葛西 | 子どもの頃から憧れてたのは 子どもにはできないだろうという、 いわゆる大人っぽさですね。 達筆という言葉もそうだし、 態度もそうだけど いつかはそういうことに向かうんだろうな、 ということは、今でも同じなんですよ。 自分が58歳まできて、 それでもまだ憧れは、 58歳より先にいっちゃうんですよね。 これはなんだろうなと思います。 ぼくが思ってた子どものころ憧れたのは 50数歳だったはずなんですよ。 |
糸井 | そうですね。 もうその歳になっちゃったね。 |
葛西 | この歳になったら、 あのときの憧れの人は さらに先いってる感じがして。 そういう感覚が、 いつも、ものを作ってるときに、ありますね。 |
糸井 | その感じもサン・アド文化圏ですね。 サントリーの人たちは 10年ものよりも 20年ものの方を尊ばれてますよね。 |
葛西 | 憧れですね。 いわゆる。 |
糸井 | それはもうぼくは、一番、ない部分なんです。 ぼくはそっちに行きたい気持ちがありながらも あ、いけない、いけないと思って ものすごい速度で戻ります。 「野口シカの手紙」に行くんです。 葛西さんが言ってることは ものすごくよくわかるんだけど、 ぼくはそっちに行っちゃうと やれること減っちゃうと思う。 |
葛西 | ああ、なるほどね。 |
糸井 | 例えば、さっき言った コピーライターの佐々木克彦さんが鎌倉に住んで アートディレクターの小西啓介さんが着物着て歩いてて 一倉宏くんの文章がどんどん枯れていって 仲畑貴志くんが骨董にいって、 全部大人になっていくじゃないですか。 でも、ぼくは、おまえ絵描けないのかよ、 というやつに絵描かして。 その絵をどう使うかを考えるタイプなんです。 |
葛西 | なるほど。 おもしろいですね。 言われてみればそうかもしれないですね。 |
糸井 | でも葛西さんは、 どっちもわかるんですよね。 |
葛西 | わかります。わかります。 |
糸井 | ぼくも、そっち、わかるんですよ。 自分はどっちいくかの問題なんです。 大人っぽくなりたいという気持ちと 子どもっぽいかもしれないけど、 かわいいとか素敵な字っていうのが 両方わかる葛西さんとして 字でなんか遊びたいなとか、 文字コンシャスであるときに、 どこを意識したらいいですかと訊いたら、 どんな答えになるんですか。 「居心地」でしょうか。 |
葛西 | ええ。 文字の気持ちになってみる、 ということじゃないですかね。 ぼくが「K」という字だったら 隣に「A」がきたら近づきたくないとか。 よく、ぼく、言うんですよ。 紙の気持ちにもなってごらん。 ここに、イヤな字が乗ったら 紙が嫌がるだろうと。 自分で、あるとき、 ぼく何やってんのかなと思ったことあるんです。 いったい何をやっているんだろうと。 自分にとって気持ちのいいコップ、 というものがあるけれど、 それって、自分勝手ですよね。 コップにはコップの人生があると思ったら コップには、誰に飲まれたいんだろうとかね、 どういうふうに扱って欲しいんだろうと 思うんですよ。 そのときコップのデザインが 決まってくると思うんです。 人間の都合だけで考えるんじゃなくて 字も活字の気持ちになるとか インクの気持ちになるとか そう思うと居心地がそれぞれあるわけですよね。 お互いに気持ちのいい関係が生まれると思うんです。 さっきの話だったら、 紙のど真ん中に文字を置いちゃうと、 白地って消えちゃうんですよね。 真ん中よりももっとずらした場所に「K」 という字を印字すると、 紙がすごく素敵に見えてくるんですよね。 大切な紙になってくるんですよ。
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糸井 | 土地の値段があがっちゃう。 |
葛西 | 校正刷りってトンボがついてて、 周りが切られることを目的に印刷しますよね。 そして、適当なサイズの紙に 刷っていきますよね。 ところが、上がってきた校正刷りを見て、 このトンボを消したら すばらしいデザインだなと 思うことがよくあるんですよ。 偶然にも。
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糸井 | はあ!! いいねぇ、それは! |
葛西 | レイアウトを決めるときに、 この白い紙の中に、 これをどう置くかと動かすんじゃなくて これを一回置いたら、 その枠ごと動かして、 「あ、これだ!」って 決めることを、よくやってますね。 |
糸井 | 包丁でりんご剥くときに りんご動かすみたいな。 |
葛西 | ああ、そういうことです。 紙きりするとき、紙の方を動かす。 はさみを動かすんじゃなくて。 まったくそういう感じで 周りで決めるというか。 |
糸井 | その発想は ものすごく楽にしてくれるかもね。 |
葛西 | ええ。 字がきれい、きたないじゃなくて その周りをどう字が喜ぶようにしてあげるか、 ということで、 それが決まったときに、 字がかわいらしく見えたりするんです。 字に責任はないんです。 周りの責任ですよね。 |
糸井 | おもしろいのは、 葛西さんの中で 字を書く前には、字がなくて、 字を書き終わったあとに字があるのに、 さも始めから字があったかのように 書きあがる前から語ってるんですよ。 ここの時間間隔が、 もうこの人はそういう人なんだって 思って聞いてたもん。 だってあいうえお の「あ」を書いてから その場所が決まった話をしてるんでしょ。 |
葛西 | はいはいはい。 |
糸井 | 書く前にはないんですから。 |
葛西 | イメージはそういうイメージですね。 |
糸井 | そこまで、出来上がったときのことと できる前のことが同じなんですよ。 葛西さんの頭の中で。 |
葛西 | なるほど、なるほど。 |
糸井 | 書き文字でも同じでしょ。 |
葛西 | 何度も失敗を重ねたから、 知らないうちに、 結論がふっとあるのかもしれないですね。 この場合はここに置くことに なるだろうなというのが。 |
糸井 | おもしろいですよね。 ないものについて 生まれない子どもの就職先の話を してるようなもんです。 |
葛西 | ははは。 確かにね。 |
糸井 | だから、そこにあるのは 何かと言うと、考えなんですよね。 ものすごく形のことを好きで 形のことを強く見てるし 意識してるんだけど それはもしかしたら 形を見てるんじゃなくて 考えという火花を 発してるだけかもしれないな。 |
葛西 | でも、逆にそうやって言われてみると そうなのかなぁと。 |
糸井 | 興味深いなぁ。
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2007-12-27-THU