高野連の正式名称は、高等学校野球連盟。 勝手ながら、高野連というと、 だから、最初に電話したときは、かなり緊張した。 |
福島県高等学校野球連盟 |
福島県の高野連事務局は、福島商業の中にある。 そのことも意外だったけれど、 時間を割いてくださった 福島県高野連理事長の宗像治さんが 穏やかで優しい人だったことが たいへんいい意味で、予想外だった。 |
福島の甲子園の予選を取材するにあたって、 どこの高校が強いのか? 注目を集めている選手は? 企画の趣旨をメディアの特殊さをお話ししたうえで、 |
宗像 聖光学院。 |
宗像 宗像さんをはじめとする、 |
宗像 そう、もう何度もぼくらが目にしている、 小高工業高校、相馬農業高校、富岡高校、 去年の秋の大会でベスト4に入った原町高校は、 そして、上に挙げた7つの高校のなかでも、 そこで、3校は「相双連合」という 宗像 連合チームの選手は |
宗像 高校野球ファンの琴線に触れる話だった。 ぼくは、福島の高校野球を取材するにあたって、 もともとぼくは涙もろく、 だから、まぁ、どうしようもないときは 頭の中に、あのメロディーが流れた。 |
あのぅ、相双連合は、 宗像 |
相双連合が勝って、満員の球場に 「喜多方高校は、やりづらいかもですね」 宗像さんは、軽く苦笑した。 やりづらいって、どういうことだ? それは俺じゃないか、と思った。 3月11日に地震が起こらなければ、 そういう混乱した考えが、さぁっと頭をよぎった。 たぶん、これから先も、取材を続けるなかで、 ぼくはこの取材を「わからない」ままにはじめた。 しかし、その「わからない」には、 福島について考えるとき、 そして、重要なことは、そういったことが、 それで、ま、難しいねぇ、 もちろん、もっとしっかり考えて 正直にいえば、いま、そんな自分の過去を 難しいねぇ、と簡単に結論づけるよりは、 この夏、福島の高校野球を追いかけるというのは |
さて、最初の取材で、ぼくはさっそく混乱していた。 宗像 あーーー、と思わず相づちをうつ。 宗像 そう、なにしろ、 宗像 うーん、と思わず声が出る。 宗像 宗像さんのことばをかみしめながら、 宗像 |
思えばいただいた時間をオーバーしていた。 宗像さんは、 宗像 |
1971年、磐城高校。夏の甲子園、準優勝。 宗像 それが願いです、と、 そこでは話さなかったけれど、 1971年の夏、宗像さんは、 やっぱり思い出しますか、と聞くと、 |
こうして、高野連での最初の取材が終わった。 |