糸井 |
保坂さんの小説って、何なんだろう?
ストーリーには行かないんだけど、
ストーリーがあった時よりも
見えるものがあるっていうか、
見るよりも、「味わう」ってことに近いかな? |
保坂 |
そうですね。 |
糸井 |
「見る」って、何か、
再現性があるような気がして、
言語が介入できすぎますよね。
食べると味わうの間に、
「音楽」が、あるのかなぁ。
音楽も、ある程度、再現性があるから。
スコアもできちゃうし。 |
保坂 |
こないだも、高橋源一郎さんと話をして、
「小説の中に出てくる言葉」と
「小説を説明する言葉」っていうのは、
まったく、違うものなんだっていうことで、
意見が一致したんです。
音楽は、音で鳴っているものを
言葉で説明しようとしても伝わらないって
みんな、わかっていますよね。
「小説」と「小説を説明する言葉」って、
一見、同じ言葉に見えてしまうから、
説明したら小説が伝わると思われがちだけど、
まったく、別の言葉なんですよね。
小説の中にある言葉って、
小説の中でしか、味わうことができないし、
感じることができないんです。 |
糸井 |
小説語ってのが、あるわけね。 |
保坂 |
そうそう。
だから、こうやってしゃべるのも、
どだい、無理なことなんですけど……。 |
糸井 |
ぼくは、その小説語に
いちばん近くいけることは、
クチから出た言葉じゃないかなぁ、
と思っているんですよ。
特に、生でしゃべっている時って、
声質から強さから、ぜんぶ入っているから。 |
保坂 |
そうそう。身振り手振りも入っているから。 |
糸井 |
しゃべり言葉には、
「伝わらないかもしれない」
っていう、謙遜があるんです。
実際の会話では、
「こっちから行ったらどうかな?」とか、
「あっちから話したらどうなるだろう?」とか、
ありとあらゆることを、無原則に試しますよね。
それが、ふつうの書き言葉とは違う。
小説語にも、原則はありますか? |
保坂 |
小説を続けながら
作りあげていくのが、
小説の言葉の原則だから、
無原則のようなものなんですよね。
その原則は、
小説を説明する人の原則とは
まったく、意味が違いますから。 |
糸井 |
そんなようなことを、ぼくは今、
保坂さんからしゃべり言葉で聞いて、
おもしろそうだと思っているわけだけど、
書いた小説と他者との出会いっていうのは、
保坂さんは、想像しているんですか?
会ったこともない、読んでくれる人が、
この場と、どう遭遇するかということは、
小説を書く時に、折りこまれているんですか? |
保坂 |
『プレーンソング』を
書いた後にわかったんですけど、
あの小説を、みんながどうやって
おもしろがっていいか、わかんないころ、
実家の隣のおばちゃんが、
おもしろかったって言うんですよ。
おふくろの実家のおばちゃんも、やっぱり、
おもしろい小説を書いたねって言う。
それを聞いた時に、
「この人たち、ほかに本読んだことあるのかな?」
(笑)って思ったんです。けど、
こざかしい先入観なしに読めば
おもしろいってことなんですよね。
そのくらいだから、最初から
わからないボキャブラリーは使っていません。
今回は、一見、
かなりむずかしいことも書いたんだけど、
言葉としては、心を平らかにして読めば、
わからないことは、ないですよ。
野球場の言葉、
あれだけは、わからないでいいと思う。
ある程度、ノリとかテンポ感とかが必要だから、
2-2(ツーツー)とか、いちいち説明できない。
そこはもう、
却ってテクニカルタームを増やして、
とにかくすべてが、そのノリの中で
しゃべられている言葉なんだっていうふうに
わかってくれればいい、と。
野球場のシーンは、そういう感じなんですけど。 |
糸井 |
小説語を使って書いてはいるんだけど、
読者と保坂さんの関係というのは、
同じ場を形成する、生の人間どうしみたいな? |
保坂 |
うん。
やっぱり、小説って、
読まれないと小説にならないっていうか。
「なんで小説は読まれるか?」
って言う疑問は、
けっこうあるんですよ、現代には。
その原因は、カフカなんですよね。
カフカが、
自分の原稿を焼いてくれって言ったから、
ほんとうの作家っていうのは、
書いたらもうそれで完結するんじゃないか?
と思われているところがある。
読まれるっていうのは、
副次的な行為に思われていて。
だけど、そうじゃなくて、
書いている人も、
書きつづけている行を
読みながら書いているんだから、
書くっていうのは読むことなんです。
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(つづきます!)
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