クマちゃんからの便り

ヴェネチア浮遊 その15
錆作業、プラダ、ヴェネチアの新しいアパート。


すっかり緑が濃くなった武川に戻り、
炎天下、危なっかしい三メートルの
<まだ未熟すぎるピリオド>の
球体に貼り付いて錆び落とし。
冷や汗を流す。
こんな単調な作業こそシルバー派遣業からの
爺でもイイのかなぁと思ったりするのだが、
錆びをこそげ落とすたびにワイヤーが飛んで、
たちまちブラシが駄目になるほどの重労働である。

いくら安いからと言っても、
草むしり程度の老人力では何の役にも立たないし、
球体から滑り墜ちて死んでしまっては、
やれ見舞金だ、やれ慰謝料だと
またゼニが必要になるわい。



頭蓋内を過ぎる仮想のゼニに

「ああ嫌だ、嫌だ!」

オレは身震いして怠け心を払い落とし
独りでの錆び落としだった。
一日三回、ホースの先を絞って
霧状の雨をオブジェに降らせていると、
鉄肌に密着して錆が増していく。

やっぱり自然に酸化していく色はイイ。
巷に彷徨うでもなく、錆び作業の隙間は
アイデア落書き帳に無言のメモ三昧で過ごす。

マリーナプラダから青山店開店で来日していると招待状。

店の開店パーティはオレには場違いだから、
<誰でもピカソ>収録後三井会館に出向いたが、
やっぱり黒っぽいドレスアップの人々でいっぱいだった。



前日、二八個の色とりどりのボタンを
自分で取り付けたコートにジーパンのオレは
浮きながらも、
マティニーを飲んでマリーナを待っていた。
会わないまま帰ろうと思った少しほろ酔いの矢先に、
やっとIZUMIさんと
強羅花壇のマダム・ミワコと連れだった
イタリアの明るい笑顔のマリーナが現れた。

さっそくVIPのディナールームに通された。
場違いなオレにも
庄内地鶏のステーキとワインは美味かった。
MUDIMAでの大きなKUMABLUEのオブジェを
コレクトしてくれた彼女と久しぶりで話が弾み
ローソクのヒカリで撮影会。

「ヴェネチアのオープニングに是非行きます。
 また会いましょう」。

オレは朝八時成田空港に向かった。

つい一週間前と湿度が違う。
ジッとしていても汗を噴く。
PAOLOが見つけておいてくれた
ダウンタウンにあるアパートに
TSUCHYとボートで向かう。
入り組んだ細い水路を往くまだ日が落ちない九時は晩メシ時。


岸辺のオープンカフェから奇声があがる。
水路に面した下町の気配のアパートは気に入った。

いよいよ十二日が迫ってきた。
九メートル×三メートルの会場前の看板は
見積もりが高かったから、
アクション・ペインティングして
自分で作る明日からの作業を、
TSUCHYと打ち合わせ。
オープニングの時刻に、
最後のアクションを客の前でやることにした。
どんなことになるのやら……。




『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-06-11-WED

KUMA
戻る