糸井 | 今日、ドラフト代表の 宮田(識)さんのことを書いた本を たまたま見つけて買ったんです。 『デザインするな』っていうんですけど もう、タイトルそのものが おふたりが在籍していたデザイン会社の 「ドラフト」的ですよね。 |
渡邉 | そうですね。 |
糸井 | キギでは言わないでしょ、そんなこと。 |
植原 | いや、言いますよ。 |
渡邊 | 言う? |
糸井 | 両方で「キギ」なのに、疑問形なんだ(笑)。 |
植原 | 「デザインしすぎ」という意味で。 |
渡邊 | ああ、それはあるかな。 |
糸井 | おふたりが、ドラフトにいながら 自分たちのデザインを続けてこられたのって 宮田さんがそうさせてたわけですよね。 「やめろ」って言わずに。 |
植原 | そうですね。 もう、勝手にクライアントを見つけてきて 仕事にしてたこともあったので。 |
糸井 | それを「放っといた」というか、 わかってて「見逃してた」んだ、宮田さんは。 |
渡邊 | はい。 |
糸井 | そのありがたさというかな、 むつかしさというか、 のちのち、もっとわかってくると思うよ。 だってさ、経営者としたら なかなかできないことですから、それは。 |
植原 | いや、本当にそうだと思います。 |
渡邊 | ドラフトでは、 1995年に「D-BROS」というブランドを つくったんですね。 はじめわたしは、 そこに関わる予定じゃなかったんですけど 宮田さんに、 「やらない?」って言われたんです。 |
糸井 | うん。 |
渡邉 | でも「売れないと困るから、いいです」って 言ってみたりして。 |
糸井 | ほんとは、やりたかったんでしょ? |
渡邊 | いや、わたしのなかの「プロダクト」って もっと「椅子」とか‥‥ そういうイメージだったんです。 |
植原 | つまり「D-BROS」でつくっている カレンダーとか、コップとか フラワーベースとかというよりもね。 |
糸井 | もっと「不自由なもの」というイメージだった? |
渡邊 | たとえば、こういう「テーブル」とかを つくれって言われても わたしたちとは、すこし遠く感じていて。 有名な椅子とか、いろんなものを見ていても くわしい知識も持ってなかったし。 |
植原 | 紙で時計をつくる‥‥みたいな発想は 当時はまだ、なかったですよね。 |
渡邊 | でも、カレンダーづくりをきっかけに 少しづつ、 関わるようになっていったんですけど、 いまにして思うと 「D-BROS」をやらせていただいたことが すごく、私には良かった。 たぶん、植原にも良かったと思います。 |
植原 | うん。 |
糸井 | 商品企画というのは あたまのトレーニングからちがうでしょう。 |
渡邊 | ぜんぜん、ちがいますね。 |
糸井 | クライアントがいるわけじゃないし。 |
植原 | そう、デザインの考え方としては ベクトルが「内側」に入っていきますよね。 |
糸井 | まずは「自分のやりたいこと」を 探せないとダメで。 |
植原 | そうそう、そうなんです。 |
糸井 | そこは「ほぼ日」と一緒なんですけど 「タレント」とか 「写真家」に頼れないじゃないですか。 |
渡邊 | はい。 |
糸井 | その仕事は、どれくらいやってるんですか? |
渡邊 | 1997年から、です。 |
植原 | 僕は、1999年から。 |
糸井 | その「長さ」も「ほぼ日」と同じだ。 でも、デザイン会社のなかに そういう商品企画の事業をつくるっていうのは 当時、すごいことでしたよね。 |
渡邊 | そうなんです、すごかったんです。 |
糸井 | 率直に表現しちゃいますけど 「黒字」にするのだって、苦労するはずだから。 |
植原 | はい、黒字になる商品もあれば、 ならない商品も、当然あって。 |
糸井 | おそらく、ドラフトの他の広告仕事にくらべたら 「儲け」としては比べようもないと思うんだけど。 |
植原 | ええ。 |
糸井 | でも‥‥やって良かったんですよね、きっと。 |
渡邊 | はい、良かったです。 |
植原 | デザイン業界でも、話題になったんですね。 良重さんの作品がADC賞をとったり、 次の年は、ぼくのガムテープが受賞したり。 |
糸井 | ああ、そうなんですか。 |
植原 | だから、もし話題にもならなかったら 辞めていたかもしれないです。 でも逆に言えば、話題になったからこそ 続けざるを得なかったというか‥‥。 |
渡邉 | うん。 |
糸井 | とにかく、 お客さんに「見てもらう」っていうのは、 すごいことなんですよね。 |
渡邉 | 本当に、そう思いました。 |
<つづきます> |
2013-06-20-THU |