主婦と科学。
家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所

研究レポート84 女グセが悪い暴言家
その2 アインシュタインの青春時代



kasoken 厳しいお母様のもとで‥‥

アインシュタインは1879年
南ドイツのユダヤ人家庭に生まれました。
父ヘルマンは成功したとも
失敗したともいえない事業家。
母パウリーネは強引な性格の女性で
一家の「家長」でした。
父ヘルマンは穏やかで温和な人柄でしたが
そんな夫に不満を持っていたらしいパウリーネ。
彼女は、息子アインシュタインを
「父親のようではない男」
にしようという野望を持ち
厳しくしつけました。
アインシュタインとそんな母との関係は
良好とは言えず、
晩年になってもアインシュタインは
母のことになると苦々しげに語っています。
両親についてのインタビューを受けても
母に関しては素っ気ないのに対し
父については穏やかさなど
人間的に尊敬していた、と答えるのです。

アインシュタインの人生は必死に
母から逃れ続けようとしたように見えます。
結局、大科学者となったのですから
結果としては教育ママの目的は達成された
‥‥と言えるのでしょうか?

kasoken 16歳で大学に挑戦! でも‥‥

アインシュタインの伝記で
よく引き合いに出されるのが
「小さい頃から成績が良くなかったこと」
「大学受験に失敗したこと」です。
確かに、世紀の大天才にそんな過去があった
という話は凡人にとって救われるものが。
でも、後者に関しては少し割り引いてあげないと
少々アインシュタインがかわいそうです。

アインシュタインがギムナジウム時代
一家はイタリアに引っ越しました。
でも、彼は一人残され
ドイツのギムナジウムに通い続けていたのですが
勝手に中退してしまいます。
その理由は兵役から逃れるために
ドイツ国籍を捨てたかったから
というのが大きいようです。
「学業の妨げになるから」
と息子を置いて引っ越ししたのに
勝手に退学してしまうとは!
と両親はもうびっくり。
そんな親を安心させるため
アインシュタインはスイス連邦工科大学(ETH)へ
入学するつもりということを伝えます。
普通、大学はギムナジウムの卒業試験を
受けていないと入学許可を得られませんでしたが
このETHは不要だったのです。
本来、18歳にならないと受験資格が
得られません。
でも、16歳のアインシュタインは
果敢にも入試に挑戦します。
‥‥が、不合格でした。
まあ、通常よりも2年も早かった
ということもあるので仕方ないでしょうね〜。

そんなわけで、アインシュタインは
再び親元から離れて
スイスのチューリヒの州立学校に入ります。
ここの教授だったヴィンテラー家のもとに
下宿することになるのですが
ヴィンテラー夫妻は、実の父母のように
アインシュタインを迎えてくれました。
特にヴィンテラー夫人は
実母が打ち解けにくい性格だったのに対し
開放的で暖かい女性でした。
彼はこのヴィンテラー夫人を
「母さん」と呼び、慕うようになります。

kasoken 大学、最初の妻との出会い。

ヴィンテラー家での家庭的な雰囲気で
受験勉強に励み、今度はアインシュタインは
無事ETHに入学することができました。
アインシュタインはここで
運命の女性との出会いが!
その女性とは、ミレヴァ・マリッチという
4歳年上のセルビア出身の女子学生。
のちのアインシュタインの最初の妻です。
ミレヴァはセルビアの名家の出身で、
学問全般においてずば抜けた才能の持ち主。
でも、当時のセルビアでは
女性が入れる大学がなかったので
彼女は国境を越えてETHに入学したというわけ。
名門大学で男子学生に囲まれて
ただ一人物理学を学んでいた女子学生
というのですからたいしたものです。
ミレヴァはおとなしく
控えめな女性だったようです。
彼女の当時の写真は、とても可愛らしいのですが
目の輝きから「秘めた熱い想い」を感じる
魅力的なものです。

アインシュタインにとって
ミレヴァのような存在は衝撃的だったみたい。
それまで「知的パートナー」とみなせるような
女性には出会ったことがありませんでした。
彼女とは相対性理論の萌芽となるような
議論を交わす仲となります。
母親を含め、自分の親戚の女性たちを
「俗物」として軽蔑していたアインシュタイン。
ミレヴァを追い求めたのは
強すぎる母親からの支配から逃れるという
側面もあったのかもしれません。
それを察したのか、アインシュタインの母親は
ミレヴァとの交際を猛反対!
「ロミオとジュリエット」じゃありませんが
困難があるほど燃え上がるのが恋ってもの。
アインシュタインの場合もその例に漏れず
ますますミレヴァに対する情熱は燃え上がる一方。
この頃、アインシュタインが
ミレヴァに対して書いた手紙は
読んでいるこちらが赤面するような
言葉のオンパレード。
まあ、アインシュタインはミレヴァだけじゃなく
その時の「恋のお相手」に下手な詩を交えた
甘ったるいラブレターを書く傾向があるのですが。
例えば、ミレヴァに対してはこんな感じです。
「きみのいない人生なんて人生じゃないよ」
さらに、ミレヴァの父親に向かって
このように手紙を書いたとも。
「彼女は人生と科学において
 自分のインスピレーションの源であり
 道を踏み外さないための保護天使」
 ミレヴァに宛てた手紙での呼び方も
おそろしいまでのヴァリエーション!
「お人形さん」「いとしの子猫ちゃん」
「小さな魔女」‥‥。

kasoken ミレヴァは共同研究者?

でも、その一方で
アインシュタインはちゃっかり
「火遊び」もしています。
大学での休み中に出かけた先で
知り合った美女アネリーと浮気をしたり
大学入学前に知り合っていた
女性に言い寄っていたり。
その間にも、ミレヴァに対しては
熱烈なラブレターを欠かさないのですから。
やはり天才はやることが違います。

さて、最近よく議論の的となるのが
「アインシュタインの相対性理論の確立には
 ミレヴァの貢献があったのでは」
ということ。
確かに、特殊&一般相対性理論‥‥と
彼の最盛期の業績は
ミレヴァとの交際・結婚期間に重なっています。
そして、アインシュタインの手紙には何度も
「ぼくらの研究」という言い回しが使われてる上
学生時代から相対性理論に至るアイディアについて
手紙でやりとりしていた証拠も残っています。

でも、どちらかというとミレヴァの貢献は
実質的な「共同研究者」というわけではなく
彼の精神的な支えだったと言えそう。
アインシュタインの論文に関しても
数学のチェックなどはしていたようですが
それ以上のことはなかったみたい。
でも、あとで詳しく触れますが
大学卒業後も無職状態
学界で無視され続けていた彼です。
そんな孤立無援状態のアインシュタインにとって
彼の「突飛な」アイディアを支持し
応援してくれた知的同志がいたということは
重要だったのではないでしょうか。

(つづきます!)




book
参考文献
  『裸のアインシュタイン』
 R.ハイフィールドら著 徳間書店

『アインシュタインの恋』
 D.オーヴァーバイ著 青土社

『アインシュタイン150の言葉』
 J.メイヤーら編 ディスカバートウェンティーワン


2007-12-18-TUE


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