伊丹十三特集 ほぼ日刊イトイ新聞

1000円の消しゴムの男。村松友視+糸井重里

第7回 一期一会が折り重なる。
糸井 伊丹さんと村松さんは
「漫才コンビ」という言い方が
やっぱりいちばん近いでしょうか。
村松 いや、そういうんじゃないな。
俺にとっては劇中劇のような、
額縁つきの記憶として、
そこでもって翻弄されてる自分を
心地よく回想してる感じ。
糸井 8歳差の力関係が、まずあって。
村松 うん。
翻弄されるという関係が
成り立たないとつきあいにくいところが
俺にはあってね(笑)。
伊丹さんは、
映画監督になるちょっと前ぐらいに
「いま、吉祥寺で
 村川透監督の映画をやってるから
 ブラバスの家の近くまで来たんだけど」
と言ってきたことがあった。
「来たんだけど」とは言っても
「一緒に観ないか」とは言わないんだよなぁ。
しかも、これを見とかないやつはバカだ、
みたいな雰囲気を漂わせて言うの(笑)。
そのあと、別の機会に
「ブラバスは、撮影の現場なんて
 しっかり見たことないだろう?
 一回見といたほうがいいと思うよ。
 俺の現場なら、見られるんだからさ」
と言われたこともあった。
行けないままだったけどね。
糸井 そうですね。
編集者時代にはできていたことでも、
スタンスが難しいですよね。
村松さんって、やっぱり基本的に
とってもつきあいのいい人なんですね。
村松 俺のつきあいがいいっていうのは、
本質的な話があってさ(笑)。
伊丹さんとは関係のない話なんだけどね。

このあいだ、昔から知ってる店が
東京に店を出していたので、
ある日フッとのぞいてみたの。
そしたら、そこに女将さんがいて
「あら、しばらくです」と言ってくれました。
それで「しばらくです」と言って、
ホソカワさんも最近お目にかからないけど、
どうなすってんでしょうね、
なんて話して、
その分においては会話になってるんだけど、
ふと途中でさ、
「お忙しいでしょう? ‥‥ユカワさんも」
って、女将さんが言ったんだよ、俺に。
その「ユカワさん」という言い方が、
「ユカワふぁ‥‥」みたいに、
言葉に出してみたけど自信がない、
という感じになっちゃってんだ。
糸井 わははははは。
村松 「俺、ユカワじゃないですよ」とは
言えないんだよ、つきあいがいいから。
そのまま話をつづけちゃってるうちに、
今度は、俺はユカワさんに
なんなきゃいけなくなったわけです。
向こうは向こうで、
俺の反応から、もう半分は
ユカワさんじゃないなと思ってるのに、
俺がそれを認めないから(笑)、
つづけなくちゃいけない。
こっちもやめるわけにいかないんで、
ずっとユカワさんと女将さんという関係で話して、
買い物して金払って、
ほうほうのていで帰ったわけ。
その直後、変に思った女将さんが
ユカワさんに電話したんだって。
そしたら、「いや、しばらくだね」って
ほんもののユカワさんに言われて
受話器落としたっていうんだよね(笑)。
糸井 わははははは。
村松 ヘタヘタと座り込んだって。
糸井 そのつきあいのよさ、
ぼくもちょっとはわかるんですけど
そこまでやったことはない(笑)。
村松 いま、もう最後だから言うけど、
今日のこの席に出してくれた、コーヒーね。
糸井 召し上がりませんでしたけど、
コーヒーはお嫌いでしたか。
村松 いや、飲み方がよくわかんなかったんだよ。
糸井 わはははは。
村松 ふたをとって飲むのかなー?
でも、イトイを見てると、
この穴から飲んでるみたいだしなー。
まさかな。でも穴なのかな。
ちがったら嫌だし‥‥、って
口つけませんでした。
糸井 早く言ってくださいよ(笑)。
村松 まぁ、そういうつきあいのよさが
俺にはある(笑)。
淡交って言葉、あるでしょ?
淡く交わるって書くやつね。
あれ、お茶の言い方でいうと、
一期一会ってことらしいね。
連続して濃いというんじゃなくてさ、
会ったときに濃いの。
それを点々と、折々に、
つなげていくってことらしいんだけど、
そういう気分はあるんだよね、俺は。

