第23回
でもコンピュータは触らなかった。 せっかくの機会だったのは、ぼくにもわかっていた。
岩田さんに直接家庭教師をやってもらって、
コンピュータの勉強をすると言ったら、
若い友人たちはうらやましがった。
「イチローにバッティングを
教えてもらうようなものですよ」と言われた。
ありがたいことだとは思った。
「コンピュータ、やってみようかな」
といったぼくの気持ちは、嘘ではなかったのだけれど、
「動機」がよくわからないままだった。
前にも、ゲームをやりたいと思って、NECの88とかを
買ったこともあったが、そのときも、
どうしてもやりたいゲームがあっての発言ではなかったので
「信長の野望」というシミュレーションゲームを、
ちょっとだけやってやめてしまった。
なんだか、使い方について
こんなに学習することが多いのは、道具として問題だ。
そんなふうに思ったのだ。
とにかく面倒くさい。
「もういい年なんだから、新しくなにかを憶えるなんて
いまさらやりたくない」というような、かなり図々しい
<年寄りの生意気(新格言)>気分があったのだろう。
それに、やっぱり、
どうしてコンピュータを使いたいのかが、
ぜーんぜん曖昧だったのだ。
使わなきゃ叱られるってわけでもないし、
コンピュータが使えなくて困ったこともないもんな。
まぁ、ごく一般的な同年齢のオヤジと同じようなもんだ。
この、ごく当たり前の「使わない人」の気持ちを、
すでに使っている人たちは忘れている。
「簡単に使えるものならば、ぜひ使ってみたい」
このくらいの感じなのです。
どんな新しい道具でも、そういうものなんだけどね。
で、さて、岩田さんは、
自分が使っていたノート型のマックを持ってやってきた。
パワーブックってやつだな、とは思ったけれど、
「わぁ、ほしいっ!」という気持ちにはならなかった。
こうやって開けて、これがスイッチですだとか、
スリープっていう機能があってとか、
基本的なことを習って・・・
ちっともたのしくなかった。ごめん、白状します。
ワープロ機能についても教えてもらった。
「はい、じゃ、なんでもいいから打ってみましょう」
な、なにを?
なにも打ちたいコトバを思いつかない。
万年筆を買うときの試し書きをするときでも、
なにを書いていいのかわからずに、
結局、その文房具屋の店名を書いたり、
「この万年筆は書きやすいでしょうか?」と
いやそうに書いてしまうものだ。
しかたがないから、
「なんだかワープロはめんどくさい」というような
岩田さんにもパワーブックにも失礼なことを書いたっけ。
こんなこと、ちっともたのしくなんかない!
ぼくは、
「あんまり、おもしろいもんじゃないねぇ、これ」と、
岩田大先生に言ってしまった。
「そうですね。やりたいことがあって使う人しか、
おもしろくないですよ。
まずは、イトイさんには、
なにができるか知っていただいて、
それから、
おもしろければ使うってことでいいんじゃないですか?」
いいこと言うなぁ。そうそう。
ひととおりおもしろくないことを教わって、
疲れてきたころ、岩田さんは
そんなぼくの気持ちを見透かしたように言った。
「もしかすると、ですけど、
これは興味を持っていただけるかもしれないっていう
ソフトがあるんですけど、続けてみますか?」
ぼくは、もうやめましょうか、と言いたかったけれど、
「あ、はい」と言ったっけ。
「Acta7」というソフトだった。
アウトラインという考え方を、ぼくはここで知った。
なるほど人間が思考するパターンというのは、
こんなふうに構築できるものなのかと、
ちょっと感心した。
アイディアを、大きい目の網ですくいとって、
中くらい目の網で、深化させていって、
もっと細かい目の網で濾過していく。
そんなふうに思えた。
思考の「階層」という考え方も、
実は、ここではじめて知ったのだった。
考えに、親子、兄弟、叔父や叔母というような
関係があるのだと、いつ、誰が発見したのだろうか?
それはかっこいいなぁと思った。
「これは、面白いよ、岩田さん」
「そうですか、私も、このソフトに出会ったときは、
新鮮な驚きがありましたからねぇ」
面白いと思ったけれど、
ぼく自身がこのソフトを使って、ものを考えたり、
アイディアを練りこんでいったりするとは、
とても思えなかった。
なぜかもよくわからない。
でも、飛躍や逸脱こそが「その人ならでは」の考えを
生みだすのだとしたら、
アウトラインの方法論は、
「よくできた、まちがいのない論文」のためのもの
でしかないとは言えないだろうか。
結局「面白い」とは、言ったものの、
これはぼくの使うべき最高のアシスタントだとは、
とうとう思えなかった。
2度にわたって、最高の家庭教師に
コンピュータを学んだけれども、
岩田さんに長期貸与されたパワーブックは、
「そのうち」という言い訳とともに電源が切られて、
二度とスイッチが入れられることはなかった。
ぼくは、コンピュータとのつきあいは、
このぶんで行くと、もうあり得ないのではないかと、
うすうす考えるようになっていた。
ぼくが特殊だったのではないと思う。
少し向上心があって、ちょっとまじめで、
ややナマケモノであるというような、普通の人は、
だいたいこんなもんなのだと思うのだ。
このころの、自分の「あきらめぶり」を、
根性がなかったからだという総括は、間違いだと思う。
ほとんどの人は、だいたいこんなもんなんじゃないの?
という視点を、いまもぼくは持っているつもりだ。
でも、ほんとうのコンピュータとの付き合いは、
偶然のように、突然はじまるものなのだ。
どうだったんだろう?「ほぼ日」の読者のみなさんは。
※ところで、このへんの話って、
なんだかおもしろくないねぇ。
書いていても、つまんないもの。
そんな話を読ませちゃって、もうしわけありません。
もう少し考えなおしてみます。
いちおう、次回は、
「あらためてコンピュータとの再会」について
書いてみる予定です。どうなるだろ?
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