Kuma
クマちゃんからの便り

ヴェネチアの空気に馴染んだオレ

HELLO! I am KUMA!

ホテルの窓のすぐ前に、満月の鐘楼がそびえていた。
あれこれ想いを巡らせては、年代モノの立派な塔を仰いだり、
H/Pを更新して鋳込みのアイデアを練った頭蓋を剃ったり、
眠りたくない安癖がまた始まっていたがさすがに朝六時、
やっとベッドに倒れた。
物凄いキリスト教の大音響が、
剃りたてのブッディスの頭蓋骨を転がした。
時計は朝七時、鐘楼からだった。
『眠らせない気だな、その手に載らないわい』
枕を頭蓋に載せて眠ったら、またも頭蓋が転がった。
三〇分おきに襲ってくらしい。
山梨FACTORYに篭って
ヒカリを鋳込むようになった朝は、
四時になればさえずり出す小鳥の声で
始まるようになっていた。
砂漠の町やアラブを浮遊していた朝は、
まだ暗い朝四時頃からコーランで攻めたてられたものだ。
ヴェネチアの朝は何百年もこうして始まっているのだろう。

水上バスで二つ目約十五分でムラーノ島だ。
観光客相手のガラスショップが、
船着場から運河沿いに建ち並んでいる。
TUCCHIの店は大したものだ。
奥に進むとこれが古いレンガ造りだが
天井も高いガラス工場になっている。
つい最近まで50人ほどの職人が働いていたらしいが、
ムラーノで一番デカイ工場も、
今はTUCCHI一人の仕事場だ。
「ここから向こうはデッカイ徐冷炉を造ってもイイよ」
と言う。
「太っ腹だな、昨夜考えたキャスティングの徐冷炉を
 こっちで見積もってもらおうかな」
オレはその気になった。
OMRONの今村さんや李君と、
山梨FACTORYで開発進行中の
サイバー・KILNのノウハウを
ヴェネチアに導入しようと思ったのだ。
今、オレの提案で、離れたところからでも電話回線を使って
パームで進行状態をコントロール出来るやつだ。
山梨、東京、ヴェネチア。
油断なく釣り宿からだってチェック出来るのだ。
そう言えば今村さんが
「ヴェネチアにも支社がある」
と先日のエン会で言っていたナ。
ヴェネチアガラスを使って
ムラーノでもオレのヒカリを創ろうか。
頭蓋内が一瞬震え た。
TUCCHIのシゴトを
七〇ちかいマエストロ二人がフォローし、
三人の日本人の青年がチームでいる。
新潟の高校を出てすぐに来た酒蔵のムスコ、
亀戸から来た建築の勉強したあと
建築家を目指すガラス職人だ。
もう一人まだ半年ほどの若いニョショウもいる。
工場内に小鳥の賑やかなテープが流れていた。
鳥の声が一段と大きくなると、
ヴェネチアンのマエストロもTUCCHIも
仕事しながら負けずに口笛や唄ったり、
イタリアンはさすがに楽しそうだ。
ヴェネチア・ガラスの真似ゴトばかりの
辛気臭いジャパンガラスとは大違いだ。
案内されて屋上に上がると
TUCCHIのコソボをテーマにした
ガラスのインスタレーション。



オレを空港に迎えに来た時、
TUCCHIの朝日新聞を握って憂鬱そうな顔を思い出した。
出発前のドサクサと飛行中で知らなかったが、
ハンセン病のコトを知って
二、三日ショックを受けていたのだと
グラッパを呑むオレの脇でいっていた。

翌日<長島>の患者の
残り少ない生命を見届ける仕事をしている知合いから
メールが届いた。
幾つもの小鳥の小屋が詰まれている奥を、
さっきまで下で背広姿で竿を操り大きなモノを作って
姿を消した、もう一人のマエストロが不機嫌な顔が横切った。
「小鳥が趣味かい」
「社長の趣味なんだ」
「義理のオヤジさんじゃないか」
跡取娘のアンと結婚しているTUCCHIは、
ちょっと不機嫌な顔になった。
それにしてもテープだと思っていた鳥の声は
ここからだったのだ。

売り物のグラッパグラスを眺めていたら
「それあげるよ」
酒を飲まないTUCCHIは
オレのグラッパ好きを知っていた。
「夜はオレが奢るから美味いメシ喰おう。
 オレの仕上げはこのグラスを持ち込んでグラッパにする」
一日だけクロスしたオフィスワンの中川鵜一郎夫妻は
明日はフィレンチェに行く。
運河のドン詰りに観光客なぞ来ない《COLONNA》。
サカグラ、カメイド、同行の箱モノ屋、
中川鵜一郎夫婦、TUCCHI。
ヴェネチア素材のスペイン料理だ。
賑やかに大満足。グラッパ美味い、
エスプレッソにグラッパ落として美味い。
赤い満月の石畳が心地イイ一日の終わりだった。

2001-05-12-SAT

KUMA
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