ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

どうしてこんなことになったのか?

第一回目と、話が前後するようだが、
ぼくがここで[web革命]などという
おおげさなタイトルをつけて書こうとしていることは、
早い話が、あるひとつの質問に対する答えにしかすぎない。
なにかものごとを新しくはじめたときには、
必ずひとはたずねるものだ。
「どうして、こんなことをはじめたのですか?」と。
一見、なんでもない質問のようにも思えるのだが、
これが、そうでもないのである。
答えようがないというわけでもない。
たとえば、あなたが学生だとして、
「どうして、この学校に入ろうと思ったのですか?」
と質問されたら、
「自由な校風が自分に合っていると考えたからです」
なんて、
いかにもとおりいっぺんな、
しかもそれ以上の質問を拒否するような
答え方をすることはできるだろう。
既婚者に「なぜ結婚をしたのですか?」
という質問をしても、
なんとか当たり障りのない答え方をしてくれるだろう。
しかし、ほんとうに
その答え方でよかったのだろうかということを、
まじめに考えたのかを、さらに問われたら、
困ってしまうにちがいない。
数学の試験問題じゃないのだから、
そう簡単に正解を答えられるもんじゃないわけだ。
理由がまったくないわけではないけれど、
それは、新聞の見出しになるようなかたちで、
言い切れるものではない。
となると、答えらしきものを無責任に投げ出してみて、
質問者が納得してくれさえすればいいや、
ということになる。
だから、「自由で進取の気概に富んだ校風が」だとか、
「人生の基盤を築くための伴侶として
相応しいひとを見つけ」だとかいう、
わかったんだかわからないんだかさっぱりわからんような、
答えのカタログのなかから適当に選んで、
儀礼としての答えを贈与するわけだ。

このところ、ぼくがいちばん困っていた質問が
この、ホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」を
どうしてはじめたのか、であった。
質問者のほうは、
「メディアの新しい可能性に賭けてみたいと、
思ったんですよ」くらいの
歯切れのいい答えがあれば満足してくれそうだったし、
仮に満足してくれないとしても、せいぜい、
「その、そう思ったキッカケについて、
もう少し聞かせてください」
という次の質問に展開できれば、
それ以上つっこむつもりはなかったのだと思う。
次の質問に対する答えも、ないわけではない。
まず、日本の経済状況が
行き詰まっていることを確認して、
広告産業とメディアの閉塞感を
「バブル崩壊をキッカケに!」
痛切に感じたんですよ、と、
まとめれば、悩まないですむのだ。

でも、そうじゃないんだ。
なにかがガラッと変わるときというのは、
いろんな関係なさそうな要素が、
複雑にからみあって、
ちょっぴりずつ流れをつくっていくものなんだと、
ぼくは思っている。
山奥の小さな湧き水が、
いろんな場所からちょろちょろちょろちょろ
流れ出して、小川になり、
曲がりくねったり止まったりしながら、
それは集まっていって大きな川になっていくように。
ひとつひとつの、湧き水や、小川を無視すると、
大河がある場所に急に出現したことになってしまうような
話になってしまう。
それが、なんだか気持ち悪かったので、
ぼくは困っていたのだ。

たとえ質問者が、
それ以上の答えを聞きたくないと思っていたとしても、
ぼくは、自分のためにも、
「このホームページを、どうしてはじめたのか?」
ということについて、
ていねいに考えなくてはいけないと思った。
ま、ていねいに、とは言っても、ぼくのやることだから、
論理的に説明しきれるとは思えない。
ただ、「こんなことや、あんなこと」がなかったら、
きっとこんなことにはなってなかったろうなという、
さまざまな事柄や考えを、
ひとつずつ思い出していくことならできそうだ。

前回は、用意もなく書きはじめてしまったので、
「働くこと」が流行しているという、
いまの話だけして、おしまいにしてしまった。

さて、あらためて、
「いまの自分」の考えを説明するためには、
時間をどこまで戻さなければならないのだろうか?

そうだな、まずは、香港製の「ウォークマンの偽物」を、
パチンコの景品でとったことから、
次回の原稿を書きはじめよう。

(つづく)

1998-07-14-TUE

BACK
戻る