萩本 |
糸井さん、禁煙しているんですか? |
糸井 |
はい。 |
土屋 |
大将は、短く吸うんですよね。
短く吸って、すぐに、消して。
タバコ屋さんからすると、
「そんなに残ってんのか?」
みたいな吸い方を、するじゃないですか。 |
萩本 |
うん。
タバコって
「一服吸いたい」って言葉があるように、
あの「一服」が、いいんだよね。
よく、七服も八服も、
ぱくぱく吸ってるやつがいるけど……。 |
糸井 |
え? ほんとに一服? |
萩本 |
うん、一服。 |
土屋 |
ほんとにそうです。それで消しちゃうんです。 |
糸井 |
キセルみたいなもんですか? |
萩本 |
そうそう。
ぷーっと吸って、それで灰皿に。
ぼくとしては、
一服で消しておいてあるのに、みんなは、
もったいないな、捨てたな、と思うのよ。
そうじゃない、
次にこれで吸おうとするんだけど、
みんなが、みっともないと言うから、
あたらしいのを、出しちゃうわけで。
誰もいなければ、それを吸っちゃう。 |
糸井 |
じゃあ、おうちでは、
ぜんぜん減らないわけですね? |
萩本 |
そうそう。
だから、一服吸って、消すだけよ。
やっぱり、「一服」って言葉がいいんでね。
「ひといき」ということなんだよなぁ。 |
糸井 |
「一服、盛る」みたいなことですよね。 |
萩本 |
そうそう。
ずーっと根元まで吸うやつは、
煙草の好きなやつだろうけど、
ぼくは、この「間合い」が好きというか。
むしろ、この、
タバコを吸うという
かたちだけでもいいんですから。 |
糸井 |
あんまり、吸いこまないんですか? |
萩本 |
ほとんど。
だから、火をつけたら、
しゅーっと、これでもういいの。 |
糸井 |
お寿司で言ったら、
においをかぐだけで「ごちそうさま」みたいな。
じゃあ、ふだんは、そのにおいをかぐために、
いっぱい、持ってないといけないでしょうね。 |
萩本 |
だから、200本ぐらい持ってるよ。
病院、よく行くんですけど、
「タバコは、まだ吸っているのか」
とは、よく言われます。
病気になると、
少しはタバコが原因になっていると、
いつも言われているんです。
ま、元気ですけど。 |
糸井 |
ふだん、運動とか、なさっているんですか? |
萩本 |
運動、しないです。
あれは、体がもったいない。
ゴルフが健康にいいから行こうとか、
みんなが体にいいことをしようとするけど、
「健康にいいから」
という理由で行くことは、やめたんです。
そうね……
いちばんつらい運動っていったら、
家で正座をしていて、
ちょっとがまんして座って、
「……あ、もう、足を、ラクにしたいな」
と、最終的に足をのばすとき、そのぐらいです。 |
糸井 |
家では、テレビは、見てらっしゃいますか? |
萩本 |
テレビはもう、
同時にふたつつけてますからね。 |
糸井 |
へぇ。
ぼくも、テレビ、好きなんです。 |
萩本 |
昔は、見るヒマがなかったですね。
ものを作ってるときは、
人の見るとね、パクるんで。
だから、見ないという……。 |
糸井 |
萩本さんは、いいものを見たときに、
落ちこんだりはしないんですか?
ぼくは、若いときは、いいものを見ると
落ちこんでしまうので、もうほんとに、
テレビや映画を見るのがこわかったです。 |
萩本 |
自然にパクるっていうんですか?
入っちゃうの。
吸収しちゃうんですね。
あの「吸収」がこわいから、見なかった。 |
糸井 |
もう、こわくはないですか? |
萩本 |
番組やってなければ、
ぜんぜんこわくないから、
だからばかばか見ちゃいますね。
番組をやっていたときによく聞くのは、
企画したときに、
「これ、誰かのパクってる?」
っていうのが最初です。
よく「ありますね」と言われたね。
「それとおんなじような番組あります」
「だろ? それ、当たってる?」
「当たっています」
当たってるってことは、
頭がズレてないってことだから、
それでいいやと思って、
「もう1回、違うの考えるから」
と言うんだけど、パクってるんじゃないんです。
ひとりでに吸収してるから、
パクリが出ちゃうっていうんですか?
つまり、身についちゃうから、
困ったとき、
ポイッて出てくる気がするんですね。 |
糸井 |
そういうのは、
オッケーなんじゃないでしょうか。
ぼくは、正直言うと、
めちゃくちゃパクっていますから。 |
萩本 |
パクっているという意識があったら、
工夫して変えませんか? |
糸井 |
変えます。
だけど、
「あの材料がなかったら
考えもしなかっただろうな」
という仕事なら、山ほど、あるんです。
ぼくは、
「萩本さんは勉強家ではなかった」
と信じているようなところがあるんです。
テレビの世界の開拓者ではあるけれども、
テレビや映画を一生懸命に学んだ、
という人ではないだろうなぁと思っていました。 |
萩本 |
舞台も、見てないし、
映画って、
『ジョーズ』以来見てないですからねぇ。 |
糸井 |
(笑)すごい!
しかも、主人公が魚の映画だし……。 |
萩本 |
ああ、そうそう、
『ひまわり』
(1970年のイタリア映画。
ソフィア・ローレンが出演)
は、見ました。 |
糸井 |
「女を泣かせる」という映画ですね。 |
萩本 |
ええ。
あれを見て、なんか、
まあ、人間が変わったというか。 |
糸井 |
いいらしいですね。 |
萩本 |
「人が泣く?」
「女の人が集まる?」
いろんなことを言われていましたよね。
ぼくは、『ひまわり』が
見にいきたくていったんじゃないんです。
「どうしてこんなに
女の人ばっかり並んでいるんだろう?」
女の人は何を求めてこんなに並ぶんだろう、
と思って、そーっと映画館に入ったんです。 |
糸井 |
それは、
神様の視察旅行みたいなものですね。
「人間は、何が好きなんだろう?」
みたいなことで。 |
萩本 |
そうね。
「みんなは、これをどこで泣くの?」
っていうんでさ、だから、絵を見るよりも、
まわりをこう、ずっと見ていたんだけども、
だんだん、だんだん、ふっと気がついたら、
最後にオレが、泣いてやんの。 |
糸井 |
いいですね、それ。 |
萩本 |
「あ、すごい映画に会った」と思った。
つまり、
「泣きに来たんじゃない人まで泣かす」
というのは、笑いの極意にもいただきたいなぁと。
笑いたくないよというやつも、笑っちゃうという。 |
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(つづきます) |