第16回
釣りをすることと、コンピュータ。(その4)
釣りが、ぼくに「なんでもひとりですること」を
教えてくれた。
なんでもひとりですることが、
どんな場面でも<いいこと>だとは思わないが、
ひとりでできるのにしない、ということが
年を取るごとに増えていくのは、
決していいことでないのはよくわかった。
まぁ、こどもの頃に「布団の上げ下ろし」とか、
食事のあとの食器を
台所に持っていくこととかを躾けられて、
そういうことの大事さは知っていたつもりだったが、
オトナになると、だんだん何もしなくなる。
自分のいちばん得意なことを、
たくさんするほうが効率がいい。
そのほうが、経済的にもみんなのためになる。
誰もがそういう考え方を認めているから、
自分のできることがどんどん狭く限られてきて、
(よく言えば〕深度ばかりがおおきくなってくるわけだ。
このことについての疑いは、かなり昔からあって、
自分の身の周りのことを何もできない大先生方を、
「女王アリみたいだなぁ」と、
なかば憐れむように見ていた。
女王アリは、名前こそ「女王」だが、
それは人間のつけた名前で、
一生を「アリ一族」の繁栄のために捧げた
生殖だけの人生を送る役割のアリである。
働きアリや兵隊アリとは、
姿カタチもまったく異なっていて、
白く大きく、一カ所から動かずに
「産む」だけを続けている。
いわば、「生命のある卵タンク」のような存在らしい。
たしかに他のアリたちが、
彼女にかしづいているのはわかるが、
それは女王アリ様のためにやっていることではない。
さーみしーだろーぉ?
でも、それが運命なんだと、
一度思ってしまえば、それはそれで
ある種のあきらめの境地にいたってしまうのだろう。
王様とか女王様とか、そういう役割の方々は、
現実にこれをやっていくのだからツライやねぇ。
いやだとは思っても、
そのイヤだという考えを実践するには、
やっぱりきっかけなり、そのための生活の場が必要になる。
それが、「釣り」だったわけだ。
「ためになるのに、おもしろい」
釣りって最高っ(笑)。
で、
似たようなことかもしれないぞ、
と思わせてくれたのが、
コンピュータというものだったわけだ。
1997年の11月10日。誕生日の午後だった。
つまり、いまから1年前というわけだ。
元旦に日記を書きはじめる三日坊主たちのように、
ぼくは何かをしてみたかった。
それが、秋葉原にコンピュータを買いに行こう
となったのも、たいした理由あってのことではなかった。
漠然と、いずれいつかはやるものなんだろうから、
今日でもいいかな、と。
考えに考えていたら、一生コンピュータをさわらないで
終わっちゃうかもしれないし。
ま、それならそれでいいけどさ、と。
この程度の加減で、
あくびしながら神田・秋葉原方面に向かったのだった。
幸い、ぼくの周りはコンピュータだらけだ。
ゲームソフトをつくる会社の「いんちきな社長さん」を、
だてに何年もやっていたわけじゃない。
社長は、やめさせていただいたけれど、
付き合いは続いている。
「誰か、いっしょに買い物、手伝ってくれる?」
「いいですよ」ってなもんだ。
セットアップとか、インターネット接続とかは、
マックおたくなお兄さんに、全部まかせた。
「メールとインターネットだけ使えればいいんだよ」と、
ぼくは遠慮がちに言ったと思う。
急に使うことになったとはいえ、
そういえば何ヶ月か前から、インターネットの本とかは、
けっこう読んでいたのだった。
ま、釣りを始める20年も前から
「鮎釣りのビデオ」を持っていて、他人に平気で
「釣りはおもしろいぞー」とか
説いていた人間ですからね。
いろいろ端折って、1日か2日後。
ビデオゲームに夢中になっていたときのように、
ぼくは、眠る時間も惜しんで
パソコンの前にいることになる。
その時、マックおたくのお兄さんから、
ぼくに与えられていた「遊び道具」は、
コンピュータと、何人かの知り合いのメールアドレス、
そして接続してあるインターネットのブラウザ。
ブックマークはgooとYahoo! だけだった。
とにかく、すぐに興味をもったのは
「リンク」という思想だった。
何かはナニカにつながっていて、
そのまたナニカが別のなにやらに、つながっている。
「情報のダンジョン」だ、
あらゆる迷路は別の迷路の一要素だ。
この感じは、すっごく当たってる!
なにが当たってるのか知らないけれど、アタリッ! と、
まず感じてしまったのであった。
というあたりで、書くのも読むのも疲れたころだ。
この続きは、次回にまわさせていただきます。
|