きのこの写真を撮り始めて何年も経つので、
「これから、棺桶に片足突っ込むくらいまでの間に、
人生に必要なことは、ぜんぶきのこに教わったぜ!」
くらいのことは、うそぶいてもいいかなあ、と、
ときどき思ったりするわけです(笑)。
「きのこに、いったい、何を教わったの?」
「おいしそうな奴がいたら、寄生して生き血をすする」
「寄生して生き血をすする!」
「気に入らない奴がいたら、毒で殺す」
「毒で殺す!」
「じめじめ湿った、人目のつかないところで生きる」
「あんた、これから一生、日陰者かい!」
と、いうのは冗談として(笑)、
きのこの気持ちを考えるつもりで、
腹ばいになって、きのこの「視線」で森を見ると、
いつもとまったく違う世界が見えてきます。
思った以上に、草花や、シダや、木って大きいんです。
ですから、自分の視界はすごく狭くなります。
つまり、何でも知っているような気になっているけど、
実は、世の中の、ほとんどの部分が見えてない、
ということにふと気づいて、ちょっと愕然とします。
きのこの本体は、地中にある菌糸。
つまり「きのこ」と言った場合の本質?は、
目に見えないところにあるわけで、
これまた、なんか、人生に通ずるところがありますな。
「物事の本質は、見えないところにこそある!」
おお、なんか、格言っぽいですよね。
森の地中には、菌根ネットワークなる、
きのこの菌糸やら、木の根っこやらでできた、
情報網がぶわ〜っと広がっていて、
植物や、菌類などが、栄養だけではなく、
情報のやりとりすら行っている、という研究もあり、
もう、森は森でひとつの文明をつくっている、と、
ひしひしと感じないわけにはいきません。
街には街の、森には森の世界があるんですね。
タマゴタケも、菌根菌なので、
地中に縦横無尽に広く広く菌根を伸ばし、
シラカンバやトドマツなどとつながりつつ、
森のネットワーク形成に寄与しているのかもしれません。
本体である菌糸が次世代に命をつなぐ胞子を放出すべく、
我々が「きのこ」と呼んでいる子実体を形成するのは、
7月から9月にかけての、夏の盛りころ。
時に、高さ20cm超、傘の直径15cm超にもなる、
実に堂々としたきのこです。
地上に真っ白な「卵」が現れ、
それがぱかっと割れて、中から現れる、
傘が赤で、柄はダンダラ模様が付いた黄色の、
色鮮やかな子実体の美しさときたらもう……。
幼菌の可愛さたるや、破壊力すら感じます(笑)。
しかも、食べたら、おいしい!
(きのことしては特異的に生食もできるとか)
まあ、人間の思惑に当てはめると、
タマゴタケは、かわいいし、おいしいし、
ほぼ完璧なきのこだと言えそうですが、
それ以前に、森で生きるひとつの生物として、
尊敬の念を抱かずにはいられません。
タマゴタケから教わることはまだまだ多そうです。
ちなみに「きのこの話」の連載の初期に、
タマゴタケをご紹介しております。
こちらと、こちらを、ご覧あれ。 |