糸井 |
昔、「人間には小説は向いてない」って
話してたんだけど、正解だと思うんです。 |
保坂 |
人間には、かなり負担ですね、
小説を書くという行為は。 |
糸井 |
うん。
さらに言うと、
小説という文字に書いておさめるために、
ほんとは、
書いてる本人もどうでもいいことを、
整えなきゃいけないじゃないですか。
「4人いた人を、
ひとり消しちゃうわけにはいかない」
とか、そういう整合性のために、
ものすごい、大きな労力を費やしますよね。
お客さんも、
ほんとうはどうでもいいと思っているのに、
整合性のところが気になるってことで、
小説を、読み続ける。
つまり、どっちでもいいところで、
お客さんと書き手の両方が、
すごい時間を費やしているというか……。 |
保坂 |
うん。 |
糸井 |
それについての疑問が、
もともと、あったんですよね。
だから、資料を調べなきゃいけないようなことは、
書きたくないっていうのが、ぼくの根っこの気分で。
ぼくが、「ほぼ日」をはじめてから
どんなにラクかっていうのは、そこなんです。 |
保坂 |
記憶を細かくつっついていくことは、
取り調べ室にいる刑事でもできるでしょう?
で、あんなやつ、
利口なわけがないじゃない。
細かく事実関係をつっつくなんていうのは、
知的な作業じゃないんですよ。
取り調べるのではなくて、
ぼんやり思っていることを、
いかに確立するか、っていうか……。 |
糸井 |
「豊かに立ちあげる」ということですよね。 |
保坂 |
それが、大事なんです。 |
糸井 |
共感するなぁ。
オレ、もしかしたら、
この小説の、いい読者になるかな? |
保坂 |
なりますよ。
なるに決まってますよ(笑)。
もうひとつ、
いちばん、最初のきっかけっていうのが、
ぼくの、小学校低学年の時の記憶でして。
うちの庭に、
背の高い洋芝が生えていて、
というと、洋館を想像するかもしれないけど、
ただ、ふつうのボロい家ですけどね。狭い庭で。
そこで、最近見ないんだけど、イトトンボが、
その洋芝に、たくさん集まっていたのね。
ぼくは真夏に
イトトンボを捕るのが好きで、
引きこもりタイプじゃないんですけど、
ヒマだと、けっこうそういうことをやっていた。
その時の記憶を思い出すと、
イトトンボを捕ってるアングルの記憶もあるけど、
空の上から、庭で自分が、イトトンボを
捕っているのを俯瞰している記憶がある……。
それはもう、ウソですよね? |
糸井 |
うん。 |
保坂 |
庭に面したうちの中には、
おふくろがいるんですけど、
おふくろはいつも洋裁をしていたんですけど、
ぼくがその庭にいて、
うちの中におふくろが洋裁をやっている姿も、
記憶の中に、あるわけですよね。
それは、庭から見える場所じゃないんですよ。 |
糸井 |
そういうのって、あるよね。 |
保坂 |
記憶の中では、
襖一枚を隔てたり、壁を隔てた向こうに、
人がいることがわかっていたら、
「見える」ってことに、なるんですよ。
そういう記憶を小説の中で立ちあげて、
その記憶にリアリティを与えるっていうのが、
ぼくがこれを書く、最初の動機だったんです。
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糸井 |
それって、
おもしろいオモチャを見つけた感じだよね。 |
保坂 |
今のぼくたちの持っている
合理的思考法というか科学的思考法というか、
実証主義的思考法とは、相反するものなので、
思考法と反するっていうことは、
言葉の使い方とか、
細かく言うと、ぜんぶ反するんです。
科学と記憶のあり方とが。
書きだす1年以上前から
そういうふうに思っていたんですけど、
どう書いていいのか、
しばらくわかんなかったんです。 |
糸井 |
記憶については、
この本だけじゃなくて、
保坂さんの本、全体に通じるものですよね。 |
保坂 |
一応、そうですね。
最初から、そういう世界を
書きたかった気配は、あるんです。 |
糸井 |
今回が、いちばん方法論としては意識したんですか? |
保坂 |
方法論というか、
「どういうものを浮かびあがらせたいか」
「何を立ちあがらせたいか」
というのが、はじめて、
小説を書く前にあった、という感じかな? |
糸井 |
今までは、ないんですか? |
保坂 |
なんにも考えない。
最初の1行からだけ考えるというか。 |
糸井 |
ふーん。 |
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(つづきます!)
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