【読み方】
【平賀源内の生涯】
1728年〜1780年。
江戸時代の医者、作家、発明家。
本名は、国倫。
通称が源内。
讃岐の足軽身分の家に生まれる。
13歳ごろに、医学、
儒学を学びはじめる。
また俳諧もよくした。
その後、蘭学を学ぶために
長崎に遊学し、オランダ語、
医学、油絵を学ぶ。
留学後に家督を放棄。
近畿で学んだ後、
江戸に出る。
長崎には再度留学し、
鉱山の採掘などを学び、
伊豆で鉱床を発見し、
当時の老中の田沼意次に
名前を知られるようにまでなる。
文芸活動も盛んに行い、
講談本などを執筆。
秋田藩で鉱山開発も手がける。
ちなみに、
夏ばての防止に、
土用の丑の日には
ウナギをたべる習慣は、
源内が不振になやむ
鰻屋にたのまれて考えた
キャンペーンである。
二人を殺傷し投獄され、
獄死した。
52歳。
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