糸井 |
保坂さん、俳句はメチャクチャだけど、
散文書く時だって、思えば、ここの文字を
誰かが、ちょっと変えても自分が気づく、
みたいな文章を、書いているはずですよね? |
保坂 |
いや、そうでもないですよ。
そこまではデリケートじゃない。
テンポ感が、
「あれ、おかしいな?」
って思うことはありますけどね。 |
糸井 |
でも、その同じ人の、
俳句と称するものは……。
アナーキーでふざけたもので。 |
保坂 |
(笑)「称する」って。
でもね、韻文に対しては、
きちんとそっぽを向いていないと、
すぐに、俳句的なものに
飲みこまれるっていう意識はありまして。
『もうひとつの季節』っていう小説の中で、
「自由律俳句」と称して
メチャメチャなものを作るヤツが
出てくるんですけど、
ちょっとでも油断すると、
もう、すぐに俳句くさくなっちゃうんです。
俳句っぽくなくて、
どれだけ違う、短い言葉を作るかは、
なかなか、苦労しましたね。 |
糸井 |
「飲みこまれるんじゃないか」
っていうのは、わかります。
飲みこまれますよね?
やっぱり、よくできてるからねぇ。 |
保坂 |
糸井さんもきっと、
コピーと標語じゃないとかいうことで、
きっと、戦いがあったと思うんです。 |
糸井 |
いや、ぼくはあまり……
たたかったことが、ないから。
ぼくは、仕事として、
機能を売る商売をしていたから、
自分のせいにできない場所がありすぎて、
そこは、ちょっと、違うんですけどね。
小説は、機能を売らないですから。
しかも、ストーリーで
ワクワクするとかいうことも、
無視しているわけだから、
そこでも、保坂さんとぼくは違いますよね。
小説は、何を売っているんだろう? 時間? |
保坂 |
うーん。
なんかその言い方も、
小説より日常語が優先してますよね。
芸術の力っていうのは、
日常語によって説明させられるものじゃなくて、
日常を、照らすものなんですから。
その芸術や表現や作品があることで、
日常の美意識とか、言葉づかいとか、
思考様式とかが変わるものが、芸術だから。
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糸井 |
いいねぇ、整理されてますね。 |
保坂 |
最近、整理したんです(笑)。
現代彫刻を見てたら。 |
糸井 |
定型詩に引きずられちゃうというか、
溺れちゃう危険性というのは、わかるなぁ。
定型詩的な世界には、
決まりきってはいるけど、
やっぱり釈然とさせてくれるような
「暫定的な何か」が、あるわけですよね?
ずるーいワナを張って、
定型詩の世界みたいなものを
利用してる人たちの
「人をクイクイ引きずりこむ手管」
みたいなものは、うっとりするもん。
ぼくは、いんちきもふくめて、
「あぁ、まことに豊かなものよ」
って見てるのが好きなんですけど、
保坂さんは、定型詩的なものに
引きずられることは、ないんですか?
たとえば、保坂さんの好きな
横浜ベイスターズの佐伯選手の、
いい時の打点を見るような気持ちって、
ズバリ、浪花節が入ってるじゃないですか。
佐伯って、ある意味ふがいないけど、
時々、意志の力で打ったんじゃないか、
みたいな点を入れる人ですよね。 |
保坂 |
佐伯……好きだからね。
あんまり、突き放して考えられない。 |
糸井 |
(笑)突き放して考えられないんだ!
ぼくは前から、ベイスターズファンが
佐伯をどう見ているのか、
いつも、気にしながら見てたんですよ。 |
保坂 |
いやぁ……
何しろ、小説の中でも書きましたけど、
ベイスターズの応援で、
ファンファーレが鳴るのは、
佐伯のとこだけですからね。 |
糸井 |
そんだけ、他人にも気になるひとですよね。 |
保坂 |
やっぱり、ベイスターズファンは、
ほんとは佐伯ファンだと思うんですよ。 |
糸井 |
わかる。
だから、オレでさえ、気にしてて。
で、4番を打ったこともある鈴木には、
それほど、思い入れがないんでしょ? |
保坂 |
うん。
高く売れるうちにトレードしちゃえばいい。 |
糸井 |
それってさぁ……流行歌ですよ! |
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(つづきます!)
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