YAMADA
カンバセイション・ピース。
保坂和志さんの、小説を書くという冒険。

第3回
「取り調べる小説はつまんない」

糸井 昔、「人間には小説は向いてない」って
話してたんだけど、正解だと思うんです。
保坂 人間には、かなり負担ですね、
小説を書くという行為は。
糸井 うん。
さらに言うと、
小説という文字に書いておさめるために、
ほんとは、
書いてる本人もどうでもいいことを、
整えなきゃいけないじゃないですか。

「4人いた人を、
 ひとり消しちゃうわけにはいかない」
とか、そういう整合性のために、
ものすごい、大きな労力を費やしますよね。

お客さんも、
ほんとうはどうでもいいと思っているのに、
整合性のところが気になるってことで、
小説を、読み続ける。

つまり、どっちでもいいところで、
お客さんと書き手の両方が、
すごい時間を費やしているというか……。
保坂 うん。
糸井 それについての疑問が、
もともと、あったんですよね。
だから、資料を調べなきゃいけないようなことは、
書きたくないっていうのが、ぼくの根っこの気分で。

ぼくが、「ほぼ日」をはじめてから
どんなにラクかっていうのは、そこなんです。
保坂 記憶を細かくつっついていくことは、
取り調べ室にいる刑事でもできるでしょう?


で、あんなやつ、
利口なわけがないじゃない。
細かく事実関係をつっつくなんていうのは、
知的な作業じゃないんですよ。

取り調べるのではなくて、
ぼんやり思っていることを、
いかに確立するか、っていうか……。
糸井 「豊かに立ちあげる」ということですよね。
保坂 それが、大事なんです。
糸井 共感するなぁ。
オレ、もしかしたら、
この小説の、いい読者になるかな?
保坂 なりますよ。
なるに決まってますよ(笑)。
もうひとつ、
いちばん、最初のきっかけっていうのが、
ぼくの、小学校低学年の時の記憶でして。

うちの庭に、
背の高い洋芝が生えていて、
というと、洋館を想像するかもしれないけど、
ただ、ふつうのボロい家ですけどね。狭い庭で。

そこで、最近見ないんだけど、イトトンボが、
その洋芝に、たくさん集まっていたのね。

ぼくは真夏に
イトトンボを捕るのが好きで、
引きこもりタイプじゃないんですけど、
ヒマだと、けっこうそういうことをやっていた。

その時の記憶を思い出すと、
イトトンボを捕ってるアングルの記憶もあるけど、
空の上から、庭で自分が、イトトンボを
捕っているのを俯瞰している記憶がある……。
それはもう、ウソですよね?
糸井 うん。
保坂 庭に面したうちの中には、
おふくろがいるんですけど、
おふくろはいつも洋裁をしていたんですけど、
ぼくがその庭にいて、
うちの中におふくろが洋裁をやっている姿も、
記憶の中に、あるわけですよね。

それは、庭から見える場所じゃないんですよ。
糸井 そういうのって、あるよね。
保坂 記憶の中では、
襖一枚を隔てたり、壁を隔てた向こうに、
人がいることがわかっていたら、
「見える」ってことに、なるんですよ。

そういう記憶を小説の中で立ちあげて、
その記憶にリアリティを与えるっていうのが、
ぼくがこれを書く、最初の動機だったんです。

糸井 それって、
おもしろいオモチャを見つけた感じだよね。
保坂 今のぼくたちの持っている
合理的思考法というか科学的思考法というか、
実証主義的思考法とは、相反するものなので、

思考法と反するっていうことは、
言葉の使い方とか、
細かく言うと、ぜんぶ反するんです。

科学と記憶のあり方とが。

書きだす1年以上前から
そういうふうに思っていたんですけど、
どう書いていいのか、
しばらくわかんなかったんです。
糸井 記憶については、
この本だけじゃなくて、
保坂さんの本、全体に通じるものですよね。
保坂 一応、そうですね。
最初から、そういう世界を
書きたかった気配は、あるんです。
糸井 今回が、いちばん方法論としては意識したんですか?
保坂 方法論というか、
「どういうものを浮かびあがらせたいか」
「何を立ちあがらせたいか」
というのが、はじめて、
小説を書く前にあった、という感じかな?
糸井 今までは、ないんですか?
保坂 なんにも考えない。
最初の1行からだけ考えるというか。
糸井 ふーん。
(つづきます!)  

2003-06-20-FRI

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