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永田 |
お話をうかがっていると、
刈屋さんが実況される言葉のひとつひとつには
きちんとした裏づけというか、
背景があるんですね。 |
刈屋 |
結果的には、そうですね。
どう言うべきかをずっと考えてるというか、
たとえば「栄光への架け橋」という
言葉ひとつでも
そこで「栄光」という言葉を使うことが
はたしてふさわしいのかどうか、
みたいなことは、それこそ、
その日、決勝がはじまったころから
ずっと探りながら実況しているんですよ。 |
永田 |
「決勝がはじまったころから」? |
刈屋 |
はい。あの日は、日本を含む8カ国が
男子体操の決勝に進んだわけですけど、
ぼくが恐れていたのは中国だったんです。
つまり、メダル争いは、
アメリカとルーマニアと中国、そして日本。
この4つの争いだと思っていたんです。
で、日本がメダルをとれるかどうかは
中国の動きにかかっていると思っていた。
逆にいうと、ぼくのなかには
最悪、メダルを逃すかもしれない
っていう予想もあったんです。
ところが、中国がいちばん先に脱落したんですね。
すると、その時点から、ぼくの考えは
「メダルがとれるかもしれない」というより
「金がとれるかもしれない」というふうに
変わっていく。 |
永田 |
なるほど、なるほど。 |
刈屋 |
じゃ、金を取るって、どんななんだろう?
っていう視点に、ちょっとずつ、
変わっていくんですね。 |
永田 |
実況しながら。 |
刈屋 |
そうです。
そういう展開のときに、
どういう実況をするべきだろう、と。
最初は、メダルがほしい。
でも中国がいなくなった。
これは金がとれるかもしれない。
という視点に変わっていって、
金をとるとしたらこういう展開だ、
というふうに予想していく。
すると、そのとおりに日本が追い上げていく。 |
永田 |
その展開によって、
実況するときの言葉の選び方というか、
「どっちの方向にむけて実況するか」
というのをつねに考えている。 |
刈屋 |
つねに、つぎつぎと考えているんです。
一種目め、二種目めと進むにつれて
いろんなことを思い浮かべながら、
浮かんでは捨て、浮かんでは捨てをする
作業をくり返していく。
で、最後の最後、鉄棒という
日本がもっとも得意な種目のときに
ほとんどトップと差がなくなるわけです。 |
永田 |
うわぁ。はい。 |
刈屋 |
鉄棒では3人が演技しますが、
まず、鉄棒がはじまるまえに、
おそらくメダルは確実だと思ったんです。
そこで、まず、
「体操ニッポン、復活の架け橋」って
言えるんじゃないかなと思うわけです。 |
永田 |
うん。うんうん。 |
刈屋 |
で、ひとり目が終わった時点で
もう、メダルは間違いない。
これはもう「復活の架け橋」になると。
で、ふたり目が終わる。
そのときの点差が「8.962」です。
これはもう、間違いないだろうと。 |
永田 |
そのとき刈屋さんがおっしゃったのが、
「冨田が冨田であることを証明すれば
日本は勝てます」でした。 |
刈屋 |
はい(笑)。
冨田選手がふつうに演技すれば
金メダルはまずまちがいない。
それが「8.962」という点差なんです。
ですから、あの点差を確認して、
冨田選手が鉄棒に飛びつくときに、
「栄光」という言葉を使おうと思いました。
ただし、それをほんとうに言うには
「コールマンで落ちなければ」
っていう条件がつくんです。 |
永田 |
なるほど。なるほど。 |
刈屋 |
だけど、勝負は、
降りたときに決まるんじゃなくて、
降りるときにはもう
メダルの色は決まっている。
じゃあ、そこで「栄光」と言うかどうか
決めればいいと考えたんです。 |
永田 |
だからこそ、コールマンの最後に
興奮のピークがくる。 |
刈屋 |
はい。
最後にたどりついたのが
コールマンを取った瞬間なんです。
「栄光」っていう言葉を使えるぞ、と。
「取った!」「勝った!」
っていう瞬間です。 |
永田 |
はぁーーー。
そこまでの考えがあってこそ、
コールマンの最後の興奮に、
観てるぼくらを
連れていくことができるんですね。
「これさえ取れば!」
になるわけですね。 |
刈屋 |
そうですね。 |