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【読み方】
【生涯】
米沢城で生まれる。
幼少の頃に、
天然痘で右目を失う。
19歳で家督を継ぎ、
23歳のころには、
奥州南部を制覇。
関ヶ原の合戦のときは、
東軍。
支倉常長らの
慶長遣欧使節団を、
メキシコ→ローマまで派遣。
(このあたりの雰囲気は
遠藤周作『侍』でどうぞ。)
死の直前まで
藩主の座にあった。
【不良藩主】
3代目藩主の伊達綱宗は、
酒色に溺れる。
吉原から、
高尾太夫(仙台高尾)を
身請けして、
(身請け金は、太夫の体重と
同じ重さの黄金説。)
舟で屋敷に連れて行く途中に、
惨殺したという
巷説があるほどである。
これが、のちに、
江戸の3大お家騒動とよばれる
伊達騒動に発展していく。
【もう一人の伊達政宗】
室町時代にも伊達政宗が一人。
伊達氏9代目当主。
中興の祖と言われている。
初代仙台藩主の伊達政宗は、
この伊達政宗にあやかって、
命名。
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