主婦と科学。
家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所

研究レポート20
共感覚、そのミステリー。


ほぼにちわ、カソウケンの研究員Aです。
当研究所の研究員Cがまもなく1歳の誕生日を迎えます。
というわけで、彼の誕生日プレゼント選びに
熱中している研究員Aです。
最近はすっかり子どものおもちゃが
趣味になってしまったので
楽しくて仕方ないんです。ぐふふ。

木琴や鉄琴はどうかな〜と思って物色していると
意外と目につくのが
一つの鍵盤ごとに色分けしているもの。
例えば、ドは赤を、レは紫を、というように。

確かに、ドレミファソラシドの音階は
色彩のグラデーションを
連想させるものがありますよね。

研究員Aの場合は単なる「連想」ですが
世の中には実際にある音階を聞くと
その音階に対応した色が「見える」人がいるんです!
例え、モノトーンのピアノの鍵盤だとしても
その人には七色に色分けしているように「見える」のです。

すごいですよね?
そのような「能力」を「共感覚」と呼びます。
これは、一つの刺激に対して
いくつかの感覚を受けとるというもの。
「音」を聞くと「音」と「色」を感じる。

他にも
「数字」を見ると「形」と「色」を感じる人、
「味」わうと「味」と「形」を感じる人など
その共感覚のタイプはさまざま。

この共感覚、19世紀末から知られていた現象なのですが、
今までは「インチキ」とか「気のせい」「幻覚」などと
認められなかったんです。
ところが、ここ数年で「正真正銘の感覚である!」として
そのしくみが科学的に明らかになり始めました。

今回のレポートは、このミステリアスな感覚である
「共感覚」
についてお送りします〜。

「特別な感覚のように言うけれども、
 そんなの、よくあることじゃない?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

「ある人を思い浮かべると
 その人のつけている香水を一緒に思い出す」とか。
「『春』と聞くと、ピンク色を連想する」とか。

でもこれらの場合は「記憶」だったり
「社会通念の学習」によるものだったりするわけです。

先ほど説明したとおり、共感覚とは
一つの刺激に対して二つ以上の感覚を持つこと。
だから、共感覚者にとってはその二つめの感覚もまるで
「現実のようなもの」として受け取っているのです。

たとえば、『共感覚者の不思議な日常』に登場する
マイケル・ワトソン氏。
彼は、味覚を感じると同時に「形」も感じるのです。
例えば、レモンパイを見て
「おなかは空いているけど、
 とがったものはほしくないなあ」
と思ったり。

彼はこう言います。
「強い味のものを食べると、感覚が腕をつたって
 指先までいく。そして重さとか、質感とか、
 温かいとか冷たいとか
 そういうことをみんな感じる。
 実際に何かをつかんでいるような
 感じがするんだ

と!

他にも、
印刷された黒い数字に色が付いて見える人も。
「5は緑」「2は赤」とその色は決まっているんですって。

この共感覚のもちぬしは女性に多く、家族性があるとか。
また、創造的な人に多いと言います。

さてさて、研究員Aが敬愛してやまない
ノーベル物理学賞を受賞した科学者である
ファインマン氏。

しょっちゅう彼の話を持ち出すので
「またかよー」と思われてしまうかも。
実際、所長には
「ファインマンの話は今日はこれで最後にしてくれ」
なんて言われてしまっています。

そのファインマン先生ですが
著書の『困ります、ファインマンさん』
でこんなことを言っております。

彼は学生に向かって講義をしているとき
ベッセル関数の積分などの方程式を思い浮かべると
「j は薄いベージュ色、n はやや紫がかっており
 濃褐色のχが飛び回っているのが見える」
らしいのです。


これを初めて読んだ研究員Aは
「わー、ファインマン先生ってやっぱり天才」
とうっとりした覚えがあります。
ファインマン先生はまさに
共感覚者だったのかもしれませんね。

ちなみに、わがカソウケンの所長。
「昔は音を聞くとよく『匂』ってた」と言います。
最近はそんなことがないらしいので
どんな感覚か表現しがたいとか言っておりますが、
本当かあ?(←疑いを隠しきれない妻)

ただ、この「昔は」というところに実は
共感覚のヒミツに迫るポイントがあるんです。

それは
「生まれたばかりの赤ちゃんは
 みんな共感覚の持ち主」
ということ!
そして、大人になるにつれて
次第に失われていくというのです。

ではでは、赤ちゃんの共感覚ってどんな感じ?
ってところをもう少し詳しくお話ししますね。

赤ちゃんの時期の共感覚を調べたこんな実験があります。
赤ちゃんに目隠しをして人工乳首を口に入れさせます。
目隠しを取った赤ちゃんの目の前に
いくつかの人工乳首を並べます。
すると、ちゃーんと自分が口に入れたものを選ぶんです。

これは、舌で知覚したものはふつうは脳の中の
「体勢感覚野」に伝わるのに
赤ちゃんは同時に「視覚野」でも受け取っているから、
ということなんですねー。

目隠しをしていたのにも関わらずモノが「見える」!
まるっきりエスパーじゃないですか。
「ココロの目で見る」アカンボ、恐るべし〜。

研究者・ダフニ・マウラによると4ヶ月未満の乳児はみな
共感覚的な反応を示すのだそうです。
くうう、研究員Cがもっと小さい頃に知っていたらなあ。
小さい月齢の赤ちゃんがいる方、
期間限定のチャンスですよ。
ぜひとも実験を〜。

また、生後1ヶ月の赤ちゃんが
お母さんの母乳を吸っているときには
たとえ目をつぶりながらでも
「視覚野」「前頭葉」「体性感覚野」「運動野」
などなど大脳のさまざまの部分が働いています。

一日のほとんどを「寝る」「食う」で過ごす新生児。
寝ていないときに目一杯アタマを使っているんですねー。

でも大人になるとその「共感覚的な感覚」は
次第に薄れていきます。
目は視覚野で! 耳は聴覚野で!というように、
ある情報に対して個別の機能が働くようになります。

その脳における「役割分担」の途中とも言える
子どもたちの場合は
1/3〜1/2の割合で共感覚の持ち主だとか。
結構多い数字ですよね。

でも、子どもたちはその感覚が
当たり前と思っているので
わざわざ大人に伝えない。
だから、大人も知りようがないケースが多いんです。

でも、何かの拍子に子どもが
「この積み木のアルファベットの色、全部間違っているよ」
なんて発言をして、大人が気づいたりする場合がある。

そんな子どもの発言にびっくりした経験をお持ちの
方も多いかもしれませんね。

「エスパー実験」こそ逃してしまいましたが、
研究員Bや研究員Cが将来
そんな共感覚的な感覚を
伝えてくれることがあるかもしれません。
楽しみ〜。

それにしても、このころの子どもたちは
どんなカタチで世の中を認識しているのでしょう?
大人には想像もつかない世界なんでしょうね。
2歳児・研究員Bのやることなすこと
意味不明なことが多いのも当たり前のことかも。




参考文献
共感覚者の驚くべき日常 R.E.シトーウィック著 草思社
ねこは青、子ねこは黄緑 パトリシア・リン・ダフィー 早川書房
赤ちゃんと脳科学 小西行郎 集英社新書
困ります、ファインマンさん R.P.ファインマン 岩波書店
日経サイエンス 2003年8月号


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2003-10-31-FRI


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