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【読み方】
【遠山景元の生涯】
1793年(寛政5年)生まれ。
1855年(安政2年)死去。
江戸の旗本。
幼名が金四郎。
いわゆる、遠山の金さんである。
父は長崎奉行をつとめた
遠山左衛門尉景晋。
家督相続前は、
家庭環境が複雑だったため
グレていた。
これが、
「遊び人の金さん」像の元である。
家督相続後は、勘定奉行、
江戸北町、南町奉行を歴任。
天保の改革時には、
老中の水野忠邦や、
南町奉行の鳥居耀蔵と
しばしば対立するも、
様々な政策を実施。
特に、市中から追放されそうだった
歌舞伎を江戸郊外に移転させる、
という政策を実施したために、
歌舞伎で
「遠山の金さん」ものが、
多く上演されたために、
有名になった。
ちなみに、背中の桜吹雪は、
無かった説、
右腕のみにあった説、
桜吹雪ではなく、女の生首説
など、様々。 |
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