伊丹さんと会っていたときは、
その時どきに濃かったなと思う。

いっしょに仕事をしたときだって、
映画の悪口を言ったときだって、
湯河原で美術番組やってるときに
総否定みたいなこと言ったりしたのだって、
記憶に残っているところをつなげていくと、
けっこう濃かった。
だけど、何かつかまえられないところが
やっぱりあって、
伊丹さんのことは書けないままでいるんです。
糸井 うん。ぼくらにとっても
このあいだ賞をもらったおかげで、ようやく
「じゃあ、やるか」という気になれました。
おもしろい人がいたんだよ、って
以前から、若い人に紹介したいという気持ちは
すごくあったんです。
「伊丹さんという人はあんたたちの先祖だよ」
と伝えたいと思ってた。

おそらく、若い人たちがやっている、
自己表出をしない表現というのは「ある」んです。
みんな、なんとなくキョロキョロしていて、
目に映るものというのは
全部自分の興味だったりする。
「じゃあ、自分の言いたいことって何なんだろう」
というのはもう、
自分で必死で探すしかないんだよ、
という時代のひとりの先祖です。
ぼくらは、そういう伝え方をしたいと思ってます。
村松 イトイのそのセンスでやったら
おもしろいと思うよ。
1000円の消しゴムを買うことを、
左様にすごい人なんだと
そのまま監督のイメージまでひっぱって
重ねるのは、ちょっと違うと思う。
一朝一夕でない技術を持った、
努力家で、勤勉でね。
糸井 その都度、ターゲットというのを
すごくはっきりつかんでる人で。
村松 それで、それに対して向かっていく
役作りをするんだ。
糸井 それは、これまでの文脈だと
軽んぜられるタイプの才能だったかもしれない。
村松 そうでしょうね。
糸井 でも、いまを生きてる人間にとっては
それはすごいことなんですよね。
村松 どこにもない、伊丹十三という
ジャンルだったんだよね。
伊丹さんは知ってか知らずか
それを見事に作って、あとの人に置いてった。
それをあまりくるみすぎないように
できたらいいよね。
糸井 これはやっぱり、
書きようがない話ですよね。
村松 うん。
こうやって、少しだけ
話すことならできるんだけど。
糸井 書いても書いても
追いつかないですね。
村松 うん、追いつかない。
糸井 今日はお話できてうれしかったです。
ありがとうございました。
村松 こちらこそ。
糸井 じゃ、これからメシでも行きますか。
村松 鮨? うれしいね。

(おしまい)
 
15. 『ロード・ジム』

伊丹さんの海外作品出演の二作目は、
リチャード・ブルックス監督、
ピーター・オトゥール主演の『ロード・ジム』でした。
 
原作はジョセフ・コンラッドの小説で、
信頼篤い男だった高級船の船員が、
不幸な事件によって失墜し、
過去に傷を持つ労務者として働いていたアジアの奥地で
そこの村人を助け、勇気ある人間としての尊厳を
取り戻していく、という物語です。
 
このロケはカンボジアで行われましたが、
この地で過ごした気持ちのいい日々のことを
伊丹さんはエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』や
『女たちよ!』で描いています。
 
リチャード・ブルックス監督は
『熱いトタン屋根の猫』、『渇いた太陽』、
『ミスター・グッドバーを探して』など、
日本でも人気の高い監督です。
 
この映画へ伊丹さんを出演させるかどうか
リチャード・ブルックス監督が決める
スクリーン・テストのためにロンドンへ滞在した2週間が
『ヨーロッパ退屈日記』に詳しく書かれているのですが、
たいへんな緊張の様子が読む側にも伝わり、
その結果である出演決定を知っていても、感動的です。
それが1963年、伊丹さん30歳の時。
映画は日本で1965年に公開されました。
 
またこの映画で知り合ったピーター・オトゥールとの
交友については、エッセイの各所に現れ、
『アラビアのロレンス』で一世を風靡したこの名優の
とても人間らしく、愛すべき姿を
私たちは伊丹さんの文章で知ることができます。
(ほぼ日・りか)
 
参考:『伊丹十三の本』(新潮社)ほか
DVD『ロード・ジム』。Amazonではこちら。

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2009-07-01-WED
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(c)HOBO NIKKAN ITOI SHIBUN