ほぼ日刊イトイ新聞 すてきなふだん字。 葛西薫さんと「字」のことを話しました。

010)文字の気持ちになってみる。
葛西 子どもの頃から憧れてたのは
子どもにはできないだろうという、
いわゆる大人っぽさですね。
達筆という言葉もそうだし、
態度もそうだけど
いつかはそういうことに向かうんだろうな、
ということは、今でも同じなんですよ。
自分が58歳まできて、
それでもまだ憧れは、
58歳より先にいっちゃうんですよね。
これはなんだろうなと思います。
ぼくが思ってた子どものころ憧れたのは
50数歳だったはずなんですよ。
糸井 そうですね。
もうその歳になっちゃったね。
葛西 この歳になったら、
あのときの憧れの人は
さらに先いってる感じがして。
そういう感覚が、
いつも、ものを作ってるときに、ありますね。
糸井 その感じもサン・アド文化圏ですね。
サントリーの人たちは
10年ものよりも
20年ものの方を尊ばれてますよね。
葛西 憧れですね。
いわゆる。
糸井 それはもうぼくは、一番、ない部分なんです。
ぼくはそっちに行きたい気持ちがありながらも
あ、いけない、いけないと思って
ものすごい速度で戻ります。
「野口シカの手紙」に行くんです。
葛西さんが言ってることは
ものすごくよくわかるんだけど、
ぼくはそっちに行っちゃうと
やれること減っちゃうと思う。
葛西 ああ、なるほどね。
糸井 例えば、さっき言った
コピーライターの佐々木克彦さんが鎌倉に住んで
アートディレクターの小西啓介さんが着物着て歩いてて
一倉宏くんの文章がどんどん枯れていって
仲畑貴志くんが骨董にいって、
全部大人になっていくじゃないですか。
でも、ぼくは、おまえ絵描けないのかよ、
というやつに絵描かして。
その絵をどう使うかを考えるタイプなんです。
葛西 なるほど。
おもしろいですね。
言われてみればそうかもしれないですね。
糸井 でも葛西さんは、
どっちもわかるんですよね。
葛西 わかります。わかります。
糸井 ぼくも、そっち、わかるんですよ。
自分はどっちいくかの問題なんです。
大人っぽくなりたいという気持ちと
子どもっぽいかもしれないけど、
かわいいとか素敵な字っていうのが
両方わかる葛西さんとして
字でなんか遊びたいなとか、
文字コンシャスであるときに、
どこを意識したらいいですかと訊いたら、
どんな答えになるんですか。
「居心地」でしょうか。
葛西 ええ。
文字の気持ちになってみる、
ということじゃないですかね。
ぼくが「K」という字だったら
隣に「A」がきたら近づきたくないとか。

よく、ぼく、言うんですよ。
紙の気持ちにもなってごらん。
ここに、イヤな字が乗ったら
紙が嫌がるだろうと。

自分で、あるとき、
ぼく何やってんのかなと思ったことあるんです。
いったい何をやっているんだろうと。
自分にとって気持ちのいいコップ、
というものがあるけれど、
それって、自分勝手ですよね。
コップにはコップの人生があると思ったら
コップには、誰に飲まれたいんだろうとかね、
どういうふうに扱って欲しいんだろうと
思うんですよ。
そのときコップのデザインが
決まってくると思うんです。
人間の都合だけで考えるんじゃなくて
字も活字の気持ちになるとか
インクの気持ちになるとか
そう思うと居心地がそれぞれあるわけですよね。
お互いに気持ちのいい関係が生まれると思うんです。

さっきの話だったら、
紙のど真ん中に文字を置いちゃうと、
白地って消えちゃうんですよね。
真ん中よりももっとずらした場所に「K」
という字を印字すると、
紙がすごく素敵に見えてくるんですよね。
大切な紙になってくるんですよ。

糸井 土地の値段があがっちゃう。
葛西 校正刷りってトンボがついてて、
周りが切られることを目的に印刷しますよね。
そして、適当なサイズの紙に
刷っていきますよね。
ところが、上がってきた校正刷りを見て、
このトンボを消したら
すばらしいデザインだなと
思うことがよくあるんですよ。
偶然にも。


水色の点線で周りを切ることを前提にデザインしたが‥‥。

下向き矢印


トンボを消してみたら、偶然うまれた文字対余白の比率がきれいかも。

だから、校正刷りの
白地対文字の位置を、
偶然生まれたものをいただきます、
ということにして、そのまま
全体の裁ち位置まで縮小して
デザインが完成ということがよくあります。
そのくらい言葉の位置と大きさというものが
関係してて。


偶然うまれた余白の比率をいただいて、できあがりサイズまで
縮小してトンボをつけなおし、完成。

糸井 はあ!!
いいねぇ、それは!
葛西 レイアウトを決めるときに、
この白い紙の中に、
これをどう置くかと動かすんじゃなくて
これを一回置いたら、
その枠ごと動かして、
「あ、これだ!」って
決めることを、よくやってますね。
糸井 包丁でりんご剥くときに
りんご動かすみたいな。
葛西 ああ、そういうことです。
紙きりするとき、紙の方を動かす。
はさみを動かすんじゃなくて。
まったくそういう感じで
周りで決めるというか。
糸井 その発想は
ものすごく楽にしてくれるかもね。
葛西 ええ。
字がきれい、きたないじゃなくて
その周りをどう字が喜ぶようにしてあげるか、
ということで、
それが決まったときに、
字がかわいらしく見えたりするんです。
字に責任はないんです。
周りの責任ですよね。
糸井 おもしろいのは、
葛西さんの中で
字を書く前には、字がなくて、
字を書き終わったあとに字があるのに、
さも始めから字があったかのように
書きあがる前から語ってるんですよ。
ここの時間間隔が、
もうこの人はそういう人なんだって
思って聞いてたもん。
だってあいうえお
の「あ」を書いてから
その場所が決まった話をしてるんでしょ。
葛西 はいはいはい。
糸井 書く前にはないんですから。
葛西 イメージはそういうイメージですね。
糸井 そこまで、出来上がったときのことと
できる前のことが同じなんですよ。
葛西さんの頭の中で。
葛西 なるほど、なるほど。
糸井 書き文字でも同じでしょ。
葛西 何度も失敗を重ねたから、
知らないうちに、
結論がふっとあるのかもしれないですね。
この場合はここに置くことに
なるだろうなというのが。
糸井 おもしろいですよね。
ないものについて
生まれない子どもの就職先の話を
してるようなもんです。
葛西 ははは。
確かにね。
糸井 だから、そこにあるのは
何かと言うと、考えなんですよね。
ものすごく形のことを好きで
形のことを強く見てるし
意識してるんだけど
それはもしかしたら
形を見てるんじゃなくて
考えという火花を
発してるだけかもしれないな。
葛西 でも、逆にそうやって言われてみると
そうなのかなぁと。
糸井 興味深いなぁ。


2007-12-27-THU

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