主婦と科学。
家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所

研究レポート82
ラヴォアジエ夫人。



ほぼにちわ、カソウケンの研究員Aです。

あるとき『化学物語25講』という本を見ていたら、
美男美女の肖像画が目に飛び込んできました。
化学の内容のはずなのに〜(?)。
着飾った女性が男性に寄り添い、
それを愛おしそうに見上げる男性。

ね、化学の本で見つけたら印象的でしょう?
(この絵は一部なので全体を見たい方はこちら。)

その『化学物語25講』には

  ラヴォアジエ夫妻。
  夫人は実験記録をとるなど、
  夫の研究の手助けをした

という説明しかなかったので
この絵のラヴォアジエ夫人にがぜん興味を抱いてしまった
研究員Aだったのでした。
今回はこの女性、マリー・アンヌ・ラヴォアジエを
テーマにとりあげてみますね。

夫は“錬金術”と思われていた化学を
学問に格上げした近代化学の祖。

まずは、今回のヒロインの夫であった
ラヴォアジエについて
簡単に説明させていただきます。
「近代化学の祖」と呼ばれる偉大な化学者。
中学の教科書の最初の方にも登場しているはずだから
名前だけは聞き覚えがあるかも?

それまでの「化学」は錬金術
(安価な物質を高価な金に変化させよう!
 という悪あがき。でも天才ニュートンもその妖しい魅力に
 とりつかれてしまったんですよね〜)
の延長のようなもので、とても学問と呼べるような
しろものではありませんでした。

それを今まで誰も注目しなかった精密な定量実験に注目し
「質量保存の法則」「化学命名法の確立」
「酸素の発見」などなどの業績をあげ
『化学綱要』という教科書を発行します。
化学を学問として初めて確立したのは
ラヴォアジエなのです。

でも、ラヴォアジエの本業は
化学者ではなかったんです。
「徴税請負人」という今でいうところの
高級財務官僚でした。
その他、行政家、エコノミストとしての一面もある
万能なひとでありました。

実家が裕福なブルジョアだったので
その本業の収入と家の資産をもとに
上に挙げたような化学的業績を成し遂げたんですね。
ラヴォアジエ夫妻の生きた18世紀当時は
科学を職業として生活の糧にするのは
難しい時代だったんです。

天才に嫁いだ14歳の娘が
ぐんぐん頭角を現していく!

そして、のちにラヴォアジエの妻となる
マリー・アンヌは超裕福な
ブルジョアの娘として生まれました。
マリー・アンヌの父は徴税請負組合の組合長で
娘の結婚相手として「いかにも有望な若者」、
娘より15歳年上の部下
ラヴォアジエに目を付たのです。

以前 愛と科学に生きた「シャトレ夫人」の話。
でも書きましたが、
当時の上流階級の結婚は「形式上」のもので
既婚でも自由恋愛はあたりまえ、って時代でした。
でもこのラヴォアジエ夫妻の場合は
とても仲睦まじく(肖像画からも伝わってきます)
夫のラヴォアジエはただひとりの愛人も知られていない
当時の著名人としてはきわめて珍しい男性!

たった14歳で結婚したマリー・アンヌですが
才能・容姿などに恵まれた夫に魅了されたようで
「夫にふさわしい妻になりたい」と向上心を持って
努力するのでありました。
当時としては珍しく「幸せな結婚」といえそう!

女性が14歳で結婚、というのは当時としても早婚。
でも彼女にとってはこれが幸いでした。
上流社会の女性でも、得ることの極めて難しい
「教育環境」を得ることができたのですから。
ラヴォアジエと結婚したおかげで、ね。

天才ラヴォアジエじきじきの指導に加えて
彼の元には一流の化学者たちが集まっていて
その場にいながら「先端の化学」を
身につけることができてしまう!
そして、ラヴォアジエの館には
自分専用の化学実験室があるのですから。
そこにある器具類はヨーロッパ随一のもので
ほとんどが特注で、びっくりするくらいのお値段。

そして、マリー・アンヌは絵画の才能にも恵まれていて
『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン』などで有名な
ナポレオンお抱えの画家ダヴィドから
直接指導を受けています。
ちなみに、冒頭に登場した夫婦の肖像画は
そのダヴィドの作品です。代金7,000フラン。
1リーブル≒12,000円として今の代金に換算すると
なんと8,400万円! たった一枚の絵に‥‥はあ。

そしてその絵の才能を生かして
『化学綱要』の挿絵は
妻マリー・アンヌの手によるものです。
こちらのリンク先を見ていただければわかりますが
相当の腕前といえるでしょう。

語学堪能、麗姿端麗、されど不幸が‥‥!

そして、実は万能であったラヴォアジエにも弱点が。
それは語学! その夫の弱点を補うかのように
マリー・アンヌはラテン語・英語・イタリア語を身につけ
夫のために訳書をいくつも書いています。
しかもマリー・アンヌの序文・注釈付きで発行したものも!
もちろん、化学の内容がわからないと
翻訳どころか、序文・注釈は書けませんよね。

しかも美人妻ときた!
ダヴィドの作品や、彼女自身の手による肖像画からも
その美しさは伺えます。

実際マリー・アンヌは
「パリの美人」リストに載ったこともあるとか!

ここで、男性陣はひょっとしたら
「ちえ、いい嫁さんもらったものだな」と
思うかもしれませんが‥‥。
才能ある妻と結婚しながら、その才を潰してしまった
学者だって少なからずいるのです。
アインシュタインの最初の妻、ミレヴァしかり。
(ミレヴァ自身も物理学者を目指していた同級生だった)
ノーベル化学賞を受賞したフリッツ・ハーバーの妻
クララしかり。

妻が勉強することを認め、ここまで
「自分の仕事に立ち入らせてその功績を認めた」
夫ラヴォアジエの男としての度量も
相当なモノだ、と思うのです。
挿絵には妻の署名を入れさせていますし
翻訳書にも彼女の名前を残しています。

という具合に何不自由なく生活を送っていた
二人ですが、ときはフランス革命の時代。
民衆の憎悪は王族に続いて
徴税請負人にも向かいます。
徴税請負人自身は民衆から
税金を取り立てる仕事をしていた人たち。
憎しみが集中しても仕方ないことでしょう。

そんな中「自らは不正な行為はしていない」と
主張したラヴォアジエと
マリー・アンヌの父は自ら出頭し
無実を認めてもらうために獄中で
処刑の前夜まで徴税請負の収支決算書を作っていました。
その努力も虚しく、彼らは断頭台の露と消えるのです。

数学者として有名な、同時代のラグランジュは
ラヴォアジエの処刑に対し
「彼の首をはねるのは一瞬だが
 彼の首をつくるのは100年かかる」
と嘆くのでありました‥‥。

夫と父が処刑されるという悲劇のあと
更なる不幸がマリー・アンヌを襲います。
財産を全て没収され、彼女自身も囚われの身に。
もはやこれまで、と思われたとき
テルミドール9日を迎えたのです。
恐怖政治が終わりを告げ
マリー・アンヌの命は助かることになりました。

生き残ったマリーの大活躍!

ここからのマリー・アンヌの行動がすごい!
徴税請負人の遺族を組織して
「徴税請負人は無罪であり
 訴追官デュパンこそが犯罪人」
であるという文書を出版しました。
結局、この訴追官デュパンは逮捕されます。

そしてマリー・アンヌは忍耐強く
家屋敷などの不動産の他、
亡き夫の本・家具・実験装置などを要求し
ついに自らの手に取り戻します。
いやいや、たいした手腕です。

こうして再び彼女は名誉と財産を取り戻し
サロンを開いて現役の社交夫人として復活するのでした。
そして彼女は夫、ラヴォアジエが獄中でも校正を続けた
絶筆『化学論集』を出版するということもしています。

そんな彼女に再婚の話が持ち上がります。
科学者であり、元アメリカ人であるラムフォード伯爵。
ふたりはともに再婚になります。
マリー・アンヌにとっては再び学者との結婚。
ラヴォアジエのときのような
「カガクな結婚生活」を夢見ていたのでしょう。

しかし、この結婚は間もなく失敗に終わります。

マリー・アンヌは結婚契約書に
「ラヴォアジエ・ド・ラムフォード夫人」
と名乗ると断固として明記したのです。
ラムフォード伯爵はしぶしぶ了承したようですが‥‥。
前夫の姓を入れる、なんてことは当時としても
聞いたことがない話です。
ラムフォード伯爵だって相当面白くなかったにはず。

そして彼にとって家庭とは、ただただ
「主人である夫のやすらぎの場」
であって欲しかったようです。
妻が実験室に入りたがることも
自宅のサロンを催すことも
彼には我慢できなかったみたい。

たった結婚一周年で
ラムフォード伯爵はの元妻の娘への手紙に
「私はあの女を雌ドラゴンだと思って接している。
 これでもあの女には親切すぎる
 ネーミングだと言っていい」
なんて書いているくらい。
そして、この夫婦は離婚に至ります。

その後、マリー・アンヌは学者を集めた
サロンの女主人として、晩年まで
生き生きと活躍しました。

雌ドラゴンと呼ばれたマリー・アンヌ。
ラヴォアジエにとっては最高の伴侶でしたが
ラムフォード伯爵にとっては最悪の組みあわせ。
結婚って難しいものですねえ‥‥
と、お茶を濁しながらまとめる
研究員Aでありました。




参考文献
  『エミリー・デュ・シャトレと
マリー・ラヴワジエ』

川島慶子著 東京大学出版会

『科学好事家列伝』
佐藤満彦著 東京図書出版会

『化学物語25講』
辻哲夫著 化学同人

『人物化学史
──パラケルススからポーリングまで』

島尾永康著 朝倉出版

『アシモフの科学者伝』
アイザック・アシモフ著 小学館

『心にしみる天才の逸話20』
山田大隆著 講談社ブルーバックス

『肖像画の中の科学者』
小山慶太著 文芸新書
参考サイト   Engines of Our Ingenuity


2007-03-16-FRI


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