YAMADA
カンバセイション・ピース。
保坂和志さんの、小説を書くという冒険。

保坂和志さん追加インタビュー
第2回 芥川賞よりも大切なこと。

保坂 90年にデビューしてから、
自分の作品を誰が読んでるのか、
しばらく、さっぱりわかんなかったんです。

これは、ほとんどの小説家が
そうなのかもしれないんだけど、
よっぽど評判になる人以外は、
誰が読んでるかわからないでしょう。

誰が読んでるかわからないどころじゃなくて、
ほんとに読まれてるのかどうかすら、
ピンとこなかった・・・。
ようやっと、読まれている実感として
聞こえてきたのは、6年ぐらい経ってから。
ほぼ日 保坂さんは、
90年、34歳の時にデビューですよね。
その時から、6年・・・。
95年に芥川賞を取ったあとですか。
保坂 芥川賞効果っていうものが
あるのかもしれないんだけど
96年に入ってから、
あの人が読んでる、この人が読んでるって、
名前を言えばけっこうみんなが知ってる人が
読んでいて、へぇ、そんなに読んでいたのか、と。

それで、読む人の傾向もわかったんだけど、
その時に思ったのが、
「90年から94年ぐらいまで、あの頃、
 ひとりで書いていた自分に、
 読まれていることを教えてあげたい」

っていうことだった。
「おまえ、そのまんま書いてれば大丈夫だよ」
って(笑)。
それはほんとに強く思ったなぁ。

それまで、誰が読んでいるか、
ほんとに読まれているのかが、
ぜんぜんわからなかったから。
わからないまま書いていた。

とにかく自分が仰ぎ見る小説家の作品や、
尊敬する作家の小島信夫さんが
おもしろいよと言っていたことぐらいしか、
信じるものがなかったから、
そういうことだけを大切にしていた時期で。

小説家になる前に、自分で
考えていたことを裏切るような小説は
書いていないという、そういういくつかを
信じて書いていただけだったから。

外からのフィードバックが
来るというのは、単純にホッとするという、
そういうのがあるんですよ、やっぱり。

でも、なんだかわからないままの
孤独な時間っていうのは、
過ぎてみれば大切だと思うんだけどね。
その時間の中にいる間は、
いいものではない(笑)。
ほぼ日 最近の保坂さんが書く小説や批評の中に、
「もしもお金が無限にあったら、
 いつまでも書きつづけている小説、
 書いている時間そのものになるような小説を
 書いてみたい」
というような話が、よく出てくるのですが、
それについて、いま考えていることを、
お聞かせいただけますか?
保坂 やっぱり小説って、
書きだすと、苦しいところに
潜っているようなところがあるので、
以前は、やっぱり、
「書き終わる時が、なるべく早く来てほしい」
という気持ちが強かったんだけど、
最近は、ずいぶん変わってきていますね。

特に今回の小説を書いている時に
強く思ったんだけど、
小説を書くということは、ほんとに、
ラクだとかたのしいということではないけど、
ぼくには、ものすごく大事なんです。
そういう負荷がかかりつづける状態は、
ぼくにとっては、
小説を書く時にしかないわけで。


負荷がかかる状態が続くと、
それ以前の状態が
ムダとまでは言わないけど、
ものすごく密度がないっていう気がするから。
「ずーっと書いてたほうがいいなぁ」
って思う。
『カンバセイション・ピース』の
最終章だけでも、
2ヶ月弱ぐらいかかっているんですけど、
あの時期は、充実していたなぁ。
負荷がかかりすぎていたぐらいなので、
あれを3年連続ではやりたくないという気持ちは
ありますけどね。

負荷がかかるというか、
人によってはそれが、
潜水泳法で泳いでいる時とかって
思うかもしれないし、
とても急な坂を、自転車で漕いで
あがっている状態だと思うかもしれない。

とにかくそういう感じで、
書いている時は、とにかく一生懸命。
ちょっとでも力を弱めるとうしろに下がって
ダメになっちゃうっていうくらいです。

そこでチカラを入れ続けて、すこしずつ、
すこしずつ進むという、そういう感じです。
あがれないとツライけどね・・・(笑)
でも、あがれていると、うれしいよね。
ほぼ日 さっき、
誰が読んでいるかわからない時期に
ひとりでやっているのも、いいよね、
とおっしゃっているのが印象的でした。

前に、ハイデガー研究家の木田元さんと
保坂さんが対談されていた時、保坂さんは、
芥川賞を取る数年前から、
「このままやっていれば、
 2〜3年で芥川賞は取りますから」
とおっしゃっていたって・・・。
保坂 ああ、あれは、木田さんをはじめ、
世間の人一般の誤解なんです。
芥川賞を取るっていうのは、
ぜんぜん、たいしたことじゃないわけ。
芥川賞って、たとえばプロサッカーで言うと
チームのレギュラーにはなるけど、
日本代表にまでなれていない、
という程度なんですよ。
野球だったら、2割8分の打率とか、
ピッチャーだったら10勝投手だとか、
いや、8勝ぐらいか。レギュラーなら、
当然クリアできるラインなんです。

運が悪ければ、たまたま、
村上春樹とか島田雅彦とか高橋源一郎みたいに、
取れないこともあるっていう、
そういう意味も含めて、
「このまんまやってりゃ取れるでしょう」
って言ってたんですけどね・・・。

芥川賞を取るか取らないかということより、
書いたものが、
一般の人の手に届くかということのほうが、
よっぽど、むずかしかったんです。
自分では、やることをちゃんとやっていても、
届かないかもしれないというか、
その実感のなさに、ずっといたから。

芥川賞を取っても届かない場合もある。
芥川賞は、作家の集まりの内部の賞ですから。
レギュラーになっても、
ファンから注目されない人がいるように、
大事なことは、中で評価されることではなくて、
ふだん小説と接点のない人たちが読んで、
「おもしろい」とわかってくれることなんです。

本屋さんとか出版社の人たちも、
みんなそうなってきているんだけど、
中の評価だけで部数を決めているのは
すごくヘンだと思う。
ミステリーファンにだけ、10万部売れていても
みんな名前を知らないという人たちが、
何人も、出てきていますよね。
その人たちは、出版社からは
とても大切な作家になるんですけど、
外の世界から見ると関係のないことになっている。
そうすると、世間から遊離しちゃうんだよね。

昔だったら、川端、三島とか、
大衆小説系だって、
獅子文六とか、大佛次郎とか。
かつては圧倒的に名の知れた人がいて、
それは読まない人にまで知られていたわけで、
それが、大事なことなんですよね。
今は買った人しか知らないふうになっているから、
どんどん、影響の範囲が小さくなっちゃう。

ぼく自身は、
ふだん小説を読んでいる人ではない、
デザイナーとか音楽の世界の人たちが
読んでくれているということが、
96年ぐらいからわかって、
ああ、そうかと思ったんですけれども。
それは、すごくうれしかったんです。
 
(つづきます)

2003-07-22-TUE

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