよね。
小松原 ええ、踊り手というのはすごく素敵。
でも苛酷な職業でもあります。
常に肉体を訓練していなくちゃいけないし、
レコードのように形にはならなくて、
いつもその場で身ひとつでやるわけでしょ。
そして収入は歌う人たちの何分の一。
糸井 踊りに印税はないんですね。
小松原 スペインだったら、一つの作品をつくったら、
振り付けに関しては著作権みたいなものが
あるんですけど、それだって、そこから盗んで
踊ったところで、ぜんぜんわからない。
糸井 パクッていいんだ。
SAM ダンスの世界は、歴史的にも
盗み合いでやってきているようなところがありますね。
小松原 芸能や芸術で「盗む」ということは大切です。
ただ、そのままコピーするのは恥ずかしいことで、
自分でちゃんと消化してやることが重要ですね。
糸井 前に木村拓哉君と話していたとき、
僕が「踊り、面白くていいよね」と言ったら、彼、
「僕の踊りなんかダメですよ。まがいものだから」って。
SAMさんに振り付けてもらって、すげぇいいなあ
と思って自分で踊ったら、違うものになってるんだって。
SAMさんのは“踊り”だけど、
自分のは“踊り”じゃない。
教わった踊りのキレみたいなものもできていなくて、
そんな自分に不満だと。
あの人、青年将校みたいなところがあるから。
SAM 彼はカッコつけずに、そういうことを正直に言うタイプで、
自分に厳しいんですよね。
糸井 木村君の話もそうなんだけど、僕は踊りをやっている人に、
あるストイシズムを感じるんです。上を目指して、
もっと欲しい、もっと欲しいというような。
SAM 他にもっとすごい人はいっぱいいるし、
目指すものが常にあって、そこに追いつこうという努力を
絶えずしなくちゃいけませんから。
小松原 私も自分で満足する踊りを一回踊ってから死にたい
と思うんですけど、なかなか、ね。
だから自分のビデオは見ない。ああ、やだぁと思っちゃう。
糸井 「やだ」とまで思いますか。
SAM それだけ、終わりがないものなのかもしれません。
糸井 最後にうかがいたいんですが、ダンサーに必要な資質は
何でしょうか。
SAM 僕はそういうものは、あまり関係ないと思います。
スポーツだったら足が速いとかジャンプ力があるとか、
じゃ、記録測ってみようというので判断しやすいですけど、
ダンスは運動神経がない人でも、努力しだいである程度まで
踊れるようになるんですよ。リズム感にしても、僕自身、
もともと自分ではリズム感がいいとは思ってなかった。
でも勉強していくと、前は感じることが
できなかったリズムもわかってくる。
糸井 リズムの勉強というと?
SAM 音をよく聴いたり、楽器をやったりということですね。
一拍をずらしてみたり、早打ちしたり、遅く打ったりとか、
自分なりに、そういうトレーニングを続けていると、
いろいろわかってきて、ああ、リズム感は磨かれるものだな
と思いました。そうなると、センスとか才能というものは
最初から判断できなくて、つまりは、とりあえず踊るのが
好きだという気持ちだけじゃないかなと……。
小松原 好きだというのは、いちばんの基本ですね。
糸井 信じていいんでしょうか、間違いなくそこを。(笑)
小松原 三十何年、生徒さんを教えてて、「この人は」
と思って続いた人はいないですよ。
やめたほうがいいんじゃないかしらって言うのに、
しつこくやってる子が、今も残っていい踊り踊っています。
糸井 うわぁ。
小松原 資質よりも、いかなるときでも必ず稽古を続ける
という努力ですね。それからフラメンコの場合だと、
本当の恋愛をしないとダメ。
猛烈に人を愛するという気持ちを知らない人は、
踊れないと思うんですよ。
糸井 踊りにあらわれますか。
小松原 お稽古していても、この人、今、好きな人がいるなって
すぐにわかる。踊りが変わってくるんです。
反対に、一所懸命に踊ってて、すごく上手なのに、
味もそっけもない殺風景な人もいます。
糸井 「殺風景」ですか。踊りを評価する言葉に、
そういう言い方もあるんだ。
小松原 SAMさんも、結婚してお子さんが生まれて
(婦人公論編集部註・夫人の安室奈美恵さんが九八年五月に
第一子を出産)、そういう経験はとても大切だし、
その意味でも、とてもいい時期だと思いますよ。
ホセ・アントニオというバレエ・ナショナルの
大スターだった人がいます。踊りもテクニックも完璧。
だけど、私には何も伝わるものがなかったのね。
それが奥さんを亡くし、バレエ・ナショナルをやめて
つくった自分の舞踊団も失敗して、
ずいぶん苦労したんです。
その彼がアンダルシア舞踊団の芸術監督になって、
この前、私たちが日本に呼んだの。
そしたら、引き入れられるような踊りになっているんです。
いろいろな経験が彼の踊りを変えたのね。
苦労しても、それが汚くならずに膨らまされて、
人間性が滲み出て、四十を過ぎてから
本当の芸術家と言えるような素敵な踊り手になってた。
私、涙が出るくらい感動して、ホレボレしました。
糸井 “踊らない”僕からすると、そういう話を聞くだけで
気持ちいいです。
SAM 踊ることそのものは、実は簡単だと思うんです。
踊りをやりたいけど、なかなか踏み込めないという人は、
部屋で音楽に合わせて体を動かしてみるだけでもいい。
それがダンスになってるんです。僕らのダンスは
わりとそういう発想だったりするので、
とにかく恥ずかしがらずに踊りましょうと。
プロの方とレベルの差はあっても、
踊りへの同じような感覚は必ずあるような気がします。
糸井 その昔、子供たちがピンクレディーのまねして
「UFO!」ってやってたのも、あれはあれで
踊りなんですね。
僕もこれからは、ちょっと体を揺するような暮らしに
移行してみようかな。(笑)

(おわり)

1999-09-18-SAT

BACK
戻